02.
「おはようございます」
「おはよう。清信君」
扉を開けると、ファイルの整理をしていた社長と目が合った。
『萬相談事務所』
築30年を越えたビルの2階にあるこの事務所は、社長の他に、社員はこの春入社した僕一人だ。
ただ、夕方になると二人の高校生アルバイトがやってきて、この事務所も少し騒がしくなる。
アルバイトの方が経験があるというのも妙なものだが、なかなかどうして、大人のこちらがだじだじになってしまうような鋭い発言が多く、僕は一目も二目も置いているのだ。
この事務所は表向きには『人材派遣会社』を銘打つ会社だが、実際のところ一般的な人材派遣会社とは性質を異にしている。
この事務所が人を派遣するのは、依頼者の夢の中なのだ。
例えば、「失くしてしまった指輪の在り処」や「忘れてしまった想い出」を探すために、依頼者の夢の中に入って、その人の心の奥に接触してその記憶を探すわけだ。
初めてその仕事内容を聞かされた時には、随分と驚いた。
人の夢の中に入ることができる、ということと、そんな仕事が成り立つことに、だ。
技術自体は社長が開発したもののようで、ノウハウは社長の頭の中にあるだけで、実際稼働させているシステムも世界中にこの会社にしかないらしい。
そもそも、人の夢の中に入ることができるなんて、世間一般では全く浸透していない考え方で、そんな発明が成功しているなら、特許も取れるノーベル化学賞ものではないのだろうか。
それなのに、社長はどこ吹く風で、こんな片田舎に会社を構え、あまつさえアルバイト2人と社員1人という零細企業で気に留めた様子もない。
入社してすぐそんなことを尋ねると、社長は笑って手を振った。
「まだまだ試験運用中だからね。大々的に宣伝とかはできないんだよ。そういうのは、きちんと臨床データが集まってからだから」
あっさりとそう云った社長の言葉に、そんなものかと思ったのを覚えている。
「お父さん、調子はどう?」
「あ、お蔭様で、今は元気です」
「良かった」
「社長、今日は何か」
「朝1件電話があったよ。お昼くらいに相談に来るそうだから」
「解りました。じゃあ午前中は前回の報告書を作成してます」
「うん。取り敢えずデータ収集してるから、何かあったら声かけてね」
何冊かのファイルを手に取って、社長はそのまま左手のドアへ消えた。
社長はいつ来ていつ帰るのかわからないほどにこの事務所に入り浸っている。
この応接室を挟んで、右手に事務室と給湯室、左手前に社長室があるが、そこは酷いありさまだ。
段ボールが所狭しと並び、壁一面本棚にはみっしりと洋書や辞書の類が詰め込まれている。
机の上は言わずもがなで、山のように書類が積み重なっていて、いつ雪崩れるか僕は不安でしょうがない。
ただ、社長室にある資料を社長以外が触ることはないので今の所被害は免れていた。
依頼者の情報や、これまでの報告書などは応接室にある戸棚に収められているので、僕やアルバイトの高校生たちは大抵其処から必要なものを選び出すだけで済む。
先ほどまで社長の立っていた戸棚の前で、自分専用の緑のファイルを引っ張り出すとこの応接室にひとつしかないデスクについた。
事務所の電話は此処にあり、大抵昼間は此処で電話番をしながら書類の整理やメールのチェックをするのが日課だ。
僕はパソコンを立ち上げて、取り敢えずその間に先日の依頼書をファイルから探し当てた。
入社して1カ月経とうかというところだが、熟した依頼の数は10数件だ。
もっともこれは、優秀な先輩であるアルバイトの彼らがサポートしてくれた上での数字である。
事務室の左手奥にある真っ白な扉に一瞥をくれて、僕は僅かに目を瞬かせた。
あの扉の奥にある部屋を、社長は「想訪室」と呼んでいる。
沈み込むように深い椅子が4つ設置されていて、その椅子はカプセルのように透明の覆いを持っていた。
カプセルの中には夢に入るに当たって装着するヘッドフォンに似た機械があり、そこから出る周波が脳に作用して依頼主の夢の中に招いたり、入ったりできるようになるらしい。
最も社長からの受け売りで、僕にはまだ詳しい造りは良く解っていないのが現状なのだけれど。