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気持ちが溢れてきて止まらない

 クルミは次の日、丸一日、目を覚ますことなく眠り続けた。


 相変わらず呼吸はやや苦しそうだが熱はなく、ナオも休ませておくのがいいだろうと言うので、とりあえずは目を覚ますまで寝かせておくことにした。


 その翌日、つまりクルミが倒れた翌々日も、まだ目を覚ます気配はなかった。


 それまでアキラは部屋でじっとクルミを見守っていたが、ずっと部屋でこもっているのも疲れるので、裏庭を借りて女子力の訓練をすることにした。部屋の窓は裏庭に面しているから、カーテンを開けておけばクルミの様子はすぐに解る。


「プリンセスの名の下に……希望のカードよ、内なる力を解き放て」


 周囲を家々に囲まれた、タテヨコ三メートルくらいの裏庭もといイモ畑の片隅で、アキラは『セクシーナイト・ムーンバタフライコーデ』を身につける。


「……ふっ!」


 肩がレースになったトップス、紫色のアシンメトリースカートをそよ風になびかせながら、『風の(ウィンディ・ハンズ)』を発動。落ちていた小石をそれで拾い上げ、安定して空中に持ち上げ続ける訓練に取りかかる。が、


「くっ! ああ、もう……!」


たったこれだけのことでも、初心者にとっては難しい。それに少しやり始めただけでも、数学の授業を二時間連続で受けたような疲労感が頭を重くする。


 自分の手なのに、上手く動かせない。その苛立ちに我慢しながら悪戦苦闘することしばし、空に鳴り響いた鐘の音で、ふと集中が切れた。


 正午の鐘だ。今まで集中していて気づかなかったが、宿のほうからは香ばしい、パンを焼くような匂いがしてくる。


 一旦、訓練はやめることにして、部屋へ戻る。すると、そのドアを閉める音でパッとクルミが瞼を開いた。クルミは眩しそうに目を細めながらこちらを見て、


「すみません、私は……!」


 と、慌てた様子で上半身を起こす。アキラはベッド脇に寄せていたイスに座って、


「いや、大丈夫。まだベッドにいていいよ。具合はどう?」

「それよりも、私はどれくらい眠っていたのでしょうか? 何度か目を覚ましたような記憶はあるのですが、身体が動かなくて……」

「別に何日も眠ってたわけじゃない。一日と半分くらいだよ。あ、ちょっと待ってて。ナオさんに水を貰ってくるから」

「いえ、大丈夫です。私はもう……」


 クルミはベッドから立ち上がろうとするが、足元がふらついて危うい。


 アキラは慌てて肩を支えてベッドに座らせ直し、額を触る。


「やっぱり熱はなさそうだけど……どう? 何か少しでも食べられそう?」

「いえ……何も、食べたくありません。それよりも……」


クルミは目を上げ、熱っぽい瞳でこちらを見つめてくる。


「それより……どうかした?」

「はい。食事などよりも……あなたの傍にいさせてください。私には、それだけで充分ですから……」


クルミはこちらを見つめながら、アキラの手に手を重ねる。


アキラは思わずドギマギしてしまいながら、


「で、でも、食べられるだけ食べたほうがいいよ。昨日は何も食べてないんだから。ちょっと待ってて。今ナオさんから食べ物を持ってくる」

「いえ、私も行きます」

「でも……」

「大丈夫です。ちゃんと歩けます」


そう言って、クルミは再び立ち上がる。


 こちらに迷惑をかけると思って、それが辛いのだろう。しょうがない、とアキラはクルミの肩を支えて、食卓へ連れて行く。


 すると、ナオが念のために、とクルミの分まで食事を用意してくれていた。


 砂糖をふりかけていない、甘くないフレンチトーストと、ほんわりと湯気が立つイモのポタージュ。


クルミはやはりまだ具合が悪そうな顔でそれらを見下ろしていたが、やがてスプーンを手に取ってポタージュを口へ運ぶ。と、


「……?」


その暗紫色の瞳が、キラリと輝いた――ように見えた。


「クルミ、どうかした?」

「いえ……なんだかとても、その、なんというか……」


 クルミはもう一口、ポタージュに口をつける。フレンチトーストも、はむっとかぶりつくように食べる。


 クルミはこれまで、食べ物には全く興味がないようだった。そのクルミにしては、妙に食べっぷりがいい。アキラは少なからず驚きながら、


「クルミ、ゆっくり食べたほうがいいよ。喉に詰まらないように気をつけて……」

「大丈夫です。私は子供ではありません」


 しかしクルミは元気盛りの少年のように、手を止めずにモグモグと食べ続ける。


「気のせいじゃなければ……クルミ、凄く美味しそうだね」


クルミはポタージュを飲み込んで、


「美味しい……。これが『美味しい』ということなのでしょうか」

「たぶん、そうだと思うよ。っていうか、クルミ……」


 体調はよくないはずなのに、その表情は以前までよりも活き活きと輝いているような気がする。


クルミは暗霧病にかかってしまったのではないか。とにかくそう心配だったのだが、それは杞憂だったのかもしれない。きっと、クルミはただ疲れやすい体質だっただけなのだ。そうに違いない。だから、チナツも倒れたクルミを見て平然としていたのだ。


 そう思うと、それに食欲旺盛なクルミを見ていると、アキラも腹が空いてきた。早速、フレンチトーストにかぶりつこうとすると、


「あ、待ってください」


 クルミが慌てたように立ち上がり、アキラの隣へとやってくる。半ば奪い取るようにアキラの手からフォークを取って、


「はい、どうぞ。お口を開けてください」


と、小さく切り分けたトーストをアキラの口へ差し出してくる。


「え? な、何? どうしたの、クルミ?」

「私があなたに食べさせてあげます。私はあなたの妻なので」


 言いながら、クルミはアキラの口へとトーストを押し込む。


「どうです? 美味しいですか?」

「う、うん、美味しい……けど、別にこんなことしてくれなくても大丈夫だよ。私は一人で――」

「はい、どうぞ」


 と、またトーストを口へ押し込まれる。


 アキラは口いっぱいのそれをどうにか胃に流し込んで、


「い、いや、だから私は一人で食べられるって。っていうか、こういうことはしなくていいって言ったはずだよ。クルミは私の奴隷でもお世話係でもないんだから」

「はい、解っています。しかし、どうしても食べさせてあげたいのです」

「ど、どうして?」

「私にも解りません。しかし、できることがあるなら、なんでもあなたにしてあげたいのです。あなたのことは、私が全部したいのです」

「ど、どうしたの、クルミ? 何か様子がおかしいような……」

「そうかもしれません。ですが、気持ちが溢れてきて止まらないのです。こうしてあなたの目を見ていると、あなたのこと以外は何も考えられなくなってくるのです」


 今度はポタージュをすくったスプーンを口に押し込まれる。


 クルミは満足げに微笑みながら、


「こんな気持ち……これまで感じたことがありません。あなたはこれからずっと、私の傍にいてくれるんですよね? そう言いましたよね? どうか、その約束は守ってください。あなたはもう何もしなくていいんです。どこへも行かず、ただ私の傍にいてください。それ以外のことは、妻である私が全部しますから」


クルミの瞳の中に、ハートマークが見えるような気がする。


元気なのはいいことだが、それにも程がある。アキラは、人が変わったようなクルミに戸惑いながら、息をつく暇もなく口に食べ物を押し込まれたのだった。

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