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19 恋心による孤立

 宿泊施設に向かうと、入口ホールのテーブル席でバレンツエラが早めの夕食をとっていたので、パティたちも同席することにした。


 白身魚のフライにチリソースをかけたものと白パンだった。

 バレンツエラは麦酒を飲んでおり、ステファンも果実酒を注文する。パティは紅茶にした。


「――私は王都の元議会関係者を何人かおとずれてみた。いずれも退職してさほど経過していない方が多く、内海の件についての新情報はとりたててなかった。人魚についても同様で、真新しい話はなく、もともと知っているようなことか、町長が話していたようなことだけだった。いちばんの年輩者はお休みになっていたので、明日再度うかがってみることにして面会の事前約束だけとりつけてきた」バレンツエラが目をこする。「あまり期待はできないだろうがね」


「さすが隊長、律儀で堅実、ぬけ目なく実直!」ステファンが口笛をふく。

 すでに酔っているかのようだ。


「収穫もなかったので、そのあとは早々にひきあげて報告書をまとめていたよ」バレンツエラは目頭を押さえる。「どちらかといえば、つかれてるのはそのせいだ。ちなみに――」そして手をはずすと、充血した目でパティをみた。「報告書は復命書という名の公文書のあつかいになり、少なからず責任をともなうため、王都の保管庫に放りこまれることになる」


 パティはきょとんとする。「はい?」


「ゆえに基本的には論拠薄弱というわけにはいかないので、マナティの記載は省略してある。われわれが〈珊瑚礁の町〉を調査対象にした理由は、ひとつに地道な情報収集にてこの地が浮かびあがったということと、もうひとつにパティが〈王の桟橋〉の浜辺で廃船の残骸から魔力的示唆をうけたからとしてある。いいかな?」


「あ……はい――だ、だいじょうぶです」いろいろと疑問だったが、パティは首肯する。バレンツエラが有無をいわさぬ雰囲気だったこともある。「い、いろいろあるんですね」


「報告書なんてそんなものよ」ステファンが関心なさげに応える。「記録してあることなんて、体裁がととのってるぶん真実味はないんだから。ほら、記憶とかさ、事実と思い出で誤差があったりするでしょ、それとおんなじ」


 よくみると、頬にほんのり紅がさしている。

 やはり酔っているのかもしれない。

 それから管を巻くステファンの相手をしながら夕食を終えた。


 ふと窓のそとをみると、暗くなっている。

 まるで森のなかにいるような、ひっそりとした夜だった。

 パティは一瞬だけ、故郷の山深い村のことや、〈魔導院〉の木立を思いだす。


 静穏としたなつかしさがじんわりと身体をつつみこみ、感傷にひたった。

 右肩のモカが動いたので背中をなでたが、寝返りのようだった。


「――そろそろ部屋にひきあげるとするか」

 バレンツエラが麦酒のジョッキを空にしてから深く息を吐く。


 ステファンが同意してたちあがり、椅子が床をひきずる音が響く。

「汗をかいたところに飲んじゃったせいか、よく眠れそうだわ」


「そういえば、ダグラスさんはどうしたんでしょう?」パティがバレンツエラの背中に問う。


 しかし、その問いにはステファンが、やぶ蚊をふりはらうように手をゆらしながら答えた。「ああ、いいのいいの、あんなのはほっとけば」


 じっさいバレンツエラも気にかけていないようだったので、それ以上追求するのはやめた。

 確かに心配しなければならないような神経の細い人でもない。


 パティとステファンは同部屋だった。

 簡易宿だったこともあり、ベッドがふたつと椅子がついた一脚テーブルがあるだけの無個性な室内で、入室するなりステファンは装備やら衣服やらを脱ぎちらかし、沼に沈みこむかのようにベッドにたおれこんだ。


