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異世界の誓約者  作者: 七足八羽
異世界
3/60

天空の街

「おーいすまない、開けてくれるか」


「ザルクか、今開ける、少し待ってろ」


 顔見知りの門番がザルクの声を聞き、日暮れに一度閉めた、分厚い門の、閂をを外す。


 門番といっても、この街の門番は兵士ではない、街の自警団が交代で番をしているのだ。


 そうこの街に軍隊は居ない、この街の戦力は自警団と冒険者が居るだけでだ。


 ただし、どちらも少数精鋭で最果ての強力な魔獣とわたりあえるもの達だ。


 この街はミュラと言い、人間が住む最果ての街だ、この街より奥に人は住まない、この街は魔獣狩り、鉱物採取、植物採取、等々この街より先に向かう者のベースキャンプのような役割も果たしている。


 人口二千人に満たない、断崖に囲まれた小さな街で、人々には天空の街と喚ばれている。


 そんな自然の要塞のような街の出入り口は、麓に向かう門と、山に向かう門の二箇所きりで、他の場所は石壁を乗り越えても下は数千メートルの断崖だ。


 山に向かう門を潜って百数十メートル行くと川があり滝がある、この川から村に水が引かれている、そして川を渡り森に入れば其処は深淵の森、魔の森の入口だ。


 逆に、麓に向かう門を潜り、つづら折りの道をひたすら歩けば麓に着き、次の町まで五日はかかるそんな街だ。


 門番が出てくると、ザルクは荷台に回り、門番に今日の拾い物を見せた。


「悪いが、こいつを街に入れていいか、通行証も何も持ってはいないと思うが、このまま放っておけないだろう」


「そうだな」


 ザルクが訴えると門番も同意した。


 馬車の荷台の上には、気を失った竜司が寝かされている。


 わき腹からは大量に出血し、左脚は少し変な方向を向いているように見える。


「ほっときゃ明日の朝まで持たんだろ、入れてやろう」


「良いんだな」


「ああ、(まち)(おさ)には俺が話しておこう、どの道その怪我じゃ動けないだろうからな、でもそいつの剣は、預からせてもらうぞ、しかしそんな奴何処で拾ったんだ」

 

