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夏の風に乗って

作者: 小出そあれ

 入口のドアが開くと来客を知らせる鈴の音と共に外のセミの声が一斉に聞こえる。同時にむわりとした暑い空気が入ってきて、嫌でも夏だということが身に沁みた。


 「いらっしゃい」


商店街の小さな喫茶店。祖父から受け継いだ店だが、それなりに毎日賑わっていた。今し方入って来た男二人に声を掛けると二人は軽く頭を下げて挨拶をする。

「誠さん、お疲れっす。冷たいもんいいっすか?」

「ああ、待ってろ。今用意する」

彼が威勢良く礼を言って奥に座っていた仲間の元へ行くと、店内は外のセミに負けじと一層騒がしくなった。彼らは俺にとって昔の仲間だったりその友人だったりと様々だが、うちの店がいつしか溜まり場となっているのかこうしてよく飲みに来てくれるのだ。その義理固さは有り難いもんだ。


「理恵、あいつらにお冷出してやってくれねぇか」

声を掛けると厨房から少女――妹の理恵が顔を出して、不満そうに口を尖らせながら長い黒髪を一つに括って歩み寄る。

「もうー、お兄ちゃんってば妹使いが荒いなぁ」

「はいはい。あとでアイス買ってきていいから」

「乗った!バニラとイチゴどっちもね」


コロッと愛橋のある笑顔に表情を変えると、奥のテーブルにお冷グラスを二つ持って行ってくれる。なんだかんだ言って店の手伝いをしてくれたり、家事も頑張ってくれる優しい妹だ。向こうで客と話し出した理恵を見て頬笑み、注文を受けたアイスコーヒーの用意をする。グラスいっぱいに氷を敷き詰めて、そこにストックしておいたアイスコーヒーを注ぎ、ストローを差した頃合いで先程の一人がカウンターまで来ていた。


「兄貴、これは自分で持ってきます!」

「そうか?ありがとな」

好意に甘えて二人分のグラスを差し出すと、それを手にして席に戻ろうとした足を止めて俺の方を見る。

「そういや明日なんですけど、ダチ連れてまた来ますね」

その発言で騒がしかった店内は一気に静まり返り、困惑するそいつの頭が勢いよくパンチパーマの男に叩かれた。「馬鹿野郎、明日はなぁ…!」と耳打ちすると青褪め慌てて俺へと謝罪を繰り返した。そいつや皆に落ち着くよう伝え、気を使わせちまったことを詫びる。


「悪いな、明日は定休日なんだ。また明後日にでも来てくれや」

そう告げると勿論です!とデカい声が返って来て、俺は笑う。おずおずと席に戻り少しずつ会話が戻る空気に胸を撫で下ろした。こちらを心配そうに見つめる理恵に気にすんな、とひらひら手を振ると、視線を棚の上に飾られたサングラスに向ける。

愛されてるもんだなあ、俺もお前も…――



* *  *

 「なあオイ見ろよ誠、いかすだろ?」


校舎裏のいつもの場所で煙草を吸っていると、慎二が自分のリーゼントに乗ったサングラスを指差してポーズを決めてきた。

「なんだそりゃあ。全然似合っちゃいねーよ、ダセェ」

「なんだと?」

喧嘩腰にズカズカと歩いてくる奴を後輩が静め、舌打ちをして俺達の横に同じようにしゃがみ込む。ポケットから煙草を取り出して慣れた手付きで銜えると文句を口にした。

「お前はオシャレを何にも分かってないのう。だからモテないんだぞ」

「うるせーよ、お前に言われたかないね」


慎二と俺はこの学校の頭と呼ばれ恐れられている。拳を交えて、いつしかつるむようになって、気付いたら大きなチームになっていた。小競り合いはしょっちゅうで、その度他の奴が焦ったように仲裁に入る。たまに本気で殴り合いもしてしまうが、男には必要な時があるもんだ。


「またお前らか!そこで何しているっ!」

離れた所から聞こえる怒号に顔を向ければ生活指導の先公で、俺達は慌てて煙草を火を揉み消して走り出す。

「やべ!逃げるぞ!」


追い掛けてくる先公から二手に分かれて逃走している途中、隣を見ると慎二が買ったばかりだというサングラスを押さえながら走っていて思わず吹き出した。邪魔なら外しゃいいだろうが、と言うと「オシャレは気合いだ」と返されて、口だけは立派な文句に肩を竦めた。

慎二と俺は良いコンビだ。

俺達に敵わないやつなんていない、と豪語する程の自信はあった。喧嘩はするが誰かを痛め付けたくもシマの争いをしたくもない。バイクには乗るが族になりたい訳じゃない。ただ、仲間を傷付けられれば全力で助け出すし、報復はする。それが俺達だった。


