大樹の森
ザインこの世界はそう呼ばれていた。
そこは次元の狭間を彷徨うものが流れ着く世界。
そこに種を残し、繁栄する者。
生きる事叶わず、朽ち果て躯を晒す者。
それを手にすれば、世界をその手にできると言われる物。
只そこに有るだけの物。
その世界にはあらゆるものが流れ着く。
その世界に何が元から有ったのかなど既に知る者はなく、いま見える土塊さえも元々この地にあった物だと言える者は既にいなかった。
知識も、歴史も、共に幾たびも消え去り、幾たびも始まっている、その繰り返しの中、今残る僅かな歴史さえ、どの歴史の断片なのかすらすらも定かではない。
とはいえ、この世界、ザインは、次元の狭間から注ぎ込まれる混沌により、脈動し、時を刻んできた。
ゆえに、良くも、悪くも、今残る歴史の断片こそが、ザインの歴史その物であると言えるだろう。
そしてまた、ザインに歴史の断片を刻む者が訪れる。
◇◆◇◆◇
ウイスキー 片手に、竜司が目覚めると、そこは樹齢何千年になるのか、信じられない太さの樹が生い茂っていた。
一体この樹はなんメートル位あるのだろう、樹の先端がまるで見えない。
根元は其の樹冠に光を遮られている為だろう、殆ど下草は無く、苔むしてどこまでも緑の絨毯が敷き詰められているよだ。
竜司の知る限り、日本にこんな場所は無い、日本じゃ無くてもこんな場所は無い様な気がする。
竜司は一抹の不安に駆られ、手に持ったボトルを開けると一口煽った、するとカラン、と四葉のストラップがボトルに当る清んだ音が緑子の事を思い出させる。
自然と辺りを見回すが、彼女の姿は見当たらなかった。
竜司はストラップをポケットに入れると歩き出した、彼の持ち物と言ったら、ウイスキーとストラップだけ、靴すら履いていないのだ、責めて携帯だけでも持っていれば、とも思ったが無理な話だ、隣の部屋になった緑子の部屋に行こうとしただけなのに、そんな物いちいち気にする訳がない。
冷静に考えると、此処は地球ですら無いかもしれない。
竜司が持ち出した次元転移装置が絡んでいるのだ、そんな可能性も、十分あり得るだろう。
そんなことを考え、冷や汗をかきながら必死に歩いているのだが、一向に進まない、いくら苔の絨毯の上であっても、素足ではそうそう素早く歩けるものではない。
緑子も近くにいるのではないかと思い、何度も叫びながら、辺りを歩き回っているのだが、何の気配も無く、返事も帰っては来なかった、自分で立てる音だけが静かな森に吸収され、静けさが際立つだけだった。
そんな、自分が小人にでもなった様な森を、緑子を探してどれだけ歩いたのか、声も嗄れ足も棒になった頃、ふと道らしき場所に出た、それは未舗装で深い轍が刻まれ、踏み固められている、確かに道だが今時未舗装で、砂利すら敷いて無い道があるなんて。
とりあえず緑子を探しながら、歩き続ける竜司だが、こんな道、今日中に人が通りかかるとは到底思えない、森を抜けるまであと何キロあるのだろう。
竜司が人気のない道をトボトボと歩いていると、前からなにか聞こえてきた、人の悲鳴と、何かのぶつかり合う音、そして馬が走るような音。
竜司は嫌がる脚を無理やり動かして、走り出したが、それが見えるとすぐさま道をそれ、巨大な樹の影に身を隠した。
人殺しの現場に見えたのだ。
騎馬兵が剣を振り下ろすと、首筋から血しぶきが上がり、人が馬上から落ちる、呻くような断末魔の叫び。
いや間違えなく人殺しだった、それも今時騎馬。
それは竜司の方に、どんどん近づいてきていた。
目の前まで来てみれば、それは十人近い兵士を、二人の兵士が襲っていた、そう十人が逃げているのだ、二人から、薄緑色の良く出来た動き易そうなライトアーマーを纏い、銀色の重装備の兵士を上手くいなしながら、次々と倒してゆく。
そして、不思議なことに、時々薄緑色の兵士が持つ、やはり薄緑色の剣がボォウと光るといきなり剣が伸びるのだ。
竜司はその戦いから目を離せなくなっていた。
大木に身を隠し息をひそめてその戦いを凝視する。
確かに剣は伸びているのだろう、明らかに剣の長さ以上の物が切れている、金属であろう銀色の鎧と馬ごと、相手を両断している、果てには、合わせた剣まで真二つにしている。
どんな仕掛けになっているのだろう、竜司には見たものが信じられなかた。
装備の差が余りにも歴然、これでは竹刀と真剣戦っているよりまだ質が悪い、これでは勝負にならない。
竜司の予想通り、二人の兵士の前には屍が累々と血だまりに転がっていた。
幸い二人の兵士は竜司に気付くことなく、そのまま馬を走らせその場を去っていった。
竜司は二人の兵士が見えなくなっても、しばらく動けなかったが、それでも怖いもの見たさも有り、周りを警戒しつつ、惨劇の現場に近づいてゆく。
鼻をつく嫌な臭いと、無造作に転がる幾つもの死体。特に中身の飛び出している死体ほど酷い匂いがする。
そして馬、全身鱗で覆われ蹴爪が有ったり、尻尾が蜥蜴だったり。
そんな馬はいない、と言うか、そんな生き物地球にはいない。
竜司は纏めて襲ってきたショックでめまいがしてきた。
ここは地球だと思いたい、もし地球では無いのなら、此処は何処で帰る手立ては?