「七段めあたりで、ダナバードに血吸われながら転がってた、」


「足でも踏み外したか」


「そんなところだろ」



◇◆◇◆◇



 ザルクは家に着くなり、荷解きもせず、馬車ごとリックに任せると、けが人を家に運び入れた。


 馬車はリックが、裏の納屋まで運んで行く。


「イルベリー!」


 ザルクが妻を呼ぶと、奥から腰まである栗色の髪を、肩の辺りで一つに纏めた、鳶色の瞳の活発そうな女性が現れる。


「まあ!これは重傷ね、急いでベッドまで運んで下さいな」


 ザルクはイルベリーに言われるまま、男をベッドまで運ぶ。


 イルベリーは用意した湯で男の傷口を洗ってみたが、傷は深く、助かるようには見えなかった。


 頭、左脇腹、左大腿部、左脇腹と左大腿部の傷は深く、まだ傷口から、血が滲んでいる。


 これでは、医者もきっと匙を投げるだろう。


 ザルクは、妻のイルベリーにけが人を任せると、リックを馬車から外し、鞍もつけずにまたがると、医者を迎えに走った。


 イルベリーは、ザルクが家を出ると、直ぐに、新しい湯と、包帯を用意していた、リックに乗って行ったのなら、彼は五分としないうちに、医者を連れて戻ってくるからだ。


 医者は、新しい湯がわく前に、到着した。


「ザルクよ、次の時はせめて鞍ぐらいは付けて来てくれ、でないと患者を診るより先にわしがあの世行きじゃ」


「すまんね、先生、なかなか危なそうな患者だたもんでね」


「わかっとる」


 医者は、そう言って悪態を着くと、顔を引き攣らせながら、早足で、ザルクの家に入ってゆく。


 後ろではリックがフンフンと鼻を鳴らしている。


「先生、こっちです」


 イルベリーに案内され玄関に入って行く。




 医者はベッドの脇に座り、男の傷を見ると、早々に匙を投げだした。


「これは助からんよ、やるだけ無駄だ、傷が深すぎる、まあ純度の高い治癒ポーションでもあればな」


「そんな物、家に有る訳無いわ」


 イルベリーは呟いた。


 治癒ポーションはとても希少だ、大量の薬草から、ほんの少しのポーションしか出来ないせいだが、効き目は絶大だ、故に純度が高くなるほどより希少になり、簡単には手の出ない高価なシロモノとなっていく。


 一般に手が届くのは、せいぜい、不純物の多い濁ったポーションの小瓶ぐらいの物だ。


 重度の高い治癒ポーションを買うのは、主に金持ちと、傭兵や騎士と言った戦場に近しい者達だ。


 彼らは、治癒ポーションがいくら高価でも、必死に手に入れる、それは言わずもがな、自分の命に直結するからだ。


普通なら、怪我をしない様注意し、そんな高価なポーションの、お世話にならない努力をした方が懸命だろう。


しかし、この男には今、そのポーションが必要だ、無ければ明日の朝には、冷たくなっている事だろう。


 ザルクは瀕死の男を見下ろしながら決心する。


 今自分の家には無いが、この街ではそのポーションが作られている。ポーションはこの街の特産物だ、小さな街だが、街に何人かそれを作っている者がいる、もちろん外に売るための物で、街にはほとんど出回らないが、この街で手に入らない物ではないのだ。


「木陰のおばばに頼んでみるよ」


ザルクが真剣な面持ちで言うと、医者は訝しげにザルクに問うた。


「ザルクよ、この男は何者だ、お前の知り合いか、おばばに高価なポーションを譲ってもらってまで、助けたい男なのか」


 とても医者とは思えぬ台詞だが、それが現実だった、(まちではすべての物が貴重だ、見ず知らずの者のために等差し出せる物はない。


 ザルクは医者の質問の答えに困った、帰りの道端に落ちてただけの男なのだから、なぜそこまで助けたいのかと、問われるとすっきりとした回答は見つからない。


「知り合いではないが、見殺しにも出来無いだろ、 剣を持ってはいたが、剣士のようでもないし、まあ、回復したら、経費くらい払ってもらうさ」


「そう言うなら構わんが、回復するかどうか、しかし、剣士なら、治癒ポーションも少し位、持っているんじゃないか」


 医者の言うことも最だ、思えば、結構作りのいい剣を持っていたし、よく見れば、変わった服ではあるが、高級そうな生地に、信じられない位良い仕立でつくられている、此れならば、治癒ポーションを、少し位持っていても不思議じゃない。


「イルベリー、この男の、荷物の中身を調べてくれ」


「はい」


 イルベリーは返事をすると、急いで、荷物の中身をテーブルの上に出していったが、その手は震えていた。


「なんだ、此れは、」


 そう言うと、ザルクも医者も、机にかぶりつく。


 机の上には、信じられないいな物が並べられていた、どうやって作ったのか、気泡も、不純物も一切無く、途轍もなく精巧に仕上げられた装飾瓶、中には酒だろうか、琥珀色の、全く濁りのない液体が入っている、何処ぞの王宮でもこれだけの逸品は無いだろう、此れだけでも、売れば一生遊んで暮らせるだろう。


