びっこ
僕がむかしバイトしてたペットショップでの話し。
商店街の入り口にある小さなペットショップ。
犬と猫がメイン。
とくに子犬と子猫。
学校帰りの学生さんとか、休日に家族連れが遊びに来る。
壁全面がペットの保育室になってて、お客は好きにペットを覗けるようになってるから、休みの日になると、店の中は「かわいい~!」とか「あ、ねてるねてる!」という、高揚した声に包まれる。
そしてみんな一様に、まあるい顔で帰っていく。
そういうところが、僕は好きだった。
ある日、僕は気づいた。
下から二段目のケースに居る子犬の歩き方がおかしい。
すぐにチーフに連絡して、店長にもつないだ。
「売り物にはならないだろうな・・・・・・・」
獣医さんにかけるための電話を取って、チーフはぽつりと言った。
その子は生まれたてのコリー。
よく見ると右足の間接が左足に比べて少し膨れている。
触ってみないと解らないくらいちょっとの膨れだけれど、「商品」の「欠陥」には違いなかった。
獣医さんのところへ連れ出そうと、僕がケースに近づくと、彼はひょこひょこびっこを引きながら走ってきた。
注射一本だろうな。
この店で、そういうことが起きるなんて考えたくなかった。
ディズニーランドに、現実はいらないから。
次の日。
目覚めの悪さを感じながら、僕はバイトに出た。
店に入ってすぐのケース。
彼は、他のたくさん子犬や子猫と一緒に、朝ごはんを待って尻尾を振っている。その様があんまりにも一生懸命で、彼が今日、子犬を卸してもらっている業者さんに来てもらって、「不良品」であることを確認してもらったら、そのまま店のバックヤードで安楽死になるなんてーーそれは、昨日、帰る前に店長が教えてくれた話だったーー全然想像できない。
「物」の売り買いをしているってことは承知してた。
でもそれは、ここでは「物」でも、一度、飼い主さんの家に着いたら、もう「家族」とか言われるものになっていく「物」であって、ここには、そんな素敵な「物」以外は無いと思っていた。
ケースを覗くと、彼は嬉しそうに走ってきた。
やはりひょこひょこ、かっこ悪くびっこを引いて。
僕はいつものようにレジに入る。
要するに店番。買いそうなお客がいたら声をかけるし、定時になったらケースの見回りをして、汚れたシートの取り替えなんかをする。
レジのカウンターは僕の腰くらいの高さだった。
ちょっと小さな子供ならすっぽり隠れるくらいの。
そこに立って、しばらくボケってしていた。
あんまり深く考えたくないこともあったわけだし。
それでも、たまに時計を見ては、業者の人が来る時間までを引き算している。
――――あと・・・・・・・・5分くらいかなあ。
「おにいちゃん!」
「うわっ!!」
飛び上がって驚いたのは数年ぶりだったと思う。
声のした方を見下ろすと、小学生も低学年ぐらいの男の子が一人、レジのカウンターから顔を出している。
「どうかしましたか?」
気持ちを無理やり、接客モードに切り替える。
男の子は、小さな手でカウンターの縁に捕まって、よじ登るくらいに背伸びをしながら、入り口の方を指していった。
「あの犬、いくらするの?」
「あの犬?」
「値段書いてない」
「ああ・・・・・・」
値段が付いていないのは"びっこ"の彼だけだった。
もう「売り物」じゃないから、外しておいたのだ。
「ごめんね。あの子売れないんだよ」
「びっこだから?」
「ん・・・・・・」
この質問に即答できるのはよほど神経の図太い人間だろう。
僕は何とかごまかしたくってセリフを探した。
でも、男の子の方が早かった。
「びっこでも、僕あの子ほしい!僕、買いたいんだ!!」
そういって、カウンターにトン、と手を載せた。
「ください、びっこください!!」
カウンターの上の、くしゃくしゃの千円札一枚と、雑多な小銭。
千円札は、一生懸命握ってきたんだろう。汗でしけって、色が何となく灰色になっていた。
「でもさ、ほら、お父さんとお母さんに断んないと・・・・・・・」
苦し紛れとはこのこと。
男の子はギンと僕を睨んで、またドアの方を指差す。
そこにはお母さんらしき人が立っていて、僕と目が合うとゆっくり頭を下げた。
こりゃ、まいったなあ。
「・・・・・・・・・・・ちょっとまってて。店長にきいてくるよ」
一抹の不納得。
でもまあ、交渉だけはしてみよう。
僕は何となく急ぎ足で、店の奥に入っていった。
五分後。
男の子はカウンターにへばりついたまま僕を待っていた。
ほっぺたが赤くはれて、眼が水っぽくなっている。
僕はなるだけ優しい声で言ってやった。
「いいってさ。もってっていいよ」
「ほんと?」
泣いてたんだと思う。少し枯れた声で、少年は言った。
横にたったお母さんが、その子の髪の毛のつやつやした頭を撫でた。
「今出すから」
裏に回って、ケースを開ける。
びっこはいつもどおりはしゃぎまわって喜びながら、僕の手に飛びついてくる。
それにしても、変わったお客さんだ。
こんな犬を買っていってどうするんだろう――。
飽きて捨てられる犬は星の数ほど。
びっこも、いまは可哀想とか思われて、大事に育てられても、「大きく」なったら邪魔にされる。
そしたら、そのときは、そういう星の1つになるんだろう。
足りないお金はお母さんが払った。
もちろん、かなりoffにしたけれど。
びっこは「商品」として立派に「売れた」。
「おとしちゃだめだよ。」
フルフル震えるちいさな、でもあったかい首に首輪をはめて、僕はびっこを手渡してやる。
ばいばいびっこ。
出来るだけゆっくり大きくなるんだよ。
「ありがとう!」
男の子はびっこを抱きかかえると、「よいしょ」とカウンターを離れる。
そしてひょこっと歩き始める。
「え・・・・・・・・?」
僕は、はじめなんだかよくわからなかった。
ひょこり、ひょこり。
男の子はとっても不恰好に歩く。
かっこ悪くびっこを引いて。
お母さんはゆっくり彼の後を付いていき、店の出口のところで深々と頭を下げた。
ほんとに、ずいぶん前の話。
商店街もいまはシャッター街。
その店も今はもう無くなってしまった。
みんな忘れてしまっただろうな。あの店の事は。
でも僕は今でも。
いまでも、二人のびっこが忘れられないでいるんだ。
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