リックの価値
そんな訳で、今リュウジは教会から帰ると、リックと一緒に、ザルクを手伝う為に畑に向かていた。
途中少し小ぶりの、切石を積み上げた石垣を過ぎると、目の前に、以前リックから伝えられた風景が広がり始め、不思議な感覚がリュウジを襲う。
初めて来る場所なのに、まるで一度来たことが有るかのような感覚だ。
リックの接触言語で、送られて来た風景なのは、理解しているのだが、感覚が追い付かない。
何十にも区切られた広大な畑が、山の頂に有り、石垣に囲まれたその畑が、まるで宙に浮いているように見える風景。
その向こう端に微かに見える門を潜れば、リュウジの拾われた、麓に続くつづら折りの道が続いている。
そんな畑の一角で、ベンとハンが、爪の何本かついたプラウに重りを乗せて畑を勝手に耕している。
その横で、ザルクが何やら種を蒔いていた。
馬と言うのはここまで、利口なのかと、これなら、当時の農家が、馬を家族のように大事にしてもいたのも頷ける、感動すら覚えて聴いてみたら、こんな事が出来るのは家の馬だけだとの答えが、帰って来た。
普通は人間が、人間が後ろでプラウを持っていいるものだ、ベンとハンが単独で耕せるのは、リックの躾と訓練の賜物らしい。
リュウジも一緒に、種を蒔き始まったが、どうも種と言うか種芋らしい、ジャガイモのようだが、ジャガイモよりもザラザラとした皮で、色も少し灰色に近い、この辺では、主食の一つになっている芋で、石芋と言うそうだ、見た目のまんまだ。
リュウジが石芋を手に持ってまじまじと見ていると、ザルクの「あっ」と言う呟きと共に、後ろから来たリックが、其れを頬張って、スタスタと歩いて行った。
「リック、種芋を食うな!」
ザルクに窘められても悪びれもせず、リック用のプラウなのだろう、一回り大きなプラウを付けてもらい、畑を耕し始める。
リュウッジは、動物だけで畑がどんどん耕されて行く不思議な光景にしばし魅入られていたが、ザルクに種芋を渡されると、ザルクと一緒に種芋を蒔いてゆく。
しばらくすると反対側から、リックが、ベンを従えて種芋を蒔いててきている。
耕し終わった後に、ベンに種芋の箱を載せた一本刃のプラウを引かせて溝を掘りながら、リックが、等間隔に種芋を蒔いている。
農業など、従事した事のないリュウジよりも、遥かにに戦力になっている。
ベンをここまで訓練し、動かしているのがリックだ、となると、リックの価値たるや、計り知れない、此れはもう確かに家族以上かもしれない。
そう思って畑を見回すと、ハンが草を食みながら、畑の隅をウロウロとしている。
聞いてみると、ハンはリックよりも先にザルクの所にいた馬で、当然リックが躾や訓練を施したのだが、歳のせいもありベンほど物覚えはよくなかったようだ、人間の言葉の理解度も低く、ベンの様に種まきの手伝い等は出来ないらしい、今では二十歳を超えた老馬になってしまい、体力も無くなり、畑を耕し終わると、動けなくなってしまい畑の隅をウロウロとしているそうだ。
逆にベンは多くの子馬の中から、リックが選んで育てた馬で、五六歳まではギルよりも賢かったらしい。
それは馬の中では相当に賢い馬だろう、普通の馬が三歳児程度と言われているのに対し、五六歳児程度賢さがあるということだ。
リックはこれを見分ける事が出来るという事だ。
◇◆◇◆◇
次の日からリュウジは、此れは一つの商売になるのではないかと思いはじめ、いろいろと考え始めた。
ザルクに聞くと、ベンとハンのように物事をある程度理解し、自ら動く馬は、他には居ないとの事だ、それは当然リックが躾、訓練を施した成果だ。
どんなに素質のある馬を見つけても、躾や訓練を施す者が居なければ、それは唯の馬のまま終わってしまう。
ゆえにハンとベンはこの辺では、一人で畑を耕す賢すぎる馬として有名だったりした。