 そして、濁りが少なく、かなり色合いの濃い(純度の高い)治癒ポーションが、口切入った小瓶が二瓶、此れも売れば数年は暮らせるだろう。


 他には、実用的なナイフや食料だった。


 しかし、酒瓶だけでも、ザルク達の興味を惹き付けるには十分な内容だった。


「ザルクよ、取りっぱぐれは無さそうじゃな」


 医者は装飾瓶に視線を向けたまま、ザルクに言った。


「そうだな、こいつを、直ぐに飲ませてやればな」


 ザルクは、治癒ポーションの瓶を手に取るとイルベリーに渡した。


「急いで飲ませてやれ」


 それにしても、この男は一体何者か、持ち物も服装も高級なだけでなく、見た事もない形をしている。


 一体どこの国から来たのか、訳ありなのは確実だろう、それでも、助けないと言う選択肢は、ザルクには無かった。


 故に、医者が男の折れた大腿骨を、無理矢理つなぎ次第、治癒ポーションを飲ませる事にした。


 医者は、大腿部の傷口を広げ、無理矢理骨を正常な位置に戻し始める。


 その間イルベリーは、この純度の高いポーションを、どのくらい飲ませたものか少し考えたが、普通通りの量を飲ませてみた、それでも、これだけ深い傷だと、少し位、何らかの後遺症が残るかと心配したが、ポーションは目を見張るような効果を見せてくれた。


 男の傷は、後遺症どころか、左脇腹も左大腿部も、ほぼ癒えてしまっている、あとは自然治癒に任せれば少傷跡が少し残る位で、完治するだろう。


 男から苦しそうな表情は消え、今は、スヤスヤと寝息を立てて眠っている。


 少しすれば多少痛みは残っても、起き上がるくらい出来るだろう。


 イルベリーは、追加でポーションを飲ませようとも思ったが、このポーションの希少価値を考えると、もう少しで自然治癒するくらいまで癒えた傷に使ってしまうのは憚られた。


「凄いわ」


 イルベリーは呟くと、ポーションの瓶をまじまじ見つめた。



◇◆◇◆◇



 目を開けると、其処には天井があった、空でも、木の枝でもない、節の多い木目の板張りの天井だ。


 竜司は、起き上がろうとして身をよじったが、脇腹と大腿部に痛みが走り、再びベッドに倒れこむ。


 昨日のことが思い出され、再び、ゆっくりと身を起こすと、辺りを見回した。


 気泡が多く、少し薄青い歪んだ窓ガラスは、外の風景も歪んで見え、そこから射した朝日は、積み上げられた部屋の石壁に、綺麗な窓枠模様を描いていた。


 ベッドの左脇には、木製の足の細いテーブルが有り、素焼きの水差しと、木製のコップが置かれていた。


 服は誰が変えてくれたのか、ゆったりとした上衣とズボンに変わっている、多分パジャマなのだろう。


 部屋の隅には、竜司の荷物が、椅子の上に乗せられている。


 竜司は昨日の事をじっくりと思い出して見た。


 そうだ、崖から落ちたのだ。


 思い出すと、竜司は左の大腿部を触ってみる。


 押すと痛い、何か大腿部に傷跡ができているが、既に直りかかっているように思える。


 竜司はそのまま太腿をまくり上げて、確認してみると、そこには、大きな傷跡が出来ていた。


 確かに崖から落ちたようだ、ただし、何時、傷は既に治癒しかけているが、それ程時間が経過しているようにも思えない。


 竜司が軽く混乱していると、ドアが開き、栗色の髪の長い女性が、木製のトレイに、食事を載せて、入ってきた。


 女性は、竜司に何か話しかけると、水差しの横にトレイをのせた。


 竜司は、何を言っているのか全く分から無かったが、予想はついたので日本語でお礼を言った。


「ありがとうございます」


 女性は、また何か言ったが、やはり初めて聞く言葉なので何を言っているのか全く解らなかった。


 当然と言えば、当然だが、まったく言葉が解らない、こんな時はいきなり言葉を理解して、「何故言葉が分かるんだ!」とか驚きたかったが、現実は甘くなかった。


 竜司は、いきなり言葉の壁に、この先どうしたものか、目眩がしてきた。


「申し訳ないが何を言っているのか全く解らないんだ」


 それを聞くと女性は、また何か言って、部屋を出て行ってしまった。


 トレイの上には、拳くらいのパンが二つと、胡椒の効いたミネストローネの様なスープが、湯気を立てている。


 竜司はスープを一口飲むと、トレイを零さないよう慎重に、膝に乗せ、パンを契、りスープにつけて食べ始めた。


 じゃがいもに、玉ねぎ、キャベツに、ニンジン、何かの肉、若干どれも違う気がするが、ミネストローネ、と言って認められる範囲だ、ただ胡椒だけが、何か違和感が有るが、やはりミネストローネだ。