隣高の奴らとやりあった翌日に登校すると、一人の女が俺達を見付け、顔に残った傷を見て顔を顰める。

「あんた達また喧嘩したの?」

ワンレンの髪が似合う美人な女…由美子は俺と慎二の意中の相手だ。

「うるせーな、ちゃんと勝ったぜ?」

「そういう問題じゃないでしょ。こんなに怪我して…」

「こんくらい何ともねーよ」

交互に顔を見て溜息を吐きだすと、ペタンコの鞄の中から絆創膏を取り出して一人ずつに手渡される。瞬いて由美子を見ると、頬を膨らませて怒った素振りをしていた。

「ちゃんと手当くらいしなさいよね、おバカさん達」


そのまま俺達に背を向けて校舎へと歩いていく彼女を見送って、手に持った絆創膏を見ると、まるでそれが輝いているように見えて思わず顔がにやけてしまう。ガッツポーズをするとその声が二重になり、隣の慎二も同じ事を考えていたようで頬を指で掻く。


俺達は恋敵ではあるが、こいつも惚れているということはそれだけ由美子が良い女という証だったし、本気でぶつかるのは勿論の事だが俺が見込んだこいつにだったら由美子のことを任せてもいい、そう本気で思っていた。




それはある夏の日のことだった。

その日は記録的な大雨で、バケツをひっくり返したような土砂降り。雨音が絶えず聞こえていた。

俺は慎二の部屋で雑誌を読んでいて、慎二が窓の外をじっと眺めていると思えば、突然決意したように「よし」と呟いた。上着を手にしようとしているのを目にして慌てて声を掛ける。

「待て待て、お前こんな大雨の中外に行く気か?」

「おう、どうしても今フルーツ牛乳が飲みてぇ気分になった」

こいつはフルーツ牛乳が本当に好きでよく飲んではいるが、こんな天気の中そのために外に出るのは有り得ないと呆れる。


「お前バカだろ。しかもバイクで行くつもりか?危ねえだろうが」

「大丈夫だって、ちょっとひとっ走りして帰って来るからよ」

軽く往なすように俺の肩を叩いて、バイクの鍵を手に玄関へと歩いて行ってしまう。

俺はこの時、「まあ慎二なら大丈夫か」と思って強くは言わなかったが、それを酷く後悔することになる。


「俺の留守は頼んだぜ、誠」

「ったく…気を付けて行ってこいよ」


これが慎二との最後の会話になるとは、思っていなかった。



数時間経ってもなかなか帰って来ない慎二に痺れを切らして窓の外を見ると、慌てた様子で仲間の男が数人こっちに走って来て、俺を見付けて大声を出す。

俺はその様子に嫌な胸騒ぎをしながら雨の事など忘れて窓を開けると、声が飛び込んでくる。


「誠さん!慎二さんが…慎二さんが…っ!」


声を張り上げるそいつも、横にいるやつらもみんな顔がぐしゃぐしゃに濡れていて、それが雨が涙かなんて分かったものじゃない。横殴りの雨が畳を濡らしていくのが目に入ったが気にする余裕もなく、震えでまともに歩けない足を拳で殴って叱咤し、どうにか足を一秒でも早く、と動かした。


―― 実は、慎二さんに口止めされてたんですけど誠さんを狙った集団が呼び出しを掛けてて、それを知った慎二さんがに黙って一人で乗り込みに…

―― 集団は慎二さんが全員ぶちのめしたんですけど、その帰り道に車道に飛び出した猫を庇って、…

―― 雨で濡れた道路でスリップしてそのまま…


道中報告を受けるが気が気ではなく、そもそも俺が呼び出しを受けてたなんて聞いてねぇぞ。と他人の話にすり替えてしまいたかったが、だからあいつこんな大雨ん中無防備に出ていったのかと合点がいってしまう。


「何がフルーツ牛乳だ…一人でカッコつけやがって…!」


雨が視界を邪魔する中急いで事故現場らしき場所に到着するとそこにはひとだかりが出来ていて、救急隊員が慎二らしき人を運ぼうとしているところだった。一目散に駆け寄るが警官に止められてしまう。

「おいポリ公邪魔だ!あいつは、あいつは、俺の大事なダチなんだ!」

警官との防衛戦も面倒で、早く駆け寄りたくて、目の前の男を殴り飛ばし担架に乗せられた慎二の元に向かう。

「慎二!なあ、慎二、目ぇ開けろ。何してんだよ!」

仰向けの慎二は頭から流血をしていて顔中に傷があり、事故によるものもあれば件の呼び出しで受けたものもあるのだろうと見えた。

普段の慎二からは想像がつかない程恐ろしく静かで、ピクリとも動かない。自分の目から溢れ出る涙のせいで慎二の姿がぼやけてしまうのが煩わしくて仕方なかった。


程なくして俺は警官数名に取り押さえられてしまい、そのまま慎二は救急車へ乗せられ去って行った。

「あんの大馬鹿野郎が…っ!」

拳を地面に殴り付けると血が滲んだが、それもすぐに雨で流れ落ちてしまう。あの頭からの出血はどのくらいだったのだろうかと見る事もかなわない程に、何事もなかったかのように無情にも雨が降り続けていた。


