手紙
今黒髪の美しい彼女は、潤んだ瞳を擦りながら手紙を書いている。
年に何度か来る商人だと言う客が懐から出した尋ね人の似顔絵、その端にその人物の名前がミレアス語と日本語で書かれていたのだ、聞けばその日本語の文字は、尋ね人の依頼主の意向により、依頼主の書いた文字を其のままが写したものだと言う。
彼女は加藤里奈、彼女はこの文字を知っている、十三年間見る事の無かった故郷の文字なのだから。
彼女は、其の文字を見るなり、客から似顔絵を奪い取り、涙した。
そして今、彼女は懐かしい故郷の文字を繰り、木の葉を無理矢理圧縮した様な繊維だらけの紙に手紙を書いていた。
◇◆◇◆◇
始めまして、私は加藤里奈と申します、緑子さんについては何も知る事が有る訳ではないのですが、ミレアス語で書かれた緑子さんの名前の下に日本語で書かれた緑子さんの名前を見つけ、思わずこの手紙を書いています。
此の世界に来て十三年、もう日本に帰る事も諦めましたが、同郷の人が此の世界に居るのだと思うと涙があふれてきます。
緑子さんを探し、尋ね人の似顔絵の名前に日本語を使った貴方様が日本人で有る事を願います。
十三年前この世界に来て以来、同郷の人が過去に居た話は何度か効きましたが、今逢えるかもしれないのは、貴方と緑子さんだけです。
あなたが探している以上、緑子さんもこの世界に居るのでしょう。
早くお二人に逢ってみたいです、つきましては早く緑子さんが見つかる様、微力ながら私も協力したいと思います。
今私は、大国セレニア帝国を隣に置き、砂漠に囲まれた小さな国、ホルンソのカナクの街で、此の国で出来た家族と一緒に、大和と言う食堂を営んでいます。
緑子さんを探している貴方様は、今何処に居らっしゃるのでしょう、此の似顔絵を持って来たのは年に何度か来るセルディナ商会の人でした。
セルディナ商会が有るのは遥か砂漠の先。
貴方様も砂漠の先に居るのでしょうか、貴方様の名前は解りませんでしたが、この手紙は届けてもらえる事となりました、緑子さんの似顔絵も、店の壁の一番目立つところに貼ってお客様には必ず尋ねる様にしています。
此の地方で黒髪は非常に珍しいので、この地方に居れば遠からず見つかるのではないかと思います。
この街でも、黒髪は私と娘の撫子以外に見た事が有りません。
そして貴方はどうやってこの世界に来たのでしょう、もし帰る方法が有るのなら教えて下さい、私は、ある夜不帰の鳥居を潜ったら、なぜかこの世界に来てしまい、帰る事が出来ません。
出来るのなら家族と共に日本に帰りたいと言う気持ちもまだ燻っているのです。
十三年後の日本はどうなっているのでしょう、私の故郷の栃木の街は、私は栃木県、○○郡○○町に住んでいました、貴方は何処に住んでいたのですか、貴方は日本人ですよね、そんな話も沢山、沢山聞きたいのです。
どうか返事を頂けないでしょうか、出来れば何とか会うことは出来ないでしょうか、切に切にお願いいたします。
ホルンソ国、城塞都市カナクの大和食堂の加藤里奈
PS 日本食用意して待っています
◇◆◇◆◇
この人物に会いたい、リュウジは手紙を読み終わらぬうちに決心を固めていた。
会いたいと言う衝動が抑えられ無い、理屈抜きで、同郷と言うだけで今のリュウジには家族の様に感じられた。
日本食も非常に抗いがたい魅力的な誘惑では有ったのだが、その為では無いと言っておこう。
「其れで、何と書いてあった?緑子からなのか」
リゼルダが身を乗り出す。
リュウジは目頭を押さえながら答えた。
「いや、違ったが、でも日本人からだ、リゼルダこの人に会いに行こう」
「ああ、構わないが、ホルンソってどんな処なんだ、カヤナ?」
リゼルダの何気ない問いにカヤナから思わぬ答えが返ってくる。
「そうですね、余り行きたい処では有りませんね」
「え、そうなのか、そうしてだ?」