 しかしこの肉は何だろう、豚でも牛でもなく味わった事のない味だった。


 パンも、竜司が走りながら梶っていたパンと、あまり変わらないパンに見えるが、まだ焼き立てなのか温かみが残っていて、中はとてもしっとり柔らかで、良い香りがした。



◇◆◇◆◇



 ザルクが息子と朝食をとっとぃると、男に朝食を持っていった、イルベリーが戻ってきた。


「あなた、やはり彼は何処か遠い国の人のようね、聞いたことも無い様な言葉を使っていたわ、一体何処の言葉かしら」


 イルベリーは首をかしげていた。


「聞いた事無い言葉か、それじゃ近辺の国じゃないな、服も此の辺じゃ見掛けない服だし、かなり遠くから来たのか」


「それと、先刻彼の服を選択しようとしたら、ポケットからこんな物が出てきたわ」


そう言うとイルベリーは、自分の前掛けのポケットから、竜司の四葉のクローバーのストラップを取り出した。


 それは、二枚ずつ濃淡の異なる、緑色のハート型のカットガラスを交互に配置し、銀メッキの金具で止め、茎の部分も銀メッキの金属で作ったクローバーを、細いチェーンでぶら下げた、そんな有り触れたストラップだったが、この世界では少し違った。


「ねえ、僕にも見せて!」


 ストラップは、旺盛な好奇心で手を伸ばす息子の頭上を通って、ザルクに渡された。


「宝石か、凄いな、こんな細い鎖どうやって作ったのだろう、精霊細工か」


 ザルクはそれを手に取ると、真剣に見詰めていた。大粒の緑の宝石を銀細工で繋ぎ、精霊細工の鎖で繋いだブレスレット、精霊細工など余程で無ければ、手に入らない、普通なら一生見る事も無い代物だろう。


「そうね、それに、此れクロトワハートじゃない」


 クイーン・オブ・グリーン、伝説の緑の女王の紋章だ。


 今でも御伽話の様に語り継がれている史実。


 数百年前の物語、一風変わった国王不在の王国、ドラゴンの血を引く国王は、普段は国に居らず、国が窮地になると現れ国を救うと言われ、平時は女王が国を司る国、太陽の王国。


 今では大小幾つもの国が乱立するこの一体を統一し、平和をもたらしたとされている王国、しかしその王国は長くは続かず、僅か十数年で、突然現れた圧倒的な兵力、後に銀色(シルバー)悪魔(デモニア)、と呼ばれる謎の軍隊に、敗れ、滅ぼされる。


 銀色の悪魔は現セルゲディアの軍隊として今でも存在し、セルゲディアの首都も太陽の王国の首都が有ったとされる場所に存在している。


 しかし緑の女王は、精鋭の一団を率い、国の奪還を誓い、魔境に逃れたとも、また、女王は打ち取られたが、復讐を誓った太陽の精鋭だけは逃れたとか、色々な説が生まれているが、その王家の紋章がクロトワハートだ。


「そうだな、クロトワハートだ、しかし其の辺の土産物屋で売っている様な代物じゃないな、」


「そうでしょ、本物とか」


 イルベリーが、満面の笑みで答える。


「あの男が、太陽の王国の、精鋭の生き残りだってか、有り得ない、太陽の王国にしても、史実とされてはいるが何百年も前の話で、どこまでが事実なのか既に解らん、ほとんどが誰かの作った御伽話かもしれない」


