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1 神さまの名もない図形

 気づいたら聞こえてくるのさ。

 老いぼれ漁師が苦笑する。人魚の歌には気をつけな。

 ひたいやほほに刻まれた、くしゃくしゃのしわが苦笑する。

 あの歌にはなにかある。

 土色の顔の目だけが光る。やられちまうのは船だけじゃない――。

 諸人より「太陽の都」と賛美される王都の一角に〈魔導院〉と呼ばれる施設があった。


 建国王マルサリスが100年まえに築いた王城と城下街よりもずっと昔から、そこはブナやミズナラ、ナナカマドにダケカンバといった広葉樹がひろがる林であり、その一角を切り拓いた土地に、巨木のけやきを背にしてひっそりと三階建ての中庭付の木造建築が建てられていたのである。


 北に向かうとそこに針葉樹や灌葉樹がまざりだし、やがては山嶺郡〈ひざまずく者の山〉へとつながっていく。


 施設の代表者は牧師マイニエリであり、齢150歳とも200歳ともいわれる伝説の魔法使いだった。

 

 樽のような体型と赤ら顔に白髪をたなびかせている(老齢のせいか眉毛までも雪のように白い)ことから、一見すると酒場の酔いどれのようですらあったが、建国以後マイニエリは歴代国王の補佐役をつとめており、民衆からの信頼も篤かった。


 〈魔導院〉が創設された目的は「魔力をあるべき方向へとみちびく」というもので、この主旨を学ぶために多くの素質ある魔法使いのたまごたちが、施設より輩出されたすぐれた魔法使いの推薦状を持参して、この林へと集まってきている。


 そして、パティもその一人だった。


 パティは13歳になる女の子で、幼少期より魔法使いとなる資質を秘めた子どもだったことから、評判を聞きつけて水の国の郷里の村(〈ひつじ雲の村〉という)までやってきた魔法使いの紹介状をもって、五年まえに入学を果たした与望をになう存在だった。


 じっさい噂を頼りにやってきた魔法使いが初見したとき、パティは羊の群れに襲いかかろうとしていたヒグマの親子を説得することであきらめさせた。


 魔法使いの目にそれはあきらかな魔力の発動と映り、ヒグマの親子はパティの言葉ではなく、魔法によって欲望や闘争心といったものを抑制させられていたのである。


 年頃なってもはにかみ屋で好きな異性にときめくといったこともなく、またどこか幼げな二重まぶたで童顔だったことから院生たちにはからかわれたりもしているが、それは愛情の裏がえしだった。

 そんな環境でパティは順調に成長していた。


 だから今般、中央議会より寄せられた問題の究明のため、マイニエリ師によってパティが選抜されることになったとしても、なんらふしぎはなかった。


 パティは施設の渡り廊下を歩いて中庭に向かっていた。

 ふたつ結びにした髪が犬のしっぽのように歩調に合わせて躍動している。


 天気がよいこともあり気分も晴れやかだったが、マイニエリ師の呼びだしで、かつパティはまだその要件を知らされていなかったこともあり、こころもち緊張していた。


 もっとも、つかみどころがないことを除けば、マイニエリ師はその名声のままに偉大な人物だったので不快な重圧ではない。


 8歳になって初めて〈魔導院〉の門をたたいたとき、パティは世間で噂される伝説の牧師と初対面した。

 

 どれだけ高い役職になってもみずからをただの牧師だと標榜している一風変わった年嵩の魔法使いと対峙したとき、パティは清流のなかにふいにできたよどみといったような印象をうけた。


 よどみといっても、汚れているとか悪いものがたまっているとかいうわけではなく、たまたまそこだけ流れがゆるやかになっていて、透きとおる水面に生い茂る川底の藻や、そこに集まる魚たちがみえたかのような、自然のみせる一瞬の芸術のようなものだった。


