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ビショップ・アヤネpart1

やがて司教区へと足を踏み入れた。


 この街のことなど全く知らないアキラでも、その瞬間は肌で解った気がした。


 静けさの質が違う。ここでは足音も立ててはいけないというような張り詰めた静寂が、この周囲には満ちていた。


 普通の住宅の所々に、それよりも少し大きなサイズの建物が混じっていて、どうやらそのどれもが教会らしい。通りの窓から見えた建物の中で、床に跪いて一心に祈っているらしい人がちらほらと見えたから、そう解った。


 やがて広場に出ると、そこには教科書にでも載っていそうな大きく立派な教会が建っていた。尖塔の多い、壮麗な佇まいのゴシック様式で、壁は年期を感じさせるくすんだ色合いをしている。


「ここにビショップがいるの?」

「はい、おそらく」


大きな木の扉を軋ませながら押し開けて、クルミは慣れた様子でその中へ入っていく。


 礼拝堂は――イス一つなく、ガランとしている。


 だがその代わりに、床を等しく長方形に区切るように水路が張り巡らされていた。水は祭壇脇から湧いて、入り口のほうへと向かって緩やかに流れて行っている。


 水路が張り巡らされた、不思議な礼拝堂――


高い屋根に響く微かな水音にも神秘的なものを感じながら、アキラはクルミの後について祭壇のほうへと向かう。


「彼女がビショップです。ビショップ・アヤネ」


 クルミが囁きながら見つめる先では、一人の女性がこちらへ背を向けて跪いている。


 石を磨き上げて作ったらしいプリンセス像――優しく両手を広げながら、こちらへ微笑みかけているプリンセスに、アヤネは細い肩を強張らせるようにして祈っている。


 ――『キュートビショップ・フローズンオーロラコーデ』……。


肩が露わになった、裾へと向かうにつれて濃い青から白へと色合いが変わっていく、プリンセスラインワンピースに、雫型をした水晶のイヤリングと硝子のハイヒール。


 ビショップの最上位コーデを身につけていることから、アヤネが『ビショップ』の役職者であることは間違いない。


 だが、アキラは声をかけることができなかった。


理由は、アヤネが声を押し殺して泣いていたからだ。そして、それだけではない。その怖いくらいに青い髪が、そこにいるという実在感を彼女から奪っていたからだった。


 思わず幽霊を目にしてしまったような気分で立ち尽くしていると、やがてアヤネがこちらをゆっくりと振り向いた。


 やはり、アヤネは泣いていた。瞳までが真っ青で、その肌までどこか青く見えるほど色白である。氷細工よりも儚く脆い、まるで雪の結晶のような雰囲気の人だった。


 アヤネは、切れ長の目を指で擦りながら、


「クルミ……? と、あなたは……?」

「わ、私はアキラです。こちらでいう、『神人』という存在らしいのですが……」

「神人?」


 細い筆でスッと描いたようなその眉をピクリとさせて、


「ウソよ。神人なんて、もうこの世界には来ないわ……」

「いいえ、本当です」


と、クルミが断言する。


「アキラ様、あなた自身が描かれた、あのカードを」

「あ、ああ……って、クルミちゃん、『アキラ様』はやめてくれ。私は別にそんなのじゃないから」

「そうですか。しかし、それを言うなら『クルミちゃん』もやめていただきたいです。気持ちが悪いので」

「きも――わ、解った。じゃあ、ええと……なんだっけ? ああ、そうだ。はい、どうぞ。これが証拠らしいです」


 と、アキラはチナツに貰ったカードホルダーから自らのマイキャラカードを出し、名刺のようにアヤネに渡す。


 アヤネは受け取ったそれと、アキラの顔とを見比べて、


「本当……。でも、もうダメよ。わたしたちは、もう……」

「いえ、諦めるのはまだ早いはずです。アヤネさん、あなたに訊きたいことがあります」

「訊きたいこと?」

「はい。まあ、えーと……とにかく、そこに座ったままでは足が冷たいでしょう」


 アキラがそうアヤネに手を伸ばすと、アヤネはええ、とその手を握った。瞬間、


「ヒッ!?」


アキラは思わず声を上げる。アヤネの手が、まるで氷を握ったように冷たかったのだ。


「わたしの身体……冷たいでしょう?」

「は、はあ……」

「ごめんなさいね。わたし、冷たい女なの……」


冗談なのだろうか、アヤネは微笑しながら立ち上がり、


「それで、訊きたいことって? わたし、神人様からカードもいただけなくなって、それを管理する仕事

もなくなったから、今は祈ることしかできないけれど……」

「いや、えーと……」


 なんと切り出したらよいものか。美人を泣かせてしまいたくはないし……とアキラが困惑してクルミを見やると、視線が合う。クルミは何か承知したように小さく頷き、


「単刀直入に言えば、あなたが盗んでいるプリンセスのハートを渡してください」

「お、おい、クルミ」

「なんでしょうか」

「もうちょっと訊き方ってものが……」

「しかし、私たちはそのためにここへ来ました」

「だとしても直球過ぎる。っていうか――」

「私は別に盗んでなんかいないわ……」