「ホルンソはサラディナ砂漠とセルケディア王国に挟まれた小さな国で、セルケディアとは同盟国で今の処治安は安定していますが、セルケディアは隣のセレニア帝国とは奴隷問題で、長年小競合いが続いて、今は一触即発の状態此処で戦争が始まれば、ホルンソ参戦しない訳にはいかないでしょうから」
「そうなのか」
リュウジは歴史で習った奴隷問題を思い出し、この世界の方が種族の外見の違いの顕著さから言えば、この問題は地球以上に深刻なのかもしれないと思うのだった。
「はい、さらにセルケディア帝国は奴隷で成り立っている様な国です。
対してセルケディアとホルンソは奴隷禁止国です。
奴隷を連れては入国できないなのでセルケディア側から、奴隷が輸入できず、その為セルケディア脇の大樹街道には、何時の間にかセレニア帝国が造った迂回ルートが魔境を通ってている位です」
「でも反対側からは普通に奴隷を持ち込めるのだろう」
「そうですね、反対側は中小国家連合に囲まれていますが、奴隷を排除は出来ない様で、奴隷には高い通行税を掛けてプレッシャーをかけているようですが」
「はい」
「此れでセルゲディアが勝てば此の世界から奴隷は消えて行くのか」
「多分そう簡単にはいかないでしょう、奴隷の居ない国は其の二国だけで、他の国は奴隷を持つ事自体は推奨する方向ですから」
「どう言う事だ、他の国も奴隷廃止に賛同してセレニア帝国にプレッシャーをかけているのでは無いのか」
「いえ、セレニア帝国の巨大な国力が周辺の国々に脅威だからです。
奴隷は無くてはならない貴重な労働力です、奴隷が全て居なくなったら、大変です」
「この辺は奴隷ってそんなに多いのか」
「そうですね、何処の国でも少なくても人口の二割から三割は奴隷ですよ、セレニア帝国は六割くらい奴隷です。
けどリュウジ様の故郷では、奴隷は少ないのですか」
「ああ、もう殆どいないな、でも其の二国は何故奴隷制度を廃止したのだろ」
「はい、でも其れはセレニア帝国に滅ぼされた太陽の王国の影響だと言われています、人は皆平等で、人が人を支配してはいけないと、その太陽の王国の教えの影響を一番強く受けた国だと言われています」
(太陽の王国ね、其の国王は地球人だな、其れも多分日本人だ)
「成る程、其れで余り行きたくない国か」
「はい、そう言う事になりますのであまりお勧めできません」
「解った、でも行くぞ」
◇◆◇◆◇
リュウジ達は次の日から旅支度に取り掛かった。
ホルンソ王国はサラディナ砂漠を超えた先の国だ。
サラディナ砂漠の裾を通る大樹街道を順調に進んでも一月は掛る。
そしてもう一つリュウジを悩ませているのは、守護精霊の村への旅についてだった。
里の相手にお願いしようと思っていら訳だが、その相手ががギルとなった今、やはり白蓮と自分が行くべきでは、と思っていたのだ。
その事について、ギルと里と話し合った結果は、リュウジには納得いかないものだったのだ。
魔境を渡る為の戦力的に分析において、リュウジと白蓮よりもギルと里の方が遙かに優れていると言う結果になったのだ。
リュウジにはそれが納得いかなかった、戦力だけがすべてでは無い、と言った処なのだが、結局の処、ギルと里のコンビにリックが加わり、今回請け負った馬の調教が終わり次第出発、と言う事になっってしまった。
それでも納得しきれないリュウジだった。
そうは言っても、魔法の使えないリュウジと白蓮よりも、融合の書の魔法を使いこなすギルと里の方が戦力として遥かに高レベルなのは一目瞭然だった。
精神的にもギルは、魔境を旅してきた里との意識の共有によって何ら問題は無くなっている。
其れだけの魔法を使いこなす以上、体格差等今更だ、さらにリックとの連携もギルに分配があがる、其処まで指摘され、引かざる得なくなったリュウジったのだが、未だに納得いかず蟠っていたのだった。
「主様、此処は諦めて、ギル様に譲りましょう、里もああ見えてしっかりしていますし、リック殿も一緒であれば魔境で彼らを脅かせる者は限られます」
「そうは言ってもな、ギルはまだ十一だし」
「其れを言うならば、私も里も主様よりも年上ですよ、魔法に至っても既に其の辺の魔導士では太刀打ちできないでしょう。