もしベンとハンが普通の馬だったならば、ザルクの収入は激減するだろう、現にリックが来る前は、月に一度狩りに行けるかどうかだったそうだ、それが今では、リックのお陰も有るが、週に二日は狩りに出かけられるのだ。
そこでリュウジは考えた、リックが他の家の馬の躾と訓練を有料で請け負ってはどうだろう。
多少割高でも効果は絶大、農作業の何割かを馬が引き受けてくれる事になるのだから、実質的にはかなりお得な話になるだろう、此れはかなりのお客を見込めるのではなかろうか。
実際には、可能な馬と不可能な馬が出るが、子馬の買い付けからならほぼ可能だろう。
後はザルクの仕事からリックを抜いても採算の取れる料金に設定しなければならない。
ザルクが狩りに行く時等は、今まで道理必ずザルクに同行するようにしなければならない、魔境の中で俊敏に移動できるリックの機動性は狩りには欠かせない物だからだ。
もしリックが同行しなければ、獲物は半減では済まないだろう。
リュウジはすぐさま、ザルクの家族と共にプランを練り始めたが、リックと話しているうちに、いくつか、リュウジの予想外の展開が出て来た。
最初は大雑把なプランだけで、リック負かせで大丈夫と軽く考えていたのだが、リックはいくら賢い魔獣だと言っても、大人程ではない、せいぜい人の子供歳程度の頭なのだ、接触言語に慣れてしまい普通に意思疎通していた為、失念してしまっていたのだが、子供に、一人でどこどこに行ってこんな仕事をして来い、と言っても難しいな話だろう。
結局リュウジがリックに方法を聞き取りながらプランを練り、細かい時間割のようなものを作り、リュウジも一緒に行くのが最善だと言う事が判明した、まともな仕事もない今のリュウジにはかえって心の負荷が小さくなるので、そのままプランは練り込まれ、ザルク家の新たな収入源とするため、慎重に実行されることとなった。
本当なら優秀な子馬を何匹も買い付け、育ててから売ったほうが効率がいいのだが、何せ馬自体が車並みの値段なので、なかなかそうも行かない、まして売れる様に、なるまでには何年もの時間を要し、その間は出資する一方なのだ、歯がゆいが、そのつどお金になる所からやって行くしかないだろう。
「リュウジ凄いわ、こんな事思いつきもしなかった」
イルベリーは感心したように言った。
「リックを人間の様に仕事に就かせるとは思いもよらなかった、まあどっちにしてもリュウジが居なければ無理だったろうがな」
ザルクも相好を崩しながら頷いている。
「とりあえず、こんな感じでお客を探して見ましょう」
「しかし少し高すぎやしないか、躾け一式五十万ラグル子馬選びからだと八十万ラグルとは」
ザルクは少し心配そうに言ったがリュウジは引き下がらなかった。覚えた単語を駆使しながら力説する。
「高くありませんよ、これ以上安いと、採算が合わなくなります、仔馬選びに行くのだって、何日もかかるのでしょう、それにいくらがんばっても多分一回に四五頭ずつしか訓練出来ませんから、逆に格安ですよ、特に子馬からだと、ほぼ確実にベン並みになると思えば、どれ程得か、ザルクさんはベンを幾らだったら売ります」
ザルクは不意打ちを食らって焦ったが、答えは考えるまでも無かった。
「とても売る気になれない」
リュウジはわが意を得たりと、ニンマリとして再び話し始める。
「そうでしょう、値段付けられませんよね、何回か訓練で元手が出来れば、次には子馬から育てた、ベンの様な馬を売るようにすれば良いのです、強気の値段が付けられるでしょう、軍馬の相場が三百万ラグルと言ってましたよね、であれば、最低でも将来此処で育てた馬は、それ位で売れる筈ですよ」
イルベリーの顔がほころぶ。
