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11 船上の粗相

 窮屈で磯臭く、そしてどことなくかびの匂いもする船倉で、アルバートはこぎなれないオールに慣れるまで、だいぶ四苦八苦した。


 マッコーネル船長の古ぼけた小型漁船の推進力は、一般的な石炭などの燃料を利用する熱機関などでは当然なく、ボート型のみんなでオールをあやつるものだった。

 右舷左舷に最大でそれぞれ三人ずつ坐って漕ぐことになる。


 ただそれは海が凪いでいるときだけの措置で、基本的には帆風を利用するのだという。

 ふだんは仲間の若い漁師や水夫にその役を担ってもらうか、あるいはそれ専門の人夫を募るのだそうだが、今般の船出では前述のとおり、それを手伝ってくれる関係者などいるわけもない。

 よって馬力のないアルバートも戦力に加算されることになったのである。


 当初は、マッコーネル船長を除いた男性陣全員で着手したが、そのあとは二手に分かれた。


 アルバートの組には、ともにジェラルドの従者であるウェルニックとレナードがいた。

 右舷側にアルバートとレナード、左舷側にウェルニック一人だった。


 大柄のウェルニックは案の定、膂力もそうとうなもので、まるでウェルニックのオールだけで船体が進んでいるような印象をうけるぐらいだったが、そのさなかにもアルバートを気遣ってあれこれ話しかけるような配慮も忘れておらず、不慣れな労働を強いられているアルバートはろくすっぽ役に立ってもいないうえに、返事もしどろもどろになるという始末だった。


 ルイがいればあきれられるか背中を小突かれるかしそうなところだが、オールこぎ担当以外の面々はせまい船倉から甲板にでていた。


「――そんなに矢継ぎばやに質問ばっかりたたみかけられてもこまるだろう、なぁ、アルバート王子?」レナードが泡喰っているアルバートを見兼ねて二人のあいだに割って入る。


「あ、いや、へへ」とアルバートはごにょごにょ口ごもった。


 レナードもなにげない様子で漕ぎ手をいそしんでいたが、比較的重労働なわりに涼しい顔をしており、ひたいや背中がすでに汗だくのアルバートとは、やはり根本的に身体のつくりがちがうようだ。


「失礼しました。道づれができるなんてなかなかないものだから、ついはしゃいでしまって……」ウェルニックは繊細そうに眉をひそめる。


「あ、いや、いいんですよ。ぼくなんかに関心をもってもらえて光栄です」

 

 アルバートが笑みをうかべると、二人は神妙な顔になる。

 ここまで低姿勢で卑屈な王族をほかに知らないからだろう。


「しかし、〈鹿の角団〉も思い切ったもんだな。石ころ一個のために城郭都市を落とすって――目的のわりには破壊の規模が大きすぎる」レナードがつぶやく。「おとぎ話伝説のためにそこまでするかね? おおよそ知性がある連中の行動とは思えない」


「ええ……一部の人間の暴走だと思われているみたいですけど」アルバートはうなずく。


「王都は建国記念祝祭の準備で煩雑でしょうが、アルバート王子が打診すれば国王陛下も緊急措置を講じてくれるはずです」ウェルニックが目を大きくして、あかるい表情をする。「きっと便宜をはかってくださるでしょう!」


「あ、ええ、はい、ありがとうございます……」アルバートはその迫力に少し動揺する。


 体格のよいウェルニックは挙措にも発言にもなにかしらの迫力があった。

 おどおどしたアルバートとは正反対であり、レナードはそんな二人の対比に微笑する。


「おーい――」すると、甲板からモレロがひょっこり顔をのぞかせた。上下逆さになっているので細かく結われた髪の束がだらりとすだれのようにたれる。「もう夜風がでてきたからオールはいらないらしいぜ!」


 甲板では船尾の椅子にルイとベリシアがならんで坐り、中央の船倉へのはねあげ戸にモレロがあたまをつっこみ、船首の灯り(謎の集魚灯)の近くにジェラルド、ディレンツァ、マッコーネルが集まっていた。


