ルピタ
彼女が目を覚ますと、其処は小さな部屋だった、小さな毛布に低い天井、足元から射す光の方を見てみれば、彼女の脚は毛布どころか部屋にも入りきらず両開きの扉から外にはみ出していた、大人が子供用のベッドに寝転がり、足が入りきらずにベッドから突き出ているような状態だ。
ただ違うのはその両扉の向こうには大樹街道が延々と続いている事だった。
彼女が部屋だと思ったのは、少し大きめに作られた馬車だった。
彼女は起き上がろうとするが、重い体に力は入らず関節には鈍い痛みが走った。
彼女は起き上がるのをあきらめ、またそこに体を横たえる。
「助かったのか、信じられない」
「そうよ、リュウジ様があなたを助けたの」
答えを期待しなかった呟きに、頭の上から答えが返ってきた。
見れば御者台から銀髪の娘が彼女を覗いていた。
「リュウジとは、そうか、あの男か、 向こうに逝ったら礼を言わねばな」
彼女は、自分を助けようと目の前で腕を切り落とされ、脇腹を掻っ捌かれ、腸を引きずりながらも、敵を討った男の姿を思い出していた。
「御礼なら此処で言ってください、死んでいませんから」
さらりと予想外な言葉が御者台の女から帰って来る。
「馬鹿な、あれではポーションも使えない、ドラゴナイトでもなければ助からんぞ」
「らしいですね、ドラゴナイトでも無理だと言っていましたが」
「だろうな、 なら何故、そうか、重傷なのか、もう助からんと言う事か」
「元気ですよ、確かにあの時危なかったのは確かですけど」
「バカな、元気だと」
「もう直ぐ来ますから直接話してくださいな」
カヤナは肩を竦める。
「気が付いたんだって」
(しかし、本当にでかいな、馬車から足がはみ出している、スケイルホースくらいあるんじゃないか?馬並みか)
リュウジがそんな失礼なことを考えながら顔を出すと、本人から驚愕の呟きが帰ってくる。
「在り得ない」
彼女の見開かれためは、有り得ないものを見ていた。
「あれで生きていたら、お前は人間じゃないのか!」
「いや、そこはしっかりと・・・しているかどうかはともかく、人間だから、ともかくその理由も含めて説明するよ、俺はリュウジだ、宜しくな」
「そうか、私はルピタと言う、今は礼を言うしかできないが、ありがとう、私の仲間は誰も助からなかったか、」
そう、駄目だと思った自分が助かっているのなら、もしかすれば誰か一人ぐらいはと思って訪ねたのだったが、答えはにべもないものだった。
「すまんな、あんた以外は既に死んでいた」
そう8体の死体があった。
どの死体もなます切りにされ、いくつもの剣や槍が突き刺さっていた。
そして、敵の死体はその何倍も転がっていた、それは、ろくに動かない躰でさえ彼らがいかに強いか物語っていた。
「そうか」
解っていた事だった。
確かめただけだった。
そう、油断だった、ここから先は大樹街道をそれ魔境に入る為、遅れてくる仲間を待つ間、装備まで外して休んでいる処へ麻痺毒を散布された。
遠巻きに包囲され、じわじわと体の自由を奪われ、気が付けば装備を付ける暇もなく壊滅だ。
銀虎と言えば一騎当千、ドラゴナイトと互角に戦えると言われる数少ない種族だ、それが8人も揃ってどうだ、逃げ出すことすら叶わずに壊滅だ。
慢心だった、自分達には魔法も効かない、剣も効かない、毒も魔素で作った魔法の毒なら効かない、ドラゴナイトとも戦える膂力、何者にも負ける事はないとどこかで思っていた。
もし、自分がそんな相手と戦うのなら、毒に、罠に、人質を取ったって良い、戦う方法なら幾らだって有ると言うのに、慢心していた。
涙が流れる。
「頼みがあるのだが」
「出来る事なら」
「あと二人仲間がいるのだ、もうすぐ此処に来るはずなのだ、待ってもらえないだろうか」
「勿論 でも良かったな、生き残ってる奴がいて」
リュウジはタオルを目の上に乗せ、涙を隠してやる。
「何故救けてくれたんだ、自分の命までかけて」
「どのみち巻き込まれそうだったからな、それに負ける予定はさらさら無かったしな、それに、俺の故郷じゃ見過ごすと恥になる。見過ごせば武士ではなくなってしまうからな」
(何を言っている、つい口が、勝手に心にも無いことを、だいたい武士なんて既に絶滅して居なかっただろ!)