「そうね、ベンが三匹もいれば、ほとんど労力は掛からなくなるわ、畑だって、他の家は一家総出で植え付けしているが、家はザルク一人、それも馬達が耕した畑に種をまくだけ、それに厩の掃除も、時々敷き藁を変えてやる程度、きっと何処に出しても引っ張りだこよ」
イルベリーはもう成功が決まったかの様にうきうきと話した。
「そうだな、まず隣の畑のガリックにでも話を持ちかけてみるか、あいつ、だいぶベンを羨ましがっていたし、最近馬を買い換えたったばかりだからな、確かまだかなり若い馬だったような」
「じゃガリックが最初の御客さんね」
ザルクとイルベリーの間で、サクサクと話が進んでいたが、リュウジが割ってはいる。
「いや、そんなに良い条件ならサクラになって貰いましょう」
「桜?」
「そうサクラ、最初は実験と言う事で、経費だけで請負い、対価の変わりにその噂を広めてもらいましょう」
「なるほど、ガリックの馬を見れば、自分たちの馬がどんな風に仕上がるか、判るって訳か」
「そう言う事になります」
「それなら最初から安心して頼めるわね」
「はい」
話が進んでいる脇で、リックが触手をうねうねとさせて、何か言いたそうなそぶりをしている。
するとザルクがはしっと、その触手を捕まえて言った。
「なるほど、解った、あまりにもお馬鹿な馬の時には断るよ」
その心配は考慮されていたが、何も聞いていないリックの心配は尤もだろう。
◇◆◇◆◇
「良い馬だなー」
ザルクはガリックの馬を見て言う、黒いビロードのような毛並みの大流星の若馬で、まだ二歳にもなっていないと言う事だ。
「そうだろ、コイツは賢いぞ、クロノスって言うんだ」
かなり自慢げだが、実際かなり美しく落ち着きがあり、賢そうだ、これならガリックの気持ちも解ると言うものだ、ザルクはクロノスの首を撫でながら話し始める。
「ガリック、うちのベン気に入っていたよな」
「ああ、クロノスもあれくらいにしてみせるぞ」
「まあ、普通にやっても、ああはならないんだけどな」
ザルクの勿体ぶった言い回しに、ガリックは怪訝そうな顔をする。
「どういう事だ、コツでも有るなら教えろ」
「コツとかは無いのだがな」
「じゃ何が有るんだ」
「秘密が有る」
「其れは教えてくれるのか」
「もちろんだ、ただ少し協力して貰いたいことがあるのだが」
少し考えてガリックが答える。
「どんな事だ、ものにもよるが、此奴がベンの様になるのなら」
ザルクはやはりクロノスを撫でながら言う。
「そうだな、上手く行ったらその成果を宣伝してほしい、良い噂を流してくれれば良いのさ、そしたらガリックの分は経費だけで請け負うよ」
「それは構わんが、本当は幾ら位で請け負うつもりなのだ」
ザルクがガリックの耳元で囁くと、ガリックは驚きの声を上げる
「おいおい、其れはぼったくりじゃないか」
「そうでもないさ、その価値はある」
「いやいや、それでも中々其処まで金掛ける奴は居ないぞ」
かなり否定的な意見が帰って来たが、此れは予想の範疇だ、昨夜リュウジと今日の訪問については、じっくりと練りこんである、ザルクは昨日リュウジと練りこんだ通りの行動に出る。
「そうは言うが、ガリックよ、明日から厩の、馬糞掃除しなくて済むようになる。と言ったら」
「う、、」
ガリックは小さく唸る。
此れはかなり魅力的な提案だろう、馬糞掃除は重労働だし、時間もかかる、此れをこれから、ずっとしなくて良いとなれば、どれ程楽になる事か、時間的にもかなりの節約になるだろう。
ザルクはダメ押し、とばかりにガリックを誘う。
「ガリック、家の厩、見に来ないか」
百聞は一見に如かずで、見せてしまえば一番早い。
ザルクは予定通りガリックを家に招く事に成功した。
ザルクの家に案内されたがリックが、リックの部屋を見た時の、驚きようは何とも見物だった。
