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お風呂。

 部屋は至ってシンプル。ほとんどくっついた状態で置かれているベッド二つに、テーブルが一つとイスが二つあるだけの、しかし充分快適に過ごせる部屋だった。


既に燭台に火が灯されているその部屋へアキラが入り、狭い裏庭に面している窓の前に立つと、テーブルの傍に立っていたクルミが小さく頭を下げた。


「すみません」

「……? 何が?」

「先程……少し声が聞こえました。この家には病人がいるのでしょう。それで、あの女性はあなたを頼って、ここへ連れてきたのですよね?」

「それで、どうしてクルミが謝るんだ? クルミは別に何も悪くない」


どうやらクルミは、本当に自分が『疫病神』だと思っているらしい。バカバカしい。アキラはあえて取り合わず、


「それより、どう?」

「何がでしょうか」

「ちゃんと宿に入れたでしょ? やっぱり、まあ『なんとかなる』んだよ」

「そんなことはありません。たまたまです」


 平淡に言うが、クルミの表情がわずかに和らいだ気がしなくもない。アキラはホッと安心しながらイスに腰かけ、ずっと立ったままでいたらしいクルミに、


「そんな所に立ってないで、クルミも座りなよ」

「私はここで構いません」

「いや、でも……立ってたら疲れない?」

「それは座れという命令でしょうか」

「命令じゃないけど……」

「どうぞ私のことはお構いなく」


 と、クルミはまるで警備員のように直立不動のまま動かない。その手には木刀を握りながら、じっと暗紫色の瞳でこちらを見つめる。……落ち着かない。


「そ、そういえば、風呂はいつでも入れるのかな?」

「いえ、準備をしなければ入れないでしょう。私が湯を湧かして湯船に運んでおきます」

「大丈夫、それくらい自分でやるよ。第一、水は重いし」

「しかし、私はあなたの妻です。妻は夫の身の回りの世話をするものです」

「……もしかして、『奴隷のようなもの』って、初めからそういう意味で言ってたの?」


 てっきり、『護衛だから身の回りもしなくてはならない。だから奴隷のようなもの』とクルミは言っていると思っていた。


 だが、そうではない。キスをした瞬間に結婚が義務づけられる、というこの国の法律をクルミが知っていたとすると、


『自分はもう妻になったから、夫の身の回りの世話をしてあげなければならない。だから奴隷のようなものだ』


 と言っていたのかもしれない。


 アキラがそう気づいて訊くと、はい、とクルミは頷いた。


「私はあなたの妻、あなたのお世話をさせていただく身分、つまり奴隷です」


 やっぱり。アキラはぐったりと頭が重くなったような気分で、


「いや、クルミ。そういう考え方はやめてほしい。君は私の奴隷なんかじゃないよ。そういう考え方もあるのかもしれないけど、少なくとも私はそんなことは考えてない。風呂の用意くらい、自分でするよ」


 腰を上げて、浴室へと向かう。すると、クルミはパタパタと追いかけてきて、


「解りました。では、私があなたの身体を――」

「か、身体も自分で洗えるから大丈夫! クルミは少しベッドに横にでもなって、ゆっくり休んでていいから!」


慌てて言って、クルミを残して部屋を出る。


風呂までついてこられたら、堪ったものじゃない。……色々な意味で。


どうにか一難去ったことに安堵しつつ、アキラはナオがカマドで沸かしてくれた湯を、浴室と三往復ほどしてバスタブに溜めた。


 浴室は、ここが日本人の少女たちの希望からできた場所であるためか、鏡がないという以外は日本の一般的家庭にあるバスユニットにかなり近い様式だった。


 さて、ひとっ風呂浴びようかと、その前にトイレで用を足してから、脱衣場で服を脱いでポニーテールを解く。


 浴室に入り、かけ湯をしてから、しっかりとした岩造りのバスタブで肩まで湯に浸かる。


 ほっと深く息を吐いて――


「ん?」


 アキラは気づく。自分の無頓着さに。


――あれ? 私、今……女になってるんじゃなかったっけ?


