マリーの災難
キアナに差し出された精霊は、輝く金髪に、長い触覚、大きな薄青い蛾の様な羽は鷲掴みにされ、くちゃくちゃになっている。
いったいこの羽は元に戻るのだろうか。
意識は無い様だが、自分より大きな、手紙を大事そうに抱え、白目を剥いている。
キアナは精霊に抱えられた、皺くちゃになった手紙の端を摘まんで引き上げると、白目を剥いたままの精霊も一緒に付いてくる。
「まあ、これは引き剥がしてしまってもいいのかしら」
この精霊が何者なのかはわからないが、チビが自分に差し出すのだから、この手紙は自分宛だろうと、キアナは手紙から精霊を引き剥がしにかかる。
精霊の腕をつかんで、手紙を引っ張るが、精霊は手紙を抱きかかえた腕を放そうとはしない。
意識は無い筈なのに、引き剥がそうとすると小さな腕にどんどん力を入れてくる、白目を剥いて、気を失ったままだと言うのに。
「チビ様、これはどうしましょう」
困ったキアナは、手紙の端を摘まむと、精霊がへばりついた手紙をチビの前でプラプラと揺らす。
チビはそれをどう受け取ったのか、心得たとばかりに一声鳴くと、精霊の頭をむんずと掴んで、じわじわと力を入れ始めた。
「痛い痛い、いたい、いたい頭割れちゃいます、チビ様チビ様放してくダサい」
精霊はチビの爪から逃れようと、手紙を放し、小さな手でチビの爪を掴むと脚を硬直させて、くちゃくちゃになった羽を伸ばしてバタつかせていたが、今度は泡を吹いてだらんとしてしまった。
「チビ様、手紙は放しましたが、不味くないですか、泡吹いてますよ」
しまった、やりすぎたとばかりにチビが爪を放すと、チビの足からだらんと下がっていた精霊が、ぺちゃッと、机の上におちた。
チビは額から汗を流しながら、チビに汗の流れるような額は無いのだが、そおーと、爪の先で精霊を転がしてみる。
精霊は机の上でチビの爪に転がされるままに転がり、ピクリともしない。
「チビ様、死んでしまったのでは?」
「ギィ」
思わず、チビの焦りの一声が漏れる
キアナが精霊の腹のあたりを人差し指で触ると、静かに上下している。
「とりあえず死んではいないようですね、取り合えず何処かに寝かしておきましょう」
キアナは柔らかい布の上に精霊を寝かせると、ふと考えた。
精霊が起きだして、逃げてしまったらどうしましょうと。
キアナはキョロキョロとあたりを見回し、丁度良い木箱を見つけると、棚の上に精霊を寝かせ、木箱をかぶせて、重しに果物籠を乗せると、安心したキアナは手紙を手に取って読み始める。
手紙を読み始めたキアナは、驚きのあまり声を上げ、眉間にしわを寄せ、顔を引き攣らせて、頭を抱え込む。
「うちの女王は・・・・」
手紙の内容はとんでも無い物だった、要約すると、ホルンソ王国がセレニア帝国に攻め滅ぼされ、その難民一万人以上をリゼルダーナに受け入れる事になった、との事、ついては、夜な夜なセレニア帝国に気付かれぬ様、偽装しながら、難民と食料をリゼルダーナに受け入れてほしい、と言う内容なのだが。
難民ラッシュだ、この間も受け入れたばかりだと言うのに、今度は桁が違う、それも三桁違う。
しかし断れない、状況的にもだが、女王が二つ返事で引き受けてしまっている、この手紙は相談では無く事後承諾だ、総てキアナに丸投げの。
キアナはフラフラと立ち上がると、部屋を出て、夫のクナシオに手紙を見せる。
「一万人以上、セレニア軍に見つからないように受け入れ・・・」
クナシオも頭を抱える。
「はい、当座の食糧は持参するようなのでもかく、寝床は確保できませんから、取りあえずは、世界樹の下にテントでも張りましょう、国ごと引っ越してくるのですから、ちゃんとした、住居と、流通を確保すればこの国も一足飛びに発展しますわね」
「そうだが、出来るか」
クナシオは、手紙を読みながら、こめかみに汗を滴らせ、不安をあらわにする。
住居と食料を与え続けているだけでは直ぐに破綻してしまう、流通を創ると言っても、一筋縄ではいかないだろう、民の働き口はどうする、一万人の雇用等ここにある筈もない、いったいどうやって作り出したらよいものか。
「やるしかありませんわ、リゼルダ様を担ぎ上げた時から、ある程度は覚悟していた事ですもの、ただ、流石にホルンソ王国の民がそっくり引っ越してくるとは思いませんでしたけれど、まずは、何としてでも、ロルド叔父様に協力してもらいましょう」
要は、人口一万人以上の町を早急に一から作る大イベントだ、セルディナ商会の協力無くして成功は無いだろう、失敗は許されない、失敗は即、リゼルダーナの滅亡を意味する。