「僕にも見せて!」


 中々見せてくれない事に、好奇心が抑えきれず、息子のギルディットが再度手を伸ばす。


「はいはい」


イルベリーはザルクの手の平から、からクロトワハートを奪うと、ギルディットの手に載せた。


「うわー」


 そう呟くと、ギルディットは、自分の小さな手のひらに置かれた、クロトワハートを興味津々で見つめる。


「でも私は信じたい、クイーン・オブ・グリーンの話は小さな時から大好きで、母さんにせがんで、何度も何度も、話してもらった物語だもの。 私は、緑の女王は、魔境に逃げ延びて今でも生きていると思うわ」


 イルベリーは母を思い出したのだろう、暖かな面持ちでそう話すと、引き出しから、小さな革の巾着を取り出し、革紐を通して首に掛けられる様にすると、息子の前に開いた巾着の口を差し出し、クロトワハートをその中に入れさせた。


「でもそれだと、彼は、何百歳?それともその子孫、とても、そうは見えないが。それにもしそうなら、俺たちと同じ、ミレアス語を話すはずだろ」


 ザルクは尤もな話を並べ、イルベリーの話を否定した。


「そうね、彼に聞いてみるわ」


「どうやって?」


「そうね、ミレアス語覚えて貰いましょうか」


 イルベリーは軽くそう言うと視線を息子に落とした。


「ギル、クロトワハート返しに行きましょうか。あなたも行きましょう」



 ザルクに視線を戻しそう言うと、イルベリーは、ギルに巾着を渡し、三人一緒に彼の部屋に向かった。


 三人がドアを開けると、男は丁度ベッドの上で朝食を食べ終えたところらしく、トレイをテーブルに戻していた。


「美味しかった?」


 イルベリーはミレアス語で話しかけた。


 その表情からすると、男は御礼か何か言った様だが、やはり聞いた事もない言葉で、一体どこの言葉か解らなかった。


「まずは名前からね」


 イルベリーはそう言うと、自分を指して「イルベリー」と言いながら、ベッドの脇に椅子を持って歩いて行った。


 そして、夫と息子を呼ぶと、やはり彼らを指して、「ザルク」「ザルクよ」と言う、また息子も同じように、「ギルディット」と言って息子の頭に手を置いた。


 すると男は、ベッドの上から同じように、一人一人「イルベリー」「ザルク」そして視線をギルに落とすと、口許に笑みを浮かべながら、「ギルディット」と言った。


 すると、男は、自分をさし、「リュウジ」とそう言った。


 ギルはリュウジに走り寄ると、「はい、リュウジ」と言って、先ほどの小さな巾着を差し出した。


 リュウジが皮の巾着巾着の中身を確かめると、中にはクロトワハートが入っていた、リュウジはそれを静かにを取り出スすと、胸の前で握り締めた。


 リュウジはクロトワハートを巾着に戻すと、通じないだろうとは思っても、日本語でギルに「ありがとう」と礼を言った。


 するとギルから「ありがとう」とミレアス語で帰ってきた。


 ハッとして、リュウジはテーブルに、手を伸ばし、コップを持ち上げてみると、ギルはすぐさま、コップを指差し「コップ」と言う意味のミレアス語が帰ってくる。


 リュウジはザルクとイルベリーに視線を戻すと覚えたてのミレアス語で、お礼を言った。


「ありがとう」


 二人共リュウジを見て、にっこりしているので、どうやらお礼の言葉は通じた様だ。


 リュウジは、助けてくれたこの家族に、何か御礼をしたかったが、御礼になるような物を彼は何も持っていなかった、せめてと思い、秀喜秘蔵のボトルを荷物から取り出し、ザルクに渡そうとしたが、貰えない、と言うような仕草をされ、何故か受け取ってもらえなかったので、コップに少しついで「ぷはー」と美味しそうに飲んで見せ、ザルクにコップを渡した。