ドアを開けて直ぐに、乾草のベッドから起き上がり、スタスタと寄ってきたリックに挨拶され、口を半開きにしたまま呆然として、何十秒か機能停止していた。
まずリックの部屋をきょろきょろと見回し、リックに鞍を自慢され、リュウジの時と殆ど同じパターンだ。
リュウジは其れを微笑ましく眺めながら、最近見慣れはしたが、その実に人間じみた部屋の主は、もっと人間じみている事を思い出していた。
わずかにへこんでいる土間を、蹄で平らにしてみたり、棚の模様替え等している姿は、魔獣のそれでは無かった、棚の置物の向きを鼻先で直している処等、人間臭さと魔獣の姿が相まって、何とも言い難いギャップをかもしだすのだ。
最も棚の置物は、人間の子供のようではあるが、やはりそれとも一風変わっていた、訳のわからない、何かの根だったり、動物の骨のようなもの、また様々な石や、何か木製の破片の様な物、石の中には幾つか確かに綺麗な物も混じっていた。
アイゼベリックという魔獣は収集癖でも有るのだろうか、それともリック特有のものなのだろうか、リュウジがそんな事を考えていると、ガリックが再起動し始めた様だ。
「凄い、アイゼベリックの思っている事が判る」
さらに進んで厩に行くと、ガリックは目を見張る。
「信じられん馬糞が全く無いなんて、どうやって片付けたのだ」
厩は掃除した形跡もないのに馬糞どころか、臭いもせず、柵すら閉まっていないのだ。
「だから、片付けなくて済むのだと言っただろ」
「なら馬糞はどこに行ったのだ、お前のところの馬は糞をしないのか」
「そんな事あるか、ちゃんとトイレに行くだけだ」
「なに・・」
ガリックはザルクとトトに案内され、馬たちのトイレの有る裏手の菜園まで移動し、しばし待っていると、ハンが現れ、作物に気を使いながら移動し用を足して戻って行く。
ガリックが、信じられないものを見てしまった思いをしていると、ザルクがダメ押しとばかりに話し掛ける。
「ガリック、どうだ、良いだろ」
「お前の処の馬は人の血でも混じっているのか」
「何を言っている、唯の馬だ、秘密を教えると言ったろ」
「アイセベリックか」
ガリックは菜園の隅でギルとじゃれ合っているリックに視線を移しながら言った。
「そう、ほぼ正解。ただリックだけじゃ駄目なんでね、間人もセットと言う事で、リュウジとリックで、お前の処の馬を見させてもらうが、どうだ」
ガリックは期待と心配の入り混じった複雑な表情をうかべる。
「今更だがザルクよ、リックは大丈夫なのか、魔獣だろ、今までは少し強い馬の代わり位にしか見ていなかったが、こんな能力が有るとなれば・・」
ザルクはガリックのセリフが言い終わらないうちに、楽しそうにじゃれ合っているギルとリックのほうに、ガリックの視線を誘導しながら台詞をかぶせる。
「ガリック、あれが何かまずそうに見えるか。大丈夫だ、リックは赤ん坊の時から家にいて、イルベリーと俺で育てたうちの家族だ」
ザルクはダメ押し、とばかりにガリックに視線を合わせ話し続ける。
「トトより小さい位の時に、狩りに行った先の川に流れていてな、どこかの犬かと思って助けてみたら、魔獣の子供で、それがリックだったと言う訳だ。最初は助かるとは思えないくらい衰弱していて、駄目だと思ったのだが、余りに綺麗な魔獣の子だったのでイルベリーが真剣でな、持ち直して最初に意思が伝わった時にはびっくりしたよ、俺達も、意思の疎通が出来る魔獣だとは思わなかったからな、今回のお前よりびっくりしたぞ」
「解った、頼むよ、お前の処の馬の様になるのだな」
ガリックは何かに負けた、自分の馬がこうなるのなら細事は気にしないことにした様だ。
「クロノスなら大丈夫だ、任せろ、経費はそっち持ちだからな、約束は守ってくれよ」
「勿論だ、頼むぜ」
ガリックは満面の笑みを浮かべとザルクと手を撃ち合わせる