 アヤネが再び、その切れ長の目に涙を溢れさせる。アキラは慌てて、


「そ、そうですよね。盗んだなんて思っていません。でも、あなたの胸にプリンセスのハートのカケラが刺さっていると聞きました。それは事実ですか?」

「事実だけれど、でも……」

「なら、どうかそれを渡してください。今それが必要であることは、あなたも解っているはずです」


 それは……とアヤネは長い睫毛を伏せて、


「無理よ、できないわ……」

「無理? なぜですか?」


 問うと、ビショップは肩まで露わになっているドレスを唐突にするりと下ろし、白い下着を身につけた胸を露わにする。


「深く刺さってしまって、抜くことができないの……。どんなに抜こうとしても、抜けてくれないのよ……」


 そのささやかな胸のふくらみの間には確かに、ピンク色に輝く、リンゴ四分の一ほどのハートのカケラが突き刺さっていた。血は出ていない。まるで肉体がそれを取り込みつつあるように、その青白い肌は異物を受け入れている。


「痛く……ないんですか?」

「とても痛いわ。ずっと、痛くって堪らない……」

「じゃあ、やっぱりどうにかして抜かないと。私、やってみます」

「やめて! 触らないでっ!」


 広い空間に、アヤネの怒声が響く。アヤネは自らの身体を抱きしめて、


「痛いのよ。触られると、とても痛いの。だから触らないで……!」

「でも……」

「それに、いいの。痛いけれど、このままでいいのよ。この痛みがあれば、わたしはいつまでもプリンセスを想っていられるから……。プリンセスを失った悲しみを、忘れずにいられるから……」


 アヤネの言葉が、不意にアキラの胸に刺さった。このようなことを、昔、自分も考えていなかっただろうか。母を失ってすぐの頃、自分もこうやって……。


「ビショップ」


 と、クルミはあくまでアヤネを役職者の名で呼ぶ。


「申し訳ありませんが、あなたのそのような感情につき合っている暇はありません。ハートは返していただきます」

「いやよ。お願い、帰って……!」

「返していただけないなら、奪わせていただきます」


 淡々と踏み出して、クルミはアヤネの胸へ手を伸ばす。アヤネはサッと後ろへ下がり、


「やめてクルミ、そんな目でわたしを見ないで……!」

「退がります」


唐突、クルミがアキラの手を引いて後ろへ飛び退いた。直後、


「絶対に、これは渡さない! これはわたしの物なのよっ!」


 ドシュウウウウウウウウウウウウウウウウッ!


 祭壇の両脇から炸裂するように水が飛沫き、同時に鋭い氷柱が祭壇付近に突き上がった。


――これがビショップの女子力。水と氷を操る能力かっ……!


 どうやら女子力が及ぶ範囲外――アヤネから五メートルほど離れた場所まで後退してから、クルミはアキラの手を離し、


「コーデから発生している女子力は、着用者を守る働きも持っています。なので、少しくらいの攻撃は直に受けても問題ありませんが、それにも限度はあるので、ご注意を」

「あ、ああ、解った」

「では、あなたは下がっていてください。私が戦います」

「え? ちょ、ちょっと待って。クルミ一人で――」

「あなたは役に立たないので、後ろにいてください」


 冷然と言って、クルミは木刀を構えながらアヤネへと突進する。


 途中、左脇の水路から何本もの鋭い氷がクルミめがけて生え出るが、クルミはそれよりも速い速度でそこを駆け抜け、アヤネに迫る。


 アヤネはまるで檻の中に逃げ込むように、自らを半円形の水の格子で覆う。その口元には冷たい笑み。


「クルミ、ダメだ! 退けっ!」

「っ!?」


 クルミは突進にブレーキをかけ、こちらの言葉に従って後退しようとする。が、間に合わなかった。アヤネを覆っていた半円形の水の檻が、一瞬のうちに裏返ってクルミの上に覆い被さり、そして氷結した。


 檻は氷のはずだ。だが、その氷はまるで蛇のようにうねり、クルミの細い首を、腰を、太ももを締めつけ始める。


「やめろ! クルミは単なる護衛だ! 今すぐ退がらせるから、解放してやってくれ!」

「いやよ」


 アヤネは冷たい笑みを浮かべながら、


「だって、あなた方はわたしからプリンセスを奪うまで出ていってはくれないのでしょう? だから、しょうがないじゃない。もう――殺すしかないわ」

「殺す……?」

「言ったでしょ? わたし、冷たい女なの」


にやりと、酷薄に笑う。


「くっ……!」


 クルミが苦痛の声を漏らす。氷の檻は既にクルミの身体をきつく締め始めている。


「クルミ!」


切迫したその状況が、アキラから一切の迷いも、躊躇いも奪い去った。


 『守りたい』という願望ではない。『守る』。そう既に決定された意志が、アキラの前に道を示した。


――解った。この『キュートポーン・シューティングスターコーデ』に宿っている女子力は……『木の(ウツディ・ウォール)』だ。


「プリンセス、どうか私に力を……」


 うだうだ考えている暇はない。アキラは肩に掛けていた鞄を床に投げ捨て――一気に跳躍した。

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