 燦爛と海原をかがやかせていた夕日は沈み、水平線も闇にそまっていた。

 夜空には明るい恒星がちらちらゆれだしている。

 月は水平線ぎりぎりをただよっていた。

 凪が終わり、風がでてきたため、船は自然と進路をとるようになった。


 マッコーネルが自信満々に「良い潮にのれたな! わしのおかげ!」と宣言したが、ディレンツァはさりげなく方位磁針で方角などを確認しておいた。

 この老人に言質をとっても無駄だろうし、そもそも内海の潮流は複雑なので油断は禁物だった。

 ジェラルドはそんなディレンツァに目くばせした。


「船旅ってなんだか胸が躍るわ……」ルイが暗い水平線をみつめると、「豪華客船ならもっといいんだけど」とベリシアがひざを抱えるように坐りなおす。


 椅子の坐り心地はわるくとも、女性二人は重労働をしなくてすんだので完全に乗客気分だった。


「あれ、そういえばあなた踊り娘でしょ? しかも〈舞踏団ルルベル〉の。老舗よね。船旅なんて飽きるほど経験してるんじゃないの?」そろえられた前髪をいじりながらベリシアが問う。


「ええ、船旅はないわ。私はまだ日が浅いから草原の国で公演をしたこともないしね」ルイはほほえむ。


「へぇ……」ベリシアはうなずき、「でもこのおだやかな海が魔物なのよね。何日か横になってるだけで、自動的に〈王の桟橋〉に入港するなんてことはないと思うわ」と話頭を転じる。「なにか起きるに決まってるのよね。みんな自分だけは例外だって思っちゃうけれど」


 それほど深刻な口調ではなかったが、それがかえって不安をあおる。


 ルイは身をのりだして海をのぞきこむ。

 真っ黒な水が静かにうねるさまは、確かに人知のおよばないものだと思われた。

 いまにもたくさんの白い手がでてきて海中にひきずりこまれるような気がして、ルイははじかれるように姿勢をもどす。


「あァ、しんどかったぜ――重労働は男の仕事ってのは一種の差別だよな」船倉からでてきたレナードが伸びをする。しかし身体をほぐさねばならないほど疲労しているようにはみえない。


 ケケケとわきにいるモレロが同調するように笑った。「筋力なんて、男だろうが女だろうが、たかが知れてら」


「そんなふうにぼやいてばかりいるとモテないわよ」ベリシアが冷たい目で二人をみる。


「おつかれさまです」ルイがほほえみかけると、レナードは「だれかさんとはちがってやさしいね、ありがとう」と口笛を吹く。


「あら、たいした言いぐさじゃない?」ベリシアの眉がつりあがる。


「まぁまぁ、夫婦喧嘩は犬も食いませんよ」つづいて船倉から顔をだしたウェルニックが仲裁に入った。

 

 モレロがふたたび笑う、ケケケ。


 その声が思いのほかかん高く響き、そののち甲板が静かになった。


「――ずいぶん暗くなりましたね」ウェルニックがまばたきをする。

 目を暗さになじませようとしているのだろう。


 レナードがあくびをした。「船をだすやいなや巨大魚が襲いかかってくるとか、そんな展開はなかったな」


「あれ、アルバート王子は?」ベリシアが訊ねる。


「そういえば、どうしたの?」ルイも指摘されて気づく。


 これだけ人が多いと、あの王子では存在を忘れられてしまうのは致しかたない。


 ――アルバートはオールを手放したあと、なんだか全身が熱っぽく、あたまがぼんやりしていることに気づいた。


 モレロに呼ばれて、レナードとウェルニックはさっさと甲板にでていってしまった。

 アルバートはあとにつづこうとしたが足腰が固まったままで、身体だけがまえに進んでいるような錯覚にかるい酩酊感をおぼえる。


 とりあえず甲板に向かわなくては――と、たちあがると胃が不快感でひくひくする。


 一歩あゆむと視界がぐらりとゆれた。

 二歩あゆむと動悸がはげしくなった。

 (甲板にでるための)はしごに手をかけると、のどがひりひり痛むような感覚におそわれた。


 意識が自分の身体から少し離れたところでただよっているように感じられる。

 そのあと、どうやってはしごをあがったのかすでに憶えていない。


 甲板にでると、潮風が少しだけ快適だった。


「ちょっと、王子、だいじょうぶ……?」ルイが眉をひそめているのがみえた。


 声が遠くから聞こえるし、ルイの顔がときどきぐにゃりとゆがむ。


 なにか応えないと怒られる……そんな思考がうかび、アルバートは口を開けようとする。


 すると、急激に下腹部から酸っぱいものが怒涛の勢いでこみあげてきて、抵抗するひまもなくあふれだした。


 アルバートは出発まえに食べたものをすべて、なかば芸術的なほど自然なしぐさでもって吐きだしてしまったのだ。


「うげっ、げろ吐いた――!?」意識が遠のいていくアルバートの耳にモレロの金切声が聞こえる。

 

 アルバートは完全に船酔いしていたのだった。

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