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白昼夢  作者: 佐崎らいむ
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最終章 夢の終わりに(後編)

「あいつを自由にしようと思えばできたんだ。組織を抜けさせて普通の生活をさせてやることだって出来たかもしれない。でも、そうさせてやらなかった。考えないようにしていた。自分にまでウソをついていた。本当はこの世界から逃がしたくなかったんだ」

「・・・坂木さん」

「やっと全て分かったんだ。あいつがいなくなってやっと本当の事が分かったんだ」

「やめて、坂木さん」

坂木は少女の言葉など聞こえていないかのように喋り続けた。

「あいつを手放したくなかった。ずっと自分の側に置いておきたかった。自分だけのモノにしておきたかった。罪を重ねさせて、翼を折って、傷つけて。自分の心を浄化させてくれるあいつを、ただ鎖に繋いで束縛していたんだ! 守ってなんか欲しく無かった。ただ側にいて欲しかった。悪魔は俺の方なんだ。連れ去って、閉じこめて、・・・殺してしまった」

そこまで叫ぶように話すと坂木は、その場に崩れるように跪き、肩を振るわせて泣き出した。


辺りには地上から切り離されたように誰一人いなかった。

ただ乾いた秋の風が二人の間を通りすぎていく。

少女はゆっくり立ち上がると、嗚咽を漏らし泣いている男を静かに見つめ、そっと歩み寄った。

「愛してたのね」

そして自分もその横に跪くと坂木の背中を優しく抱いて、もう一度つぶやいた。

「たとえそうだとしても、かまわないよ」


坂木の背中の震えが一瞬凍り付いたように止まった。

少女の声は続いた。

「堕ちるのなら、貴方と一緒に堕ちようと思った。そう思ってずっと一緒にいたんだよ」

坂木は目を見開いたまま動けなくなった。

「陽・・・・・・・なのか?」

背中で微かに躊躇うような息づかい。


「陽じゃないよ。・・・でも、彼の言葉を預かってる。聞いてくれる? 坂木さん」

「・・・・・」

少女は構わずに話し始めた。静かな、落ち着いた声で。


「もし僕がある日いなくなっても、どうか悲しまないで。貴方の傍で僕はたくさんの幸せを貰いました。あなたと出会っていなかったら僕は僕でなくなっていたと思います。でも、僕と出会ってしまって貴方は幾つも辛い選択をしなきゃならなかった。その罪の意識があなたをずっと苦しめているのを知っていました。

ごめんなさい。

どうか、僕の事でこれ以上悲しんだりしないでください。貴方に願う事があるとしたら、ただそれだけです。

ずっとそばに居てくれて、ありがとう。あなたが、大好きでした」


シンと、地上の全ての音が消えたように辺りが静まりかえった。

坂木は地面にひざまずいたまま目を見開き、そのまま動けずにいた。

涙は止まることを知らないように後から後から頬に流れ落ちてくる。

そばで少女が見つめていることも、誰かにその姿を見られるかもしれないということも、

その時の坂木には気にならなかった。


どれだけそうしていたのだろう。

背中の温もりは何時しか消えていた。

ハッとして体を起こし辺りを見回したが、さっきの少女の姿は無かった。

ふらつきながら立ち上がり、ぐるりと回ってみたがやはり辺りには人の気配すらない。

わけもなく空を見た。

青く青く、どこまでも深い空。

坂木は目を閉じて両手を空に差し出した。太陽の温かさをその腕で抱きしめるように。


ふわりと暖かい風が坂木の腕の中に入り込み、頬ずりするように優しく触れて空へ還って行った。

坂木にはそんな気がした。

心の中にあった氷がゆっくりと溶けだしていく。

あの時と同じだ。側にいてくれたときと時と同じ。心が優しく満たされていく。

「わかったよ。もう泣かないよ。いつまでも心配かけてすまなかった。本当に・・・本当にありがとうな。陽」

風の抜けていった彼方を見つめて、坂木はようやくほんの少し笑った。


あの日、大切なモノを失ってから、初めての笑顔だった。

初めて言えた、心からの「ありがとう」だった。


         ◇


美術館前の少年の像は今日もその瞳を伏せて、何かに向かってかしずいている。

誰もが天使と思いながら眺めている悪魔の像。

そのブロンズ像に近づきそっと頬に触れる少女の細い指。

「あなたの大切な人は泣き虫だったよ」

マキはその少年の目を見つめながら悲しげに笑った。


辺りには人の姿は無く、まるで時間が止まってしまったかのように感じられた。

石段に足をかけてヒョイと台座によじ登ると、ちょうど目線が同じくらいになる。

マキは少年の像に並ぶように座って真っ直ぐ前を見た。


「あなた、毎朝ここに来てたんだよね」

マキの視線の先には美しい造りの教会の屋根が見える。

出勤ラッシュを迎える時間になると朝日が十字架を照らし、乱反射したステンドグラスの虹色の光に体が包まれるような瞬間が訪れる。

周りの景色も音も溶け出すような、夢の中に居るような瞬間。

まるで小さな宝物を見つけた子供のように、陽はその瞬間を見に来ていたのだ。

マキが読みとった記憶の中で、それは宝石のように輝いていた。


「あなたはずっとあの時の、11歳の少年のままだったね」

マキは少年の像を見つめた。

「純粋で、真っ直ぐで。あんな心を持った人、他にいなかった。あなたはそんなこと知らなかったでしょ?」

少年の像はただ物憂げに瞳を伏せている。

まるで静かに、神妙にマキの言葉を聞いているように。

「でも坂木さんにとってあなたは本当に天使だったのかな」


マキは坂木の背中に触れながら共に、陽という人間の本当の意味での罪に触れてしまった気がした。

純粋さゆえの。

生まれ落ちたその日から抗う事の出来ない罪。


今、一人の男の夢が終わった。

一人の少年に出会い、翻弄され、そしてふたたび奪われてしまうまでの長い長い白昼夢。

マキはチラリと突き抜ける青い空を見上げた。

まるで慈悲とばかりに二人を出会わせ、そして気まぐれに引き裂き、その悲しい運命に涙を流すふりをして、

ひっそりと笑う天使を空の片隅に見たような気がした。


「だいじょうぶだよ。もう、すべて終わったからね。あの人はきっと大丈夫だから。もうゆっくり眠っていいよ。・・・辛かったね、陽」


あの日、木漏れ日の中でそうしたように、マキはその冷たい頬にそっと優しく口づけた。



            

                 (END)




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