 幼いパティはその印象について(たどたどしい表現になってしまったが)必死に説明しようとした。


 するとマイニエリ師は目のきわに無数のしわをよせて笑った。

「そうかもしれないな。だが、私だけがそうだというわけでもあるまい。だれもが目にみえるが、だれもが目にはみえないようなものだからね」


 それから五年間、パティは直截マイニエリ師から薫陶を授かるというようなことはなかった。

 具体的にはいきもの係になり、動植物の生態や社会常識といったものを中心に魔力のありかたについて勉強することになったが、それらはみな院にいる教師たちから教えられた。


 マイニエリ師は偶然廊下などで通りすがったときに、なにげない言葉や冗談のようなものをかけてくれるだけだった。


 たとえば、一年目のときにはこんな調子だった。「院には慣れたかな?」「はい、みんなやさしいのでうれしいです」「その気持ちを忘れぬようにな」


 三年目にはこうだった。「調子はどうかな?」「魔法って難しいですね、思っていたよりもずっと」「それでいい。いつか、だれかのためになるだろう。自分のためにはならなくてもな」


 そして最近はこうだった。「背はのびてきたのに、でるところはでないのかな?」「急になにをおっしゃいますか!」「いや、大事なことだよ、ふふ」


 どれも訓戒や気づかいのようでもあるが、どちらかといえば祖父が孫にちょっかいをだしているようでもあった。


 ずっとさきの未来で、その文句のいくつかが意味をなしてくることもあったが、そのときのパティには知るよしもなかった。


 パティは渡り廊下をぬけて中庭に入った。

 木屑がしきつめられた小路に入ったため、足音がしなくなる。

 独特の感触が靴底を通してつたわってきた。


 青々と茂るミズナラの樹木の枝葉のところどころから木洩れ陽が射して、地面に模様をつくる。

 まるで神さまがゆびさきから放った光で、大地に名もない図形でも描こうとしているかのようだった。


 しばらく歩くと、低い丈のカエデと背の高いアオダモにかこまれた噴水が現れる。

 それは〈ひざまずく者の山〉に源流をもつ大河の支流の地下水を利用したものだった。


 複数ある噴出栓から細長く水をふきあげたのち、ふたたび地下に流れこむ構造になっているそうで、予想どおり今日のように晴れた日には、ひろがる水しぶきの合間にちいさな虹ができていて、パティは目を大きくしてみつめる。わぁ!


 マイニエリ師は噴水のへりに腰かけてパイプをくゆらせていた。


 パイプからたちのぼるけむりが朝霧のように太陽光にとけこんで、アオダモの花や葉をにじませている。

 酒樽体型の師が喫煙などしていると高貴な印象は少しも受けず、むしろ休憩中の働き手のようでなんだかほほえましい。


 師は近づいてきたパティをぼんやりした目でみる。


「そんなに熱心に吸ってらっしゃるとお身体に障るんじゃありませんか?」


 パティは笑顔のまま師のまえにたち、ゆっくりとスカートのすそをつまんでおじぎする。


「うむ……まァ、ちゃんと生きてるかどうかを確認するために吐呑しているようなものだからね」


 師は真顔のまま戯言をいい、まるで魂を吐きだすかのように大きな白煙を噴きだした。


 けむりはゆっくりと魂が天に召されるかのように、かたちを変えながら上昇していって、やがて消えた。


「ふふ、そんなことばっかり仰ってるとレディにモテませんよ」

 パティが目を細める。


「そうか、そりゃまいるね、すぐにやめよう」

 マイニエリ師は、真顔のままパイプを180度回転させて、吸殻を噴水のなかに落とした。

 じわっと音をたてた燃えかすは、そのまま水底に消えた。


「あ、そういうマナーのわるさも女の子にはきらわれますよ!」


 パティがひとさし指で指摘すると、「年寄りはなにをやっても疎ましがられる運命にあるらしい、とほほ」と師はまぶたを閉じる。


 それであいさつが終わった。だいたいいつもこんなふうだった。

 会話が途切れると、若葉をさやさやとゆらす風の音がした。

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