 ザルクはコップを受け取ると、ほんの少し舐めるように飲んでみた。すると、口の中に今まで味わった事の無い香りが広がり、口から食道に強い酒特有の焼けるような喉越しが心地よかった。


 ザルクは残りの酒を一息に飲み干すと、「ぷはー」と言ってなんとも嬉しそう笑顔をリュウジに向ける、酒飲みの笑顔だ。


 リュウジはもう一度ザルクにボトルを差し出しながら、ギルに目配せをすると「どうぞ」とミレアス語を教えてくれた。


「どうぞ」


 とリュウジが、ミレアス語で言いながら、ボトルを差し出すと、ザルクはそれを受け取って、妻の方を見るのだった。


「あなた、それは受け取れないわ」


 イルベリーが諌めるように言うと。


「解っている、取りあえず預かっておくだけだ」


 どう言う理屈なのか、ザルクはそんな事を言って、呆れたイルベリーを横目に、ボトルを抱いていた。


 次の日から、部屋にはギルディットが入り浸り、ミレアス語を教えてくれた。


 ブルーグレーの柔らかい髪と、やはりブルーグレーの大きな眼を見開いて、視界に入るものを片端から、ミレアス語で教発音して、必ず何度も、復唱させられた。


 イルベリーが、食事を持ってきてくれるとき以外は、ギルが入り浸り、ひたすら言葉を教えてくれる、とても根気強い先生だ。


 三日もして、まだ多少痛みは少し残るが、なんとか歩き回れるようになったリュウジは、ギルと一緒に家の中を歩き回りながら、言葉を教えてもらうようになった。


 そんなある日ギルがとんでもないものを連れてきた。


 ギルの髪と同じような色の、巨大生物、体つきは鹿の類のようだが、角は無く、触手の様な物が、大きな耳の先端からムチの様に伸びて、自分の体より後ろまで届いている、サイズは馬並みで、蹄は二つに分かれ、胸には立派な鬣が蓄えられている。


 そんなやつが、小さなギルの後について無理矢理部屋に入ろうとドアに引っかかっふんふん鼻を鳴らしている。


 ギルは、そのブルーグレーの巨大生物を無理矢理部屋に引き入れると、椅子に座って顔を引き攣らせているリュウジの前まで連れてきた。


 ギルは擦り寄せられる、そいつの柔らかそうな毛に覆われた頬を摩りながら、リュウジに紹介した。


「リックって言うんだ 僕の弟だ」


 するとリックは、リュウジに鼻を近づけ、握手でもするかの様に、触手を伸ばしてきた。


 触れて良いのかどうか、考える間もなく、思わず避けてしまったが、ギルに奨められ握手するように触れてみた。


 それは、カルチャーショックだった、触れた瞬間にリックの思いが伝わる。此れは今まで味った事のない感覚だった、何と言うか、胸の中に、意思と言うか思いの様な物の塊を置いていかれる様な感覚だ、言葉の様に伝わるのではなく、瞬間で全てが伝わる、この感覚にリュウジは、一気に此処が異世界だと実感が湧き、身を震わせる。


 今、リックは少し警戒していたのだが、リュウジの思いが伝わり、警戒が解けた。


 どうやら仲間と認めてくれたらしい事と、ギルが、兎に角速く、リュウジに言葉を覚えさせ、友達になりたいと思っているらしい事が伝わってきた。


 リュウジは、リックの触手に、有難うと、此れからもよろしく頼むと、ギルに伝えて欲しい旨を念じると、触手を放して、ギルに向き直った。


 リックの触手がギルに触れると、にこにこしながら、こちらを見ているので、どうやら伝わったらしい。


 リュウジが手を差し出すと、ギルも手を差し出してきた、どうやらこの世界にも握手の習慣はあるらしい。


 言葉の様に、あまり細かい事は伝わらなさそうだが、間違えや勘違いは、おこりそうもないし、嘘もつけないのではないだろうか、其の辺の細かい事は、言葉を覚えながら、追々学んでゆくしかないだろう。


