第2章 扉(1)
家に向かう路地を歩きながらマキは腕時計を見た。AM5:35。
明け切っていない街に高校の制服姿のマキは少し場違いな感じがした。
昨夜ネットカフェに泊まったことをまた母に問いつめられるのかと思うと気が滅入った。
なんとか顔を合わせないように部屋に駈けあがろう。
そんなことをずっと考えながら、寒々としたアスファルトをただ見つめて歩く。
ふいに視界に入った黄色い猫。
野良猫のマイケルだ。
いつもは人なつっこく穏やかなマイケルが、今日は何かを見つめてじっと動かない。
(なんだろう)
その視線の先の袋小路になった一角に一人の男が立っていた。
黒っぽい服を着た背の高いその男は、マイケルを見つめて微動だにしない。
肌寒い朝だというのに首筋にうっすら汗をかいている。
(この人、猫が怖いのかしら)
まさかと思いながらマキは黄色い猫を呼んだ。
「マイケル、おいで」
のっそりとこっちを向き、低くニャーと鳴いてからマイケルはこっちに歩いてきた。
呪縛から解かれたように目を閉じて男はハァ~と息を吐き、マキをちらりと見た。
(・・・この人、猫が怖いんだ)
寝不足と疲れのせいもあったのだろう。何ともいえない可笑しさが込み上げてきて、
マイケルを抱き上げながらマキは声を出して笑ってしまった。
通りすがりの人を笑うなんてこんな失礼なことはない。
それでもクスクスとマキはいつまででも笑った。
男はバツが悪そうにくせのある髪をかき上げると、マイケルを見ないように注意しながらマキの横を通り過ぎた。
すれ違うときマキに小さく「ありがとう」と言って。
まだ薄暗い夜明け前。
結構背の高いその男の後ろ姿を見つめながらマキは「変な人」とつぶやき、
マイケルをギュッと抱きしめた。
湿ったコンクリートのにおいがする。
「マイケル、今夜は何処をうろついてたのさ」
マキの意識のスイッチがONに入る。
とたん、マイケルの記憶の断片がマキの意識に流れ込む。
ノイズの混ざったモノクロのスライド写真のようにマイケルの記憶の映像がマキには見える。
いつの頃からだろう、この特殊な能力に気がついたのは。
素肌で人や生き物に触れると断片的な記憶の映像や感情がマキには読みとれてしまう。
今ではONとOFFを切り替えられるようになったが、この能力のおかげで辛い思いをいっぱいした。
今は記憶を読むのはマイケルだけにしている。
「またミーコを追っかけてたんだね。これじゃストーカー猫だよ。・・・・・あれ?」
マイケルの記憶の中に暗闇で蠢く人影が見えた。
TVでよく見る赤外線暗視カメラの映像のようにマイケルはその人物を捕らえていた。
さっきの男だ!
近くのマンションの入り口のオートロックをカードで解除しようとしているのだが、
明らかに普通じゃない。
何か機械のような物を差し込んで不正にロック解除しようとしているのがわかる。
ロックが解除されると注意深く辺りを確認して男はその中に消えていった。
(泥棒なの!?)
その後の記憶は曖昧で、マイケルの視線でのマンション裏の散策映像に変わり、その後はさっきマキが見た場面だった。
この辺りをうろついた後、再びマイケルはあの男に出くわしたのだろう。
「ふーん。おもしろいじゃないの、マイケル。わくわくしてきた」
じわじわと明けてくる空。
さっき男が立っていた場所に光るものを見つけてマキは近づいてみた。
シルバーのクロスのペンダントだ。
誰かの肌を放れて時間が経っていないのが温かさでわかる。
朝の光にキラリと光るそれを拾い上げると
マイケルを高い位置からポンと降ろして、マキはニヤッと笑った。