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残された時間

 城へと向かって、路地を歩く。


 空は相変わらずの灰色だが、今日は昨日より少し風が強い。アキラはクルミの手を掴んで、なるべくゆっくりと歩きながら、


「大丈夫、クルミ? 寒くない?」

「大丈夫です。むしろ、風が気持ちいいくらい……」


やはり体調はよくないのだろう、クルミの歩みはどこかたどたどしい。だが、前髪を風に揺らすその表情は軽やかだ。


「そう? それならいいけど……でも、無理はダメだよ。具合が悪くなったらすぐに言うこと。いい?」

「はい。でも、本当に大丈夫ですから。大丈夫、大丈夫……私はまだ、あなたの隣にいられます」


 クルミは呟くように言って、そしてくすりと笑う。


「クルミ……今、笑った?」

「はい、なんだかおかしくて」

「おかしい? 何が?」

「私、思えるようになりました。『大丈夫、なんとかなる』と。ほんの少し前まで、この言葉が嫌いと言っていたのに……」


クルミは懐かしむように微笑する。


「ようやく、あなたの言うこの言葉の意味が解った気がします。確かに、この世界にはどうにもならないことがたくさんあります。でも、だからといって初めから全て諦めたら、本当はできたはずのこともできなくなってしまう……。そういうことですよね?」

「あ、ああ……」


驚きながら、アキラは頷く。


 きっと母は、それが言いたかった。


 アキラはそう感じて、この言葉を大切にし続けてきた。そしてその思いは、自分からクルミへと伝わったのだ。


 クルミの笑顔と言葉に胸を衝かれ、アキラは思わずじーんとしてしまう。


「クルミは変わったね。本当に、柔らかくなった」

「きっかけはあなたです」


 クルミは前へと目を向けながら言う。


「『自分を見ていて』と、あなたがそう言った時、私は胸の中で雫の音が聞こえた気がしました」

「雫の音?」

「はい。あの時――いや、ひょっとしたらそれよりも前から、あなたの言葉や表情は、私の胸にゆっくりと音を響かせていました。あなたが私に微笑みかけてくれる度に、私を大切にしてくれていると感じる度に……優しい音が胸に響いて、身体中が満たされていきます。こうしている間にも、ずっと……」


クルミはその胸に手を当てながら言って、微笑みながらこちらを見上げる。


「この気持ちが、いわゆる『愛』なのでしょうか? だとしたら、アキラ、私はあなたのことを愛しています。本当に、心から……」

「え? あ、ああ……うん、私も……」


ドキリとして、思わず目を逸らしてしまう。


 顔が熱くて、しょうがない。真っ赤な顔をクルミに見られているんだろうと思うと、余計に恥ずかしくてクルミの顔を見られない。


こういう時はどうすればいいんだ!? と困惑して目を回しそうになっていると、


「君たち」


通りすがった男性が声をかけてきた。


 灰色のコートを着て茶色のベレー帽を被ったその男性に、見覚えはない。だが、男性は親しげに微笑みながら、


「君たち、プリンセスのために頑張っているんだって? 私には何もできないから、これでも持っていってくれ」


 そう言って、手に抱えていた紙袋から、リンゴ二つを出してアキラとクルミに渡し、じゃあ、と笑顔で去っていく。


 一体どういうことかと思いながらしばし歩くと、今度は中年女性に呼び止められて、クルミにマフラーを巻いてくれた。そして、次はパン屋の若い女性店員が紙袋一杯のパンを、女の子を連れた女性が、瓶のミルクを二本くれた。