竜司は既に解っていた、頭の隅でしっかりと確信していた、どうしても信じたく無いだけで、帰れないのだろうと、しかし竜司はそれを全否定し、問題を先送りにした。
兎に角今はこの状態を切り抜けることが先決だ、そして緑子を探さなければ。
竜司は決心すると、この世界の馬らしき死体に括りつけられている毛布に、革袋と水筒を外すと、他にも何かないか物色する、死体から物を盗るのは精神的にも幅かられたが、背に腹は代えられない。
馬も居ればよかったのだが、既にどこかに行ってしまったらしく、辺りには見当たらない。
竜司はさらに同じような体格の男の足から靴を取り、履いてみた、少し大きかったが、柔らかいブーツに革紐を巻きつけて固定する様な作りなのでなんとか使えるだろう、近くにもう一頭死んでいる馬もどきからも、同じような革袋と、水筒を取り、一番小柄な兵士の死体から、細身の剣を剣帯ごと奪うと、竜司は歩き出した。
今の竜司に死体をと弔うなどの余裕はなく、弔うと言う事を思いつきもしなかった。
革袋の中には拳くらいの固いパンが五六個と、干し肉に乾燥芋の様な物に、薬っぽい緑の液体の入った小瓶、それに小さなナイフが入っていた。二つとも袋の中身は同じようなものだった、もう片方の袋には乾燥芋の代わりに、乾燥果物が入っていたくらいだ。
竜司は荷物を小さ目の袋に纏め、それを大き目の袋に入れて袋を二重にすると、そこに、ウィスキー のボトルを突っ込み、毛布を括りつけて、肩に掛けた。
竜司は森をひたすら歩き続ける中、色々な物を見てしまった。
背中に立髪の様に触手を生やした中型犬ほども有る蜥蜴が、自分の体長程もある耳を持ったイタチを捕食する場面とか、水辺には五十センチ以上もありそうな背中に棘のあるヤゴとか、動く毛玉に、毛深い家守、極めつけは木の枝に止まるスライム、これだけは見ては行けなかった、此れが止めだった。
御かげで先送りにした問題は、早くも決着がついてしまった。
此処は地球ではない、異世界、そして帰る方法も全く思いつかない、思いつくとも思えない。
先ほどの戦闘と装備、この食料を見る限り、この世界の科学で次元転移装置が発明されているとは、到底思えない、それこそ都合の良い魔法でもなければ、この世界で生きてゆくしか無いだろう。
それも今見て来た様な奴らに食われたりせず、この大樹の森を出られたならば、だ。
竜司は早足でひたすら歩いた、こんな森で夜明しは御免被りたい、なんとか日のある内に森を抜けようと、必死に歩いた、それこそ食事の間も惜しみ、固いパンをかじりながら歩き通したのだが、竜司の足はそこで根が張った様に止まってしまった。一本道だと思われた道は、二方向に分かれていたのだ。じっとりと顳かみに汗が流れ、思考も停止する。
選ぶ道によっては、森を抜けられないかもしれないと思うと動けなかった。今の食糧事情と自分の体力を鑑みて、少しでも短い道を選ばなければ行倒れ確定だ、それでなくてもすぐにこの世界の獣たちにき散らかされることだろう。
左の道はそのまま先が見えない大木の間を真っすぐに続いている。
右の道も同じように大木の間に伸びているのだが、その先の山の頂に何かしら建物の様なものが張り付いているのがかすかに見える。ただ今日中に其処に着けるかどうかは別の話になりそうな距離だった。
竜司は遥か山の頂に見物らしきものが見える右の道に決めた。
やはり見えると言うのは大きい。
竜司は直ぐに小走りに走り始めたが、日が沈み始めるのは早かった、リュウジの目の前方に街が浮かんで来たのは、もうほとんど日が沈み切った頃だった、断崖と三つの月に囲まれた天空の街。
竜司は荷物を抱え、つづら折りの坂道を走り始めたが、一向に街に近づかない。