『主様随分カッコイイセリフでございますね』
『すまん、つい言ってみたかったんだ』
「リュウジ殿の故郷が何処なのかは知る由もないが、凄い国なのじゃな、普通あんな状況に一人で救けに入る者などおらん、事が終わるまで隠れているものだ」
「そうかもしれんがそれは出来ん、大和魂が許さない」
『また、大丈夫ですか主様、見てみ見ぬふりが必要な事もあると思いますが』
『だよな-、俺もそう思うんだけど、もう引っ込みがつかない』
『大和魂ですか‥‥‥』
「大和魂?」
「そう大和魂、俺たち民族の心の在り方だ、俺たちはそれに従って生きる」
「その為に命を失う様な事があってもか」
「ああ、心の在り方だからな、時には命と天秤に掛かる事もある。」
「そうなのか、それでも私達の為に命を懸けてくれたのは確かだ」
「負ける予定は無かったと、言ったはずだが」
「それは聞いたが、危なかったと言っていたぞ、貴殿の従者が」
「カヤナか、カヤナもクルトもリゼルダの従者だ、俺に従者なんて居ないよ、」
「そうなのか」
「ああ、それよりも貴方に話しておかなければならない事がある、少しショックな話も有るかもしれないが、貴方を助けるのにそれしか思い付かなかったのだ、だから少し心して聞いてくれ」
「命を救ってもらったのだ、これ以上はない」
「そうか、ではとりあえず、俺のスティーダを紹介しょう」
(スティーダ?精霊騎士なのか!)
そう、スティーダとは、精霊騎士の誓約守護精霊の総称、今では絶滅してしまったのではないかと言われ、ルピタも村の語り部から聞いたことしかない存在だ。
ルピタは思わずリュウジを凝視する。
すると、リュウジの襟首から白い精霊が顔を出す。
ルピタを見ると精霊は一度顔を引っ込め、今度は脚を出し、用意されたリュウジの手のひらにずり落ちる。
精霊は、リュウジの手のひらの上で、ルピタの方に向き直ると、重い翅を引きずるように振り返った。
彼女は、その翅を両側に少し上げると片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋を伸ばし、挨拶する。
「リュウジのスティーダ、白蓮と申します。以後お見知りおきを」
白蓮の口調ががほんの少し固くなる、そう、銀虎族の女を見て、心躍らせるリュウジの内面が白蓮に伝わってくるのだ。
元の世界では物語の中でしか出会えない存在、この世界に来てから、そんな存在に沢山出会ったが、その中でも銀虎の存在感と美しさはリュウジの想像力をはるかに超えていた。
恋心とかでは無いが、リュウジの心がその異色の美しさに引き付けられているのだ。
ゆえに白蓮はほんの少しだけ言葉を固くさせながら目の前の銀虎族の女を見る。まるで品定めでもするかのように。
そう、白蓮はリュウジのスティーダなのだから。
ルピタは手のひらの上から小さな白い精霊に、余りに見事な挨拶をもらい我に返る。
「ギ、 銀虎族のルピタだ、助けていただいてありがとう、この借りはいつか必ず」
ルピタは無理矢理身を起こすと理屈み込み、小さな白蓮の前に、その大きな頭を深々と下げるのだった。
村の語り部の言葉を信じるのなら、スティーダとはその誓約者と同一と見なさなくてはならない存在なのだ。
誓約者はファラトナと呼ばれ、精霊騎士とはスティーダとファラトナの事なのだ、スティーダとファラトナは二人であり同一の人物なのだ。
なればこの白い精霊も自分の命の恩人だった。
「気にしないでください、いくつか説明しますね」
ルピタが頭を上げると、リュウジは真っ白な柔肌が見えるかと思い思わず胸元に視線を向けるが、そこはダイヤモンドの輝きよりも眩い光の乱反射で隠されていた、どう言う原理なのかルピタはドレスのように光を身にまとっていた。
胸元が大きく開いた、光で出来たドレスだ。
「凄いどうなってるんだ」
『主様…』