 逆にニュアンスとか、感触、感覚的なものは伝わってくる、味とかも、体を動かした感覚や、物に触れた感覚、これだとプリンの味も食べてみなくても伝わってくるだろう。


 次の日から、リュウジは、ギルに連れられて家の周りを、歩くようになった。


 まず、最初に案内されたのは、リックの部屋だった。


 外の裏手の馬屋の脇で、ダイニングの隣だ、土間だが、ダイニングとも、窓でつながっていて、しっかり部屋になっている、取手こそ無いが、押せば開く大きなドアまで付いている。


 中に入ると、大量の干し草にシーツをかけて作ったベッド、壁には棚が作ってあり、色々とリックの宝物らしい物が置いてある、綺麗な石や、ビンのかけら、等々だ、部屋の隅には鞍置き台が有り、飾り気はなくシンプルだが、少し変わった形の綺麗な鞍が置いてある。


 驚いて、部屋を見ていると、リックが寄ってきて、触手で触れて来る、部屋と、お気に入りの鞍をリュウジに自慢したかったらしい。


 奥にも同じようなドアがあり、潜ると、二頭の馬が放されている、柵の中に出た。


あまり広くもない、いや、むしろ二頭の馬を放すには、狭すぎるであろう、スペースなのだが、馬糞一つなく、土は、綺麗に踏み固められていた、普通ならするはずの匂いも殆どしない。うまやも綺麗なもので、端の方には、緑色の犬が寝そべっている。


 思わす辺りを見回していると、リックが触手で触れて、回答をくれた。


 リックの回答だと、あれはリックの配下で、世話、躾等々リックの仕事だとの事だ、なんと、馬の下の躾までしているらしい、柵の外れが細い通路になっていて、その先の家庭菜園の隅が、馬たちのトイレになっているらしい。


 犬の緑色に関しても結構驚いたのだが、この世界では、普通の色らしく、どこにでもいるくらいの回答が返ってきた。


 しかし凄い、此れは真剣に凄い、リックがいれば、間接的にではあるが、動物と、意思の疎通ができるのでは無かろうか、動物と話すのは一つの夢だと思っているリュウジは、何処まで出来るのか必ず試してみようと密かに自分に誓っていた。


 次はそのまま、柵の外れの細い通路を通って、家庭菜園へ向かう、因みに馬はベンとハン犬はトトと言い、今度はリックと、トトも一緒についてきた。


 案内された先には、確かに馬のトイレが有り、その辺の体育館より大きい位の畑があった、其処には何か解らない植物が膝くらいまで茂っている。


 リュウジには立派な畑に見えたのだが、メインの畑は、村の半分が、畑の区画になっており、その一画に、大きな畑を持っているそうだ。リックの記憶だろうか、風景としてそれが伝わって来る。


 畑に着くとトトは、真っ直ぐ畑の隅に向かい、其処にある大きな切り株の上に座って、動かなくなってしまった。


トトの役目は見張りらしい、人が畑にゆく時には、必ず、付いて行き、魔獣を警戒する、特に上空からの魔獣を、警戒しているとの事だ。


 此処からは、ギルの解説に、リックが大まかな意味をつけてくれた。


 発音しづらい言葉を悩んでいると、発音する際の口の動かし方の感触や、どんなニュアンスでギルがその言葉を使っているのかがリックから伝わってくる。


 此れはリュウジにとって、非常に有難かった、何より、ミレアス語を覚えられる自信が、湧いてきた。



◇◆◇◆◇



 次の日からは、ザルクとイルベリーの奨めもあって、ギルとリックと一緒に、少し離れた街の教会へ通う事となった。


 ここの神父は少し変わった神父で、無料で街の子供達を集めて、読み書きを教えている。小学生位の子ども達が、毎日二十名近く集まっては、神父さんに読み書きを習っている。


 クラスも高学年と、低学年に分かれているのだが、リュウジは、ギルと一緒に低学年のクラスに入る事となった。


 朝一番で教会に来ると、高学年と入れ替わる十時頃まで、読み書きを習い、それが終わると、教会の庭に出て、リックとギルを通訳に、ひたすら、群がってくる子供達と、しゃべり続ける。