主様、此処は譲るしかありません、私達は緑子様を探しましょう」
本当にそうは言っても、元の世界の常識が邪魔して納得出来ないのだ、馬の調教を考えればリュウジ達が加藤里奈に会って帰って来てからでもこの話は間に合うはずだ、最悪自分も付いて行こうと心に決めるリュウジだった。
「そうですね帰ってから考えますか」
勿論白蓮には考えた時点で筒抜けなのだが。
「ああ」
リュウジ達の旅の支度は急ピッチで整えられたが、片道一か月以上も係る旅支度だ、そう簡単に整うものでは無かった。
まず馬車にしても途中町が無いため二頭立てのコンテナの様なごつい馬車が用意された。
幌馬車でも良かったのだが、引くのがスケイルホースだと言う事で、キアナ達によって改造された物だ。
荷物を積んで尚、中で何とか四人が寝泊まりできるサイズのかなり大きめな物だ、此れで野営の手間がだいぶ省けると言うものだった。
其処にかつて荷馬車の御者台で尻の皮をすり減らしたリュウジがせめて何とか板バネを付けようと頑張っていた。
食料は勿論大量のインスタント食品と乾物類だ、途中何か調達できれば勿論調達する心算では有るが、此処でこの実用性を試さない手は無い。
幸い水に関してはカヤナが水魔法を使えるので心配なかったが、リュウジは魔法を一切使えないし、リゼルダは魔素量は多いのだが火と風以外はからっきし、クルトも現在練習中でどの魔法も実用に至って無かったのだ、カヤナが居なければ水でも悩まなければならなかっただろう。
まあ、万が一を考えて水も積み込みはするが、カヤナと別行動でもしない限りは水の心配はないだろう。
武器については途中リゼルダ―ナにて受け取る事となった。
キアナがローランドを急がせたのか、リゼルダが注文した甲殻土竜の爪で造った真紅の剣が二振り、強い反りの入った猛禽類の爪を思わせるようなもろ刃の剣が出来あがっていた。
柄には甲殻土竜の翅の線維か、真っ白な汚れを弾く糸の様な物が巻きつけてあり、魔獣素材で有る為魔素が通りやすい、即ち、魔導性が良いそうだ。
魔素を通し硬質化させた其れをリゼルダが振るうと、岩に当っても刃毀れせず岩を砕き、熱を持たせれば其れを焼き切た。
鋭く細い先端も高位素材ならではの形状だ、並の素材では直ぐに先端が折れてしまうだろう。
そしてリュウジには、分厚く反りの強い日本刀のような形のギアナタイトの剣がやはり一振りと、胸の分部にだけ縁取り大黄金の強靭な外殻が埋め込まれ、其の胸元には一見装飾に見えるが、実は白蓮の為の小さな扉の付いたガウスの皮鎧が渡された。
リゼルダと同じガウスの皮鎧だが、此方はガウス本来のこ焦げ茶色だ。
ドラゴンモドキと言われるだけあって、ドラゴン程では無いが、ガウスもかなりの高価な素材では有るのだ。
剣にしてもギアナタイトはミスリルなどの様に魔導性は無いが、硬度、靭性共にミスリルを凌駕する。
特に靭性は目を見張るものが有る。
そして、そのダマスカスの様に複雑な木目模様が浮き出た刃にはどんな成分が混じっているのか、何本かボンヤリと発光する年輪部分が有り、見る者を魅了する。
魔素を扱えないリュウジには打ってつけの刀だろう、リュウジの注文した其のままの刀の形だがギアナタイトのその模様が刀からはかけ離れた印象を与えていた。
「おお、ダマスカスブレードか、いや違うか」
鞘から刀身を引き抜いたリュウジの呟きを、リゼルダが拾う。
「ダマスカス?」
「俺の故郷に有る似たような模様の金属だ、まあ光ったりはしないから違う金属だけどな」
リュウジは刀身から目を離さず答えた。
準備は順調に整いリュウジの注文した板バネも何とか馬車に取り付けられた。
板バネ自体はまだ発明されたばかりで、余り普及していなかったが、此の世界にも存在していた為、多少の試行錯誤の末ミュラの鍛冶屋でも作る事が出来たのだ。
水や食料等旅の荷造りを終えると、彼らは無骨な長距離用馬車に乗り込み、ミュラを後にした。