 恐る恐ると湯の中の自分の身体を見下ろして――やっぱり、と再認識するが……なんの感動も動揺もない。


 まるで自分が初めから女だったように、無の感情以外、何もないのだった。


 これは母の身体なのだから、見ても興奮しないというのは当然と言えば当然の話だ。


 しかし、それにしても動揺がなさ過ぎる。というか気のせいのでなければ、さっき自分は普通にトイレを済ませていなかっただろうか?


 ――私……じゃなくて俺、急速に本当の女になってきてない……?


 これってまさか、女子力を使う副作用……? 身体はのぼせてきているのに、背中をゾワッと強い悪寒が走る。


 急がなければ。早く仕事を終わらせて『向こう』に帰らなければ……。


 股間辺りで何かが縮み上がったような感覚を覚えながら、それでもつい気持ちよくて長湯をしてしまってから、湯船を上がって髪を洗う。


髪が腰に届くほどもあるせいで、洗いにくくてしょうがない。


 どうすればいいんだ、と髪を身体の前へ持って来たり、横へ垂らしたりと四苦八苦していると、不意に背後の扉が開き、


「私が髪を洗います」


 出番を待っていたとばかりにクルミが現れた。


「いや、だからこれくらい自分で――って、なんで裸!?」


 クルミはなぜか全裸だった。


自分の裸はなんとも思わなくても、これは明らかに倫理的にマズい。アキラは思わず風呂イスから転げ落ちそうになるが、クルミはやはり表情一つ変えず、


「お風呂には裸で入るものです。服が濡れてしまうので」

「そりゃそうだけど……い、いや、そうじゃなくて、だから身体は自分で洗えるって!」

「しかし、髪を自分で洗うとは言っていませんでした」


 ――ああ、確かに。


 そう納得してしまっているうちに石鹸の泡で髪を洗われ始めてしまって、アキラはされるがままに身を任せる。


 小さな手でこしょこしょと頭を触られる感触はこそばゆいが、その手つきはとても優しくて、だんだん心が落ち着いてくる。後ろさえ振り向かなければ、裸を見てしまうこともないから大丈夫だ。


「ところで、クルミはいま何歳?」

「解りません。体格的には十歳ぐらい、とルークには言われています」

「でも、それにしては凄く大人っぽいような……っていうか、『ぐらい』って?」

「私が本当は何歳なのか、それは私にも解りません」

「解らない?」

「はい、私は自分がいつ生まれたのか知りません。私には、およそ三年前……プリンセスが眠られる以前の記憶がないので」

「記憶が……? どうして?」

「解りません。ですが、おそらく私は、プリンセスが眠られたことに関わる、何か許されないことをしたのではないかと思っています」

「自分の記憶が途切れていることと、プリンセスが眠ったことには何か関係がある。そう思ってるっていうこと?」


 はい、とクルミの囁く声が浴室内に反響する。


「この国の人々は私を嫌います。それも、私がそう思う理由の一つです。私はおそらく、プリンセスに病を感染(うつ)すような……そのような重大な罪を犯したのではないでしょうか」

「だから、クルミは『罰を与えられたい』って……」

「……はい」


クルミは手を止めて、髪の泡を洗い流そうとしているのだろう、バスタブから桶へ湯を汲み始める。が、アキラはそれを止める。


「いや、大丈夫だよ、クルミ。泡は自分で流せるから。髪、洗ってくれてありがとう」

「そうですか。では」


クルミは桶を置いて、淡々と浴室を出ていこうとする。


「あっ、ちょっと―――」

「はい」

「あ、い、いや……!」


 クルミが一切何も隠さずこちらを振り向いて、アキラは慌てて前へ向き直る。


掛けようとした言葉は、クルミのあられもない姿のせいで吹き飛んでしまった。


 すると、クルミはアキラの沈黙を勘違いして、


「後ほど入らせていただくので、私のことはご心配なく。私は食事の用意を手伝ってきます」


そう言って、浴室を出て行ってしまった。


ひとり残された浴室でアキラはうなだれて、しかしこれを前進と考えることにした。


 少しだけ、クルミのことを解ることができた。クルミが、自分自身のことをこちらに話してくれた。きっとこれがきっかけで、もっと解り合っていけるようになるはずだ。


「大丈夫、なんとかなる」


 アキラは呟く。呟くが、ふと不安になる。


 ――ナオさんとクルミ……二人だけにして大丈夫だろうか?

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