息は切れるし、すぐに脚も動かなくなってしまった、目の前に立ちはだかるつづら折りの坂はまだ五つしか折り返していない、確か上る前に見た時には折り返しは十五以上あったような気がする、なんとか太陽が残っているうちに、街に着きたかった竜司だが、焦る気持ちと空回りする心臓を抱えて走るも、はたから目れば足を引きずりながら歩いているようにしか見えなかった。
◇◆◇◆◇
そんな竜司を彼女は少し離れた木の枝から見ていた。
彼女はダナバード、この世界ではさして珍しくもない、ムクドリぐらいの大きさの鳥のような魔物だ、カラスよりも黒く、光を反射しない柔らかな羽は音を吸収し、彼らの羽音を消し去る。そのおかげで彼らは音もなく宙を舞う事が出来る。
その鳥の躰の上に生えた腕の無い小さな人間の上半身は白く、人工的に染めたかのように鮮やかな白さが闇に浮居ている。
髪の代わりに頭に生えた黒い羽毛は軽く、ほんの少しの風にも靡き、いつもゆらゆらと揺れている。
彼らは吸血の種族だ、生き物の血を吸い糧とする。
小さな体躯にさしたる量は必要としないが、それでもなかなか食事にはありつけない。
今も彼女はここ一週間近く溜め込んだ飢えを抱えて、いまにも倒れそうに、足を引きずりながら歩いているリュウジを凝視していた。
ついに空腹に耐えきれなくなった彼女は、いまにも倒れそうでいて、なかなか倒れない竜司に向かって降下していった。
普通なら群れで行動し、肉食獣の食べ残しや、動けない動物等を獲物にしている彼女達だが、群れから追われ、一週間近く獲物にありついていない彼女は、もうこれ以上待てなかった。
ひたすら何歩か前だけを見つめて歩き続ける竜司の顔に、きなり何かがかぶりつく。
それは鍵爪で竜司の顔に張り付くと、目を狙って歯を立てた。
竜司はそれを顔から引き剥がそうした瞬間、足を踏み外し、斜面をバウンドしながら落ちていった。
途中何度目かのバウンドで、竜司は大腿部に激痛を覚え、意識を手放した。
◇◆◇◆◇
その日彼は上機嫌だった、日に焼けた肌に、深い緑色の瞳と、やはり深い緑色の髪を靡かせ、此処数ヶ月の狩りの獲物や採取した薬草類が、思いの外良い値段で売れたのを思い出しては顔をほころばせてアイゼベリックの引く場車を走らせていた。
彼のアイゼベリックも非常に上機嫌で、ブルーグレーの美しい躰を、上下にテンポ良く揺らして、走ている。
細長い耳と、その先につく、御者台にまで届く長い触覚を、誇らしげにそらして、時々彼の手に触れてくる、彼の意思が伝わると、またテンポよく躰を揺らして走り出す。
彼はザルクと言いミュラの街で薬草の採取や魔獣を狩って、生計を立てていた、この幻と言われる魔獣アイセベリックも、そんな折にたすけた魔獣だった。
たすけた当時は小さな子供魔獣だったが、今は二頭立ての馬車を軽々と一頭で引いている、しかも手綱いらずだ、向こうから触角を伸ばして行き先を聞いてくるので、行き先を思い浮かべるだけで良いのだ。
そんな彼の住むミュラの街は、最果ての街と呼ばれ、其処より先に人は住んでいない。
周りを断崖に守られた、自然の要塞であり、それ故その場所に存在し続ける事が出来ていた。
ミュラの街から出る道は、里へ降りる道と、魔境へと向う道の二つしか無く。彼は何時も、魔境の道を通り、相棒のアイゼベリックのリックに乗って魔境で狩りをしていた。
その為、獲物は魔獣が多い、街周辺のほんの入口の当たりの弱い魔獣だが、それでもミュラから里に降りれば、それは中々手にはいりにくい品となる、薬草も里には自生しない物が多く、たとえ同じ物でも格段に質が良かった。
ただ、彼の腕がもう少し良ければ、どんな岩場だろうが、密林だろうが、走破する相棒の能力を生かし、どこまでも森の奥へ行けるのだが、今のザルクが行けるのはほんの街の周辺の森までだった。