 パティが衣類を拾いあげて整理しているうちに寝息が聞こえてきた。

 肌着にさえ枢機院章の刺繍がしてある。

 パティは感心して、それをハンガーに通す。

 そのあとパティもローブをかけ、上着をぬぎ、洗面所に向かって身体をふいたあと顔を洗い、髪をブラッシングして歯も磨いた。


 自分のベッドにもどると、モカがすみっこでまるまっている。眠っているようだ。

 もう一度ステファンの様子をうかがう。沼の底から還ってくる気配もない。

 迷ったすえ、ベッドサイドにある窓を少し開けた。


 夜気がふんわり吹きこんでくる。

 じっと夜空をみつめて、いくつか知っている星座を確認してからレースのカーテンを閉めた。

 部屋のランプを枕もと以外すべて落とす。


 それからパティはベッドに入り、うつぶせになって〈最後の人魚〉を枕にたてかけた。


 終日晴れていたし、もうすぐ夏ということもあり気温も高めだったので、疲労でまぶたが重かったが、せっかくなので絵本を読んでおくことにした。


 厚手の表紙や紙の匂いが、幼少期を思い起こさせる。

 幼い頃に好んで読んだものも、こんなような感触や微薫がしたものだった。


 内容は人魚の沿革に類するものといえた。

 人魚を歴史的にとらえ、失われた遺産とみているような訓戒的な物語だ。


 海底の人魚の国から好奇心でとびだした人魚のマティスが、人間の王子と恋に落ち、古代の禁呪にて、不死の性質を捨てる代償に尾びれを脚に変えて地上で暮らすことを選ぶ……この前半部については、動機や情況こそちがっても、パティも唐突な経緯で故郷を離れているために共感できた。


 不安と期待と、そして運命への畏怖。

 パティは目を閉じる。


 恋をしたことはまだないけれど、それもまた似たようなものなのだろうか……とても長い橋の向こうに、だれかの影が一瞬みえたような、そんなじれったいような気持ちになった。


 物語はその後、難局にさしかかる。

 王子の父親である国王が、海岸の開発をすすめ、流れこむ土砂により人魚の国が危機を迎えることになるのだ。


 マティスは困惑する。ふたたび古代の禁呪によって、脚を尾びれにもどせば、二度と人間にはなれない。

 禁呪は双方向に一度しか唱えられないのだ。

 しかし、深海の人魚の国に帰って、肉親たちに警告をうながすためには、人魚にもどらなければならない。


 家族か、恋人か――歯がゆい板ばさみである。


 それでも苦渋の選択のすえ、マティスは海底にもどるため、古代の禁呪を用いる。

 窮地におちいった人魚の国を、黙過することはやはりできないのだ。


 パティはつばを飲みこんで考える。

 おそらく自分がおなじ立場だったとしても、そういう選択をするだろう――しかしそれは、やはりいまのパティには実在の恋人がなく、架空の相手を想定しているからだろうか……?


 難問である。

 それでも恋人と家族を秤にかけるのは抵抗がある。

 それは未来と過去を切りはなせないことに似ている気がする。


 そして、結末はもっと、もやもやが残るものだった。


 せっかく人魚の国にもどったものの、人魚の一族はすがたを消してしまっていたのである。

 国難を察知して逃げたのか、あるいはほかの要因があるのかはふれられていない。

 ただ、海底の人魚の国は、きれいに消滅していたのだった。


 呆然とするマティスの尾びれは、海草のようにちからなくゆれる。


 それからマティスは、最後の人魚として海中で過ごすことになる。

 浅瀬から王子と暮らしていた陸上をみつめながら、不死の身体で、果てない孤独な時を費やしていくのである。

 ときどき、せつない歌声をあげながら……。


 パティは本を閉じて、胸にたまった息をはく。


 瀬の岩に腰かけ、丘に向かって哀しみの歌をうたうマティスの淋しさがいたたまれない。

 絶滅の史実に添いすぎていて、寓話などにありがちな提題がわかりづらい。

 マティスを動かしたものは恋の好奇心だけなので、マティスが孤立してしまうことの原因がマティス自身にあるのかよくわからないからだ。


 教訓や警世といったものもあるのかもしれないが、それ以上に生きることの無常さのようなものが全面に押しだされているように感じられる。


 人魚についての知識を得るぐらいの気持ちだったがどうにもやりきれない。

 絵本だと割り切ればいいのだが、パティたちの任務が人魚に関係しているかもしれないという事実がそれを邪魔してしまう。


 それでも枕をたぐりよせ、つっぷしながら悶々としているうちに、パティは寝てしまった。

 翌朝起きても、少しも夢はみなかったという気がするぐらい深い眠りだった。

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