道路には割れた牛乳瓶が二本、袋に入ったまま残されていた。



* *  *


 現場にいた人の目撃情報によると、慎二は即死ではなかったらしく、猫の安否を確認して笑ったまま意識を失ったそうだ。あの大雨でなければもしかしたら助かっていたのかもしれない、とも考えたがそもそも雨が降っていなければタイヤが滑ることもなかっただろうし、そんな考えてもどうしようもない事が何度も何度も浮かんでキリがなかった。


「それに、あいつ雨男だったからなぁ」

肝心な日には雨が降ってしまい、嘆いていた奴の姿が目に浮かんでフッと笑う。

ここに来る前に買って来た煙草の箱を取り出して、そこから一本抜いてくわえる。潮風にさらわれてしまわないように手で覆いながら火を付けると紫煙を吐き出した。

「一年振りの味だな」


慎二が亡くなった後、俺は煙草をめっきりやめていた。

ただ一年に一度、あいつが死んだこの日だけはあいつが吸っていた銘柄の煙を届けてやることにしていた。防波堤に腰掛け、波の音を聞きながら耽っていると人の気配を感じて視線を向ける。

「やっぱりここにいたのね」

「由美子…」

予想していたとばかりの口ぶりに肩を竦めると俺の隣に腰掛けて、同じように波を眺める。

あいつが自分の墓や死んだ場所なんてしみったれた場所にいるはずがない。いるとすればあいつがバイクでよく走っていたこの海沿いの道だろうと踏んで足を運んでいた。

「今年で七回忌か」

「もう七年も経つのね…」

あの日、後から知らせを受けた由美子も雨の中事故現場に来ていた。傘も放り投げて涙を流していた少女もすっかり大人の女になったもんだ。視線に気がついた由美子が俺を見て眉を寄せる。

「何よ?人のことジロジロ見て」

「いいや。今の俺達を見て、あいつはどう思うかなと思ってな」


きっと大人になった姿を見て「ずるい」と怒るんじゃないかと想像した。そして最後に笑って俺らの成長を喜ぶんだろうと。あいつはそういう男だった。心優しくて、気持ちの良い男だった。

「さあね」と風にあおられるスカートの裾を手で押さえながら呟く姿に目を細める。

「ま、由美子は皺が出来たって言われるかもな?」

茶化したように揶揄すると怒った彼女に背中を思いっきり叩かれ、煙草の煙が変に入って噎せてしまう。短くなった風に飛ばされないように注意しながら横に置いた。


慎二が亡くなった後も由美子とはこうして仲は良いままだが、決して付き合ったりはしなかった。あいつがいないのにどうこうなるというのは、抜け駆けをしているようで忍びなく、それはしたくなかった。由美子もそれを感じとっていたようでそのことについて触れられたことは一度もない。


「はい、これ」

由美子は持って来ていた袋から牛乳瓶を取り出すと、三本ある内の一本を俺に手渡してくる。それを受け取ると、もう一本の蓋を開けて俺達の間に置いた。

「フルーツ牛乳、慎二が好きだったよね」

あの最後の日も、一緒に飲むはずだった、と道路に残されていた割れた瓶が脳裏に浮かんで溜息が零れる。律儀に買って来ようとしてたんだもんな、あいつ。

真ん中に置いた瓶に両サイドからそれをぶつけて「乾杯」をした。


しばらく海を見詰めて、たまにぽつりと思い出話をしては笑い合った。

陽が沈み始めたのを見て俺達はようやく立ち上がる。きっとあいつが飲んだであろうフルーツ牛乳を手に取り、一気に飲み干した。

脇に止めていたバイクからヘルメッドを一つ由美子に手渡す。バイクに跨ってから後ろに彼女が乗ったのを確認してエンジンをかける。

「随分と久し振りね。こうしてバイクの後ろに乗るのも」

あの頃は、事ある毎に俺と慎二のどちらが由美子を後ろに乗せるかで争っていた。

三人だったり、他の連中もいたりとうるさく騒ぎながら乗り回していた頃が懐かしい。最近ではたまに一人で走らせることしかなかった。


「でもよ、よくお前も乗れてたよな。俺らの運転なんて危なっかしいだろ」

スピードを出し過ぎる訳ではないが、何でもない女子高生が乗せられるには少々荒い運転だったことを自負して問うと腹に回された腕に力が込められる。


「ううん。あんたらの後ろはいつだって安心できたわよ」


風に乗って声が届く。

今の聞いたか、慎二。俺達の愛はちゃんと伝わってたみたいだぜ?


一本道の先の青空を見ながら思う。スピードを少し上げると強い風が存在を主張するように頬を掠めていった。


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