「私たちの民族衣装と言った処です、あまり知られていませんが、私達の体毛は魔法を無効にするだけでなく、こんな事もできるのです」
「説明しますよ!」
「はい」
ピシャリ、とした白蓮の言葉にリュウジとルピタの話が打ち切られる。
「いいですか、まず貴方の体の中に今これが沢山入っています」
そう言って差し出された小さな手のひらには、半透明の蒼い液体が蠢いている。
お世辞にも体の中に入っていると言われて気持ちの良いものではない。
視線はそのまま蠢く液体に固定され、ルピタの白い肌からは血の気が失せ青白くなっていた。
躰は蝋人形のように固定され、ごくりと唾をのむ音が聞こえる。
「それは・・・・」
「シンビースライムと言って、言うなれば私の眷属と言った処です、可愛いでしょ、この子達が貴方を守ってくれたのよ、これからも貴方の体の中に住み続け貴方を守り続けるわ」
「私の体の中に今も居るのか…」
白蓮はおもむろにボタンの隙間に手を突っ込み、スライムをリュウジの体の中に返すと、にこやかに微笑みながら言い切った。
「ええ、今も沢山居ますよ」
「今のスライムは?」
「今のは主様のスライムですから」
「リュウジ殿の中にも居るのか」
「そうよ、沢山いるわ、この子達は有能よ、この子達の御かげでだいぶ助かったわ、この子達もだいぶ犠牲になったけど」
そう、彼らは血と一緒に流れ出し、だいぶ数を減らしていた。
「そ、それでこのスライムは、どうやって体から出したら良いんだ」
「それはもう無理なのです、私がいくら呼び出しても、体の中にどうしても少し残ってしまうのです、するとまた一定の数まですぐに繁殖してしまうので」
ルピタの頭の中に血液がどんどんスライムになって行き自分の皮膚の下でれが蠢き、毛穴から蒼い半透明のスライムが滲んでくる自分の姿が映った。
すっぱい物が胃からこみ上げ、ルピタは口元を押さえると馬車を飛び出し地面に両手をつき、尻尾を硬直させながら嘔吐していた。
スライムと言えばここではナメクジやヒルと同じくらい嫌われている、それが体の中で繁殖していると想像してみてほしい、そうすれば少しはルピタの気持ちも分かってもらえるだろう。
リュウジとカヤナは駆け寄って背中をさすったが、出す物が無くなるまで治まる様子は無かった。
違和感なくそれが出来るのは異世界から来て、白蓮と記憶を共有するリュウジくらいだろう。
二人は何とかルピタを運び馬車のベッドに戻すと、スライム達がどれほど有能か懇切丁寧に説明し何とかルピタを落着かせた。
ルピタは少し落ち着くと、諦めるように言葉を絞り出し再び毛布の中に納まった。
「救けてもらったのにすまない、少し取り乱してしまった、」
「気にするな」
「一つ聞かせてくれ、斬られるときやはり痛みはあるのか?」
そう、あの時、リュウジは斬られても声も上げず、何事も無かったかの様にに動き続けていた。
「最初だけな」
勿論それは白蓮が痛覚を遮断するまでの事だが、ルピタはそうはとらない、すぐに痛みに慣れると言うような意味に解釈していた。
自分に気を使いそんな言い方をしたのだと。
「そうか、すまなかった」
そう言ってルピタが疲れ果て意識を手放してから、さほどしないうちにルピタの気にしていた仲間は現れた。
◇◆◇◆◇
彼らは、崖の上にいた、カベルネとビニオン、銀虎族のルピタ付きの若い衆、腕は立つがルピタ以外の言う事は聞かない問題児だ。
ルピタも彼らに甘いところがあり、今回も勝手に隊を抜け、街にくりだし、集合時間に間に合わずおいて行かれたのだ、普通なら懲罰物である。
二人は、追いついたらしいが、状況がつかめず、崖の上から状況観察を始めたのだが、この二人にそんな事は無理だった。
「おい、あれが見えるか!」
「ああ、どういう状況だ」
「馬車で寝ている」
「バカか、それは判っている、どうしてそうなったかと言う事だ、皆は同したんだ」
「知るかボケ、行ってみりゃ解るだろ」