「これって、どういうこと?」

「さあ……私にも解りません」


 つい先日までは、クルミを睨みつけ、あるいは疫病神と呼んで毛嫌いした街の人々が、打って変わったように優しくなっている。


 アキラとクルミが困惑しながらさらに進むと、


「おい」


 と、背後から呼び止められた。見ると、そこにいたのは一人の少年――アヤネの教会へ向かう途上、クルミに向かって『疫病神』と吐き捨てた少年だった。


少年は茶色いジャケットのポケットに手を突っ込みながら、


「あのさ……悪かったな、クルミ。学校でも、色々……『疫病神』とか言ったり……」

「いえ……」

「許してくれ、なんて言うつもりはねーよ。……でも、謝りたくて」

「はあ……」

「じゃあ、それだけ。頑張ってくれ」


 くるりとこちらへ背を向けて、少年はどこかへ走って行こうとする。アキラは慌ててそれを呼び止める。


「待ってくれ。私たちが何をしようとしてるのか……知ってるのか?」

「ああ、ビショップ・アヤネから聞いた」


少年は立ち止まって、こちらを振り向く。


「ビショップ・アヤネだけじゃない。司教の人たちが街の色んな所で、アンタたちのことを助けるようにって言ってる。でも、俺はビショップ・アヤネから話を聞いた。あの人も、俺みたいな奴にも一人一人話しかけて街を回ってるんだ」

「アヤネさんが……」


 そうか。チナツさんが言っていた、アヤネさんのやるべきこと、とはこれだったのか。


アキラは感謝の気持ちが胸に溢れるのを感じながら少年に別れを告げ、城へと向かう。その道々で、街の人に呼びかけられて食べ物や応援の言葉を貰う。


 クルミは両手一杯に食べ物を抱えながら、


「こんなことは初めてです。人から『頑張れ』なんて言われたのは……」

「そっか……。どう? 言われてみて。嬉しい?」

「解りません。今はとても戸惑っています。それに……」


 と、クルミはふと黙り込む。


 それに? とアキラがクルミを見下ろすと、クルミは目を伏せながら言った。


「正直なところ……私は今、何よりも……怖いのです」

「怖い……?」

「何が怖いのかは、私にもよく解りません。ですが、『もう時間がない』と……堪らなくそんな気がするのです」

「時間がない……?」

「はい。私の中で、今こうしている間にも『何か』が起きています。私自身にも解らない何かが……」


 それはアキラも感じていた、そして恐れていた。クルミの急激な変化と、それと同時に起き始めた体調不良。この二つには一体どのような関わりがあるのか……。


「なので正直に言うと、私は今、何よりも……怖いです。私がこの先どうなってしまうのか、私にも解りません。だから、どうしても一人にはなりたくなくて……」

「クルミ……」


先程までの笑顔は不安の裏返しだったのだろう、クルミの表情には、今は不安の影が濃く落ちている。


その横顔を見ていると、なぜだろう、今にもクルミが消えていってしまいそうな、そんな不安がアキラの胸によぎった。


 だが、こういう時こそ――とアキラは一つ息を吐いて、


「『大丈夫、なんとかなる』だよ、クルミ」


 不安げに俯くクルミに、そう笑みかける。


「クルミは今、一人じゃない。言ったでしょ、私を見ていてって。不安な時こそ……辛い時こそ私を見て。私はクルミの傍にいるから。もしクルミに何かあっても、私がなんとかするから。それとも、私なんか信じられない?」

「いいえ、そんな……」


 クルミは首を横に振って、耳を朱くして呟く。


「そうですね。大丈夫……。心配なんて、何もない。あなたがいるから……」


 そして――間一髪だった。


 クルミの身体がふらりと前に傾き、アキラは荷物を捨ててその身体を受け止めた。


「クルミ……? どうした、クルミっ!?」


呼びかけるが、反応はない。そして、宿で寝ていた時よりも明らかに呼吸が荒い。


 やはり一緒に連れて来るべきではなかったのだ。アキラはそう激しく後悔したが、今はそんなことを言っても始まらない。


落としてしまった荷物を周囲にいた人に任せて、アキラはクルミを背負って城へ向かった。そこへ行けば、チナツとキッコに会えるはずだ。

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