しかし、今回彼は運が良かった、怪我をして動けなくなった、イベリア猪を見つけ狩る事が出来たのだ。
本来イベリア猪は村周辺では見かけることも無く、見かけても、とてもザルクに狩ることの出来るような魔獣では無かった、返り討ちに遭うのが落ちである。イベリア猪は捨てるところが無い魔獣と言われ、肉は旨く皮も上質、強度の高い骨まで取引されている、其の牙に至っては魔獣の中でも屈指の強度を誇り剣の素材にもされているほどだった。
ザルクも、一本はいずれ自分の剣にでもしようと売らずに物置の奥に保管している、それをどんな剣にしようかと考え、ひとりでニヤついていた。
イベリア猪の牙は鉄よりも硬く重い為、加工料も高く、加工できる職人も少ない、この手の素材の加工は、頼むところを間違えると、貴重な素材を台無しにされてしまう、まず信用できる職人探しからなのだ。
そんな事を思う彼だが、今は、今回の成果が嬉しかった、これで一年は家族三人が暮らせる位の金が手に入ったのだ、いつも二三ヶ月ごとには里に降りていたのだが、今回は一年近く持つだろう、そうなれは、家族との時間も取れるし、リスクの高い狩りも当分は避けられる、上機嫌にもなろうと言うものだ。
ザルクは御者台から振り返ると、売った金の一部で買い揃えた、土産や必需品を見ると満足そうに笑みを浮かべた。
ミュラの街に着くのは、明日の予定だったが、彼の逸る気持ちが、リックに伝わってしまったのか、いつの間にか早足になっていたらしく、もう少し頑張れば、日は沈んでしまうが、今日中に着けそうだ。
ザルクは、妻の作る温かい食事と息子の顔を思いだし、リックの触覚に触れ、もう少し急ぐように指示した。
リックは、日が沈みかけ、薄暗くなったつづら折りの坂道を、大事な主人と荷物に気を遣いながら、できるだけ平坦な所を選んで走っていた。
薄暗いと言っても、ザルクには、もうほとんど何も見えない暗さだ、雲のない日なら、三つの月と満天の星で、彼にも辺が見えるのだが、月は先程からは雲に閉ざされていた。
リック任せで、闇の中に馬車を走らせていると、リックが立ち止まり、その前に何かが落ちていた。
ザルクは人間のような気がしたので、慌てて馬車から降りてみると、少し変わった服を着た若い男が、わき腹にダナバードと荷物を抱えて横たわっていた。
ザルクが近づくと、直ぐにリックの触覚が触れ、その人間が怪我を負い、気を失っていることを教えてくれた。
暗くてよく確認はできないが、それにしてもここから落ちてきてよく助かったものだ、ザルクは急いでダナバードを追い払うと、其の人間が落ちたであろう崖を見上げた。
この道の先にはミュラしか無い、ミュラに行こうとしたのだろうが、こんな軽装でどうやってここまで来たのだろう、こんな小さな革袋一つで何処から来たと言うのか、一番近い村でも馬車で五日以はかかると言うのに、いくら麓の大樹の森でも、この装備では抜けられない、途中で、馬でも失ったのか。
あたりを調べてもほかに荷物は見当たらなかった。
ザルクは仕方なく、その男を馬車の荷台に引き上げようとすると、足が太ももから少し有れぬ方向を向いてしまう。
「こりゃ重傷だな」
ザルクは医者が必要かと思いつつ、あと少しで着くであろう、我が家目指して馬車を走らせた。
◇◆◇◆◇
実に一週間ぶりの食事ににありついた彼女は、有り得ないほどの力が体に漲るのを感じていた。
絶食していた分の体力を補って余りある力が躰から迸っているのだ。
躰は軽く、頭は靄が晴れた様にすっきりとしている。
彼女は軽くなった体と靄の晴れた頭に歓喜し、闇に向かって放たれた黒い矢のように大樹の森の暗がりに消えていった。
お読みいただきありがとうございます。
不定期にはなりますが、できるだけ早く(毎週目標)でアップしていきたいと思っています。
今後とも是非お付き合いください。