◇◆◇◆◇



 昼に帰ると、リュウジに客が待っていた。


 聞けば街長だというので、なんの用かと思えば、リュウジに剣を返しに来たと言う、割腹が良く鼻の下に白いひげを蓄えた村長は、リュウジの前に細長い包みを差し出した。


 開けてみれば、あの時の、死んだ兵士から奪ってきた剣が現れる、普段持ち慣れない剣の事などリュウジは完全に忘れていたが、嫌悪感と共に思い出される。


 よく見れば、使い込まれたその剣は、ほとんど装飾の施されていない片刃の細身剣で、長さは七十センチ程度の細いナイフを思わせる形状をしていた。


 リュウジはリックに手伝ってもらい、村長に悪意のない事、剣は護身用で自分はほとんど剣が使えないこと、を伝えてもらった。


 もちろんリックが接触言語で通訳しているため、細かいことは伝わらないが、信憑性はダイレクトに伝わり、細かい説明は後日と言う事で、剣を置いて帰っていった。


 ただ護身用として、剣を使えない者が持つような剣でない事は、この世界の人間には、一目で解る事だった。


 街長にしも、ザルクにしてもそれは、リュウジへの興味の深まる一件だった。


 その後、イルベリーの家事を手伝い、夕食が済むと、今度は、リックとイルベリーさんの、スパルタ言語教室が始まる。


 覚えるまで止めてくれない、イルベリーさんの言語教室は非常に辛い、特に発音は、間違えると、「良く聴いて、良く聴いて」と口許を指差しながら、リックにその感覚を伝達させ、何度も復唱させられる。


 リックは二時間もしないうちに飽きてドアに引っ掛かりながら出て行ってしまうが、兎に角毎日、リュウジが睡魔に負けて、テーブルに突っ伏すまで付き合ってくれるのだ、なんと有難いことか。


 それから一週間くらい経った頃か、何とか教えてもらった単語を無理矢理つなげ、最後はリックに手伝ってもらい、ようやく、行く宛のない旨、仕事でも何でも手伝うので、当分此処において欲しい旨を伝えると、ザルクは快く引き受けてくれた。


 この恩は必ず返さねば、と思いつつも、居候を申し出て、そのうえさすがに図々しく、多分も高の世界にいるであろう、緑子の捜索を手伝ってほしい等どは言い出せず、そのへんの事情の説明は先送りにした。


 リュウジ自身も、森の中をあれだけ、叫びながら探し回っても見つからなかった緑子が、この世界に来ている可能性は少ないと思っていた。


 そして、リュウジ自身は異世界では無く遠い国から来たことになっている。


 後ろめたさもあったが、嘘ではないという事で、本人は取りあえず納得する事にしたようだ。


 リックの能力は、言葉のようには通じないが、その分意志や意味、感覚などはよく伝わる。


 接触言語とでも言おうか、慣れるとこの意思疎通はとても楽に行えるが、細かい事は伝えにくい、例えば、おはよう、こんにちは、こんばんは、等は、みんな一緒で、会えたのが嬉しい、と言うような感情が、伝わってくるだけだ、又、何メートル先と言うのも漠然と、その人のイメージする距離感が伝わるだけである。細かい表現は非常に伝わりにくい、反面思いの強さや、真剣さ、画像的なものはダイレクトに伝わる。心が読めるわけではないし、一長一短なのだが、今回は良い方に働いてくれた様だった。


 ただ異世界は、本当に遠い国として、伝わったのか、疑問の残るところだった。


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