金は盲目
足下に落ちていた紙を拾い上げると、それは一万円札だった。随分と古びれているけれど、目立った汚れはない。
俺はすぐさま周囲を確認した。誰かに見られていないか、落とし主が事態に気付いて戻ってこないかを確かめるためだ。
何度見回しても、人影はなかった。ほっと安堵する。
千円ではなく、一万円だ。気持ちが高ぶらないはずがなかった。なにをしようか、なにを買おうかと妄想が広がる。
ちょっと美味しいものを食べることだって、欲しかったゲームを買うことだって、少し遠出をすることだってできる。
一万円を拾っただけで、俺の幸福指数は跳ねあがった。子供がお年玉を貰ったときの感覚と同じだ。
社会人になって、お年玉をあげる側になってしまった今では、年に一度味わえるかどうかである。
年二回ボーナスでもここまで喜ぶことはない。あれには、労働という対価を払っているからだ。子供のお年玉とは違う。まったく違う。
あまりの嬉しさに、自然と顔がにやけてきた。
一万円だ。
何度だって言おう。
俺は一万円を拾ったのだ。
嬉しくないはずがない。
誰だって嬉しいはずだ。
しかし数分後、俺はうな垂れていた。
一万円札を拾った幸せなど、とうに消え去っていた。
そんなものは幻想にすぎなかった。
なぜなら一万円札を拾ったのは、自室だったからだ。