キアナもクナシオもそこはしっかりと理解している。
直ぐにリゼルダーナの主だったものを集め、会議が開かれた。
会議は落ち度があってはならないと、夜を徹して細事に渡って議論され、ホルンソの難民受け入れが開始される。
その日から女王リゼルダ・キッシュハートが帰還するまで、リゼルダーナの会議室が空く事は無かった。
アマヒコの商隊は詰めるだけの荷を積み、直ぐにグランドバザールのロルドの元に向かった勿論積み荷は一番単価の高い甲殻土竜だ。
アマヒコはキアナに代りに、セルディナ商会の協力を取り付け、積み荷を売り払い、必要な物資と、セルディナ商会の協力隊を連れて帰る事が使命だ。
そして、ホルンソへ向かう救出部隊は、クナシオ・ダナト・レベル・ガレン・ロルファ・の五つの部隊が編成され、一日毎にホルンソに向けて出発していった。
そして、その護衛もまだ此処に留まっていた冒険者ザグ・ガラシャ・カラム・ビッチャムにトランをリーダーに編成し、商隊や奴隷の輸送に偽装した救出隊についていた。
アマヒコに遅れる事一日、クナシオ率いる最初の救出部隊がリゼルダーナを後にした。
◇◆◇◆◇
マリーが目を覚ますと、目を開けたにもかかわらず、闇に閉ざされ、ほとんど何も見えない状態だった。
マリーはその暗闇の中、光を探してあたりを見回すと、足元の方に微かな縦線が目に入った。
マリーは静かに起き上がると、縦線に近づき、微かな縦線を覗き込む。
其処からは、窓枠と其処から見える僅かな風景が細長く切り取られているだけで、他に何も見えなかった。
マリーは暗闇の中壁を伝って行くと、そこは窓も扉も何もない小さな四角い部だった、羽ばたけばすぐに天井にぶつかった。
閉じ込められている。
マリーは壁を押してみるがマリーの力ではビクともしない。
どうして閉じ込められているのか?マリーには見当もつかないが閉じ込められている。
「出してー誰か出してー」
マリーは叫びだすが、救けは来ない。
マリーは再び壁の隙間を覗き込むは何も変わった様子は無い。
「誰か救けてー」
マリーは外を覗きながら叫んでみるが、何も起こる気配は無かった。
マリーは又壁を押してみたり叫んだり暗闇の中でせわしなく動いたが相変らず、壁びくともせず、避けんでも救けは来なかった。
ただ、何故かマリーの鼻には甘く美味しそうな果物の匂いだけが漂ってきた。
(何、この匂いは、は~美味しそう、いろんな果物の匂いがする)
キュルルルルー
マリーの腹の虫が騒ぎ出す。
(は~お腹すいたわ、のど乾いたわ)
マリーが座り込むと、果物の香りはいっそう強くマリーの鼻孔を刺激する。
空腹に耐えきれなくなったマリーは、外の見える僅かな隙間から長い触覚を出すとパタパタと辺りさぐる。
マリーの触覚は、真上に網の様な物がありその中にある果物に僅かに触れる。
(上に果物があるわ、上に果物がある)
そう、それはキアナがおもりの代りに置いた果物籠に入った果物なのだが、それが其処に有るのが分かったからと言って、その下の木箱に閉じ込められたマリーがどうにかできるものでも無いのだが、マリーは頭上の果物を見つけて大興奮だった。
マリーは更に触角を突き出し、触覚を籠に絡めて、果物に触ろうと、羽までばたつかせて頑張った。
その甲斐あってマリーの触覚は果物にペタペタと触れるようになったが、それ以上どうなる物でもない。
空腹服とのどの渇きに侵されているマリーはそれでも果物に自分の触角をペタペタと中てていると、触覚が網の目に引っ掛かり外す事が出来なくなってしまった。
「あ!う~」
マリーはパニックになり、羽をパタパタさせ続けたが、そのまそこで力尽き、眠ってしまう。
外から見ると棚の上で、果物籠の乗った木箱の隙間から二本の触覚が飛び出し、一本は上の果物籠に絡まり、もう一本は誰りと木箱から下に垂れ下がっていた。
そんな些細な物に気が付くのは、それを置いたキアナ本人以外いないであろう。
チビも確かに見ていたはずだが、多分既に忘れている事だろう。
そのキアナが返ってきたのは次の日の夕刻だった、マリーの事など綺麗さっぱり忘れていたキアナは、のどの渇きをいやそうと棚の果物籠に入ったポポンの実に手を伸ばす。
頭の中で別の事を考えながら手を伸ばしたキアナは、土台の木箱ごと果物籠をひっくり返し床に落としてしまった。
キュルルルルー
「あら、精霊さん・・・・・」
果物と一緒に床に散らばったマリーを見てキアナは総てを思い出す。