二人の眼下には少し大き目の馬車とそこから突き出ているルピタの足が見えていた。
その周りを多様な人種がうろついていたのだが、奥の木陰では、食事が始まったようで馬車の周りからは人影が消えていた。
「待て、もう少し様子を見てから、」
言うなり崖を降り始めるカベルネを追いかけ、結局のところビニオンも崖を降りてゆく。
二メートルを超える巨躯に景色を映し出す体毛、うっすらと青い魔獣凱を装備し巨大な槍を携えて馬車に向かって真っすぐに崖を走り下りるカベルネ。
巨大な剣を背負って、それを追いかけるビニオン。
その彼らの前に、彼らと比べても見劣りしない巨体が舞い降りる。
それは馬車よりも長い翼を広げ、鮫の様な歯をむき出し、彼らを威嚇した。
(キシャ―)
その頭に小さな影が降り立ち、彼らに話しかけた。
「ボスに守れと言われている、通せない、去れ」
「ハーピィに、しゃべるダナバード」
これは斬ってもいいものか、二人は立ち止った、ドラゴナイトと戦える種族だ、その気になればハーピィなど瞬殺だが、曲がりなりにもボスに自分たちの仲間を守るように言われていると言う。
これは流石に切れないとビニオンは思ったが、カベルネは違ったらしい。
「とりあえず斬っとくか」
「待て待て待て」
いきなりハーピィに向けて突き出そうとしたカベルネの槍を、ビニオンが急いで捕まえる。
「うちの姫様を守っていると言ったろう」
「だが、ハーピィとダナバードだぞ」
二人がそんなやり取りをしている間に、馬車の屋根や、近くの木の枝にダナバード達が集まっていた。
「なんかこまいのが集まってきたぞ」
「だからとりあえずこいつら斬っちまおう」
「だから、よせつうの」
「そうだ、よしてくれ、そいつ等は俺の大事なペットなんだ」
リュウジが近づくとダナバードを頭に乗せたハーピィは、長い翼を畳みリュウジの元に寄って来る。
「あんたがこいつらのボス?」
「ああそうだ、それで、あんたらが、ルピタの言っていた後から来る仲間か」
「ああそうだ、それで、ほかにも仲間がいたはずだ」
ビニオンはカベルネの槍を放し、リュウジに対し身構える。
「それについては場所を移そう、ルピタが起きてしまう」
◇◆◇◆◇
それは二人には信じられない話だった、状況は聞いたが、種族の中でも、選りすぐった精鋭だった彼らが、その気になれば小さな国の一つくらいは落とせると言われるほどの戦力だったはずだ、それが、たかが奴隷商人如きに。
自分たちの師匠までいたのだ、例え毒を盛られても奴隷商人如きの戦力に遅れをとるとは思えなかった。
いったいどんな毒だったのか、微量に吸い込んだだけで銀虎の動きを著しく阻害するそんな毒、今まで見たことも無かった。
「そんな訳だ、飲むか」
彼らは、リュウジが差し出した樽ジョッキのエールを鷲掴みにすると、一気に飲み干した。
白蓮は彼らと一緒に酔おうというリュウジの意を酌み楚々として静かに、リュウジから抜け出ると、ハーピィの頭に乗ってリュウジ達から離れていった。
そう、リュウジの中にいるとアルコールを分解し一切酔わせないか、あえて一緒に酔うか、の選択になるので、しばし部下にしたハーピィの内で過ごすことにしたのだ。
白蓮はハーピィの背中を下ると、腰あたりに触手と化した髪を打ち込み、痛覚を消し体内に潜り込み、調整したシンビースライムを放しハーピィの体内でウトウトと休み始めた。
ハクレンは生物の体内で過ごす事が出来る、勿論リュウジ以外から養分はもらえないので、リュウジから離れれば餓死するし、痛覚の遮断、多少の潜在能力の引き出し程度しか出来ないので、人間にすれば布団の中に頭からすっぽりと潜っているようなもので、休息所以外あまり使い道はない能力でもあるが、休息は大事だ。
目を覚ますと、ルピタの決心は固まっていた。
彼についてゆきたい、もう彼から離れるなど考えられないほどに、ルピタの心は彼にとらわれてしまっていた。




