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白昼夢  作者: 佐崎らいむ
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第9章 天使の称号(9)

微かな物音に坂木が目を覚ますと、

寝室の窓際にシャワーを浴びてきたばかりの陽がバスタオルで髪を拭きながら立っていた。


「帰ってたのか」

坂木は安堵の息を漏らした。

酒の力を借りても心配は収まるはずもなく、寝ていたはずなのに体が凝り固まって疲れが抜けていなかった。

陽は坂木を見てニッコリ笑うと「おはよう」と言った。


「スッキリした顔をしてるな。うまくカタが付いたのか?」

「心配かけてごめん。もう大丈夫」

「ふん。心配なんてしてねえよ」

ここのところの陽の水臭さにかなり腹を立てていた坂木は、ワザとそっけない言い方をしてみた。

「うん。ちゃんとベッドで寝ててくれて安心した。またお酒ばかり飲んでたらどうしようと思ったよ」


バカ野郎! 酒も浴びるほど飲んだし心配だって山ほどしたんだ!

今度はそう怒鳴りたくなるのを坂木はぐっと堪えた。


その時坂木の携帯がメールの受信を知らせた。


なんだ?こんな朝っぱらから。

坂木はチラリと時間を確認して携帯を開いた。

「ん? 辰巳からだ。何でメールなんだ?」

坂木の言葉に反応して一瞬陽は表情を硬くした。

「・・・なんだ、この膨大な文字数のメールは! ヒマか? あいつは」

鬱陶しそうに坂木はその長文のメールを読み始めた。

けれど読み進めるにつれてその表情が険しくなっていく。

次第に画面に食い入るように顔を近づけ、まばたきもせず文字を追う目はやや充血してきた。


陽はそんな坂木の様子に気付くと、少し緊張したような様子でそっとリビングへ続くドアに近づいた。

「ちょっと待て、陽! ここに居ろ!」

目の端で逃げようとする陽を捉えて大声で怒鳴った坂木は、そのまま更に最後までそのメールを読み進めた。


陽はイタズラを見つかって叱られた子供のように所在なさげにドアの前に立った。

メールを読み終えた坂木は怒りに任せて立ち上がり、ベッドに携帯を投げつけた。

スプリングに跳ね返った携帯が乾いた音を立てて床に落ちる。

「黒崎のヤロウ、ぶっ殺してやる!!」

血走った目で、ドアの前に立つ陽をグイと押しのけると坂木はドアの取っ手に手をかけた。

やはり辰巳のメールは今朝の出来事の報告だった。

そしてそれにはかなり細かく事の詳細が書いてあったのだ。


「坂木さん、どこに行く気?」

慌てて陽は坂木の腕を掴んだ。

「お前への説教は後だ! まずあいつをぶっ殺してやる! ボスが処刑宣告したとしてもその前に俺がこの手で殺ってやる!」

坂木は陽の手を乱暴に振り払うとドアレバーをぐっと引いた。

「だめだって!」

更に力強く掴んだ陽の手を坂木はまた振り払う。

「じゃまするな!」

けれど陽は背後から手を回し、強く抱き留めるような形で坂木を動けなくした。

さすがにビックリして一瞬動きを止める坂木。

陽は興奮している坂木にそのままの姿勢で静かに言った。

「ごめんね。でも、僕は大丈夫だから」

「……」


諭すような、懇願するような響き。

坂木は少し諦めた形でなんとか気持ちを静め陽を振り返った。


ゆっくり体を離した陽はホッとしたように小さく息を吐いた後、

今度は少しすねた声で独り言のようにポツリと言った。


「だから嫌だったんだ。・・・絶対意地悪だ、辰巳さん」

「あ?」

坂木は不服そうな顔をして窓際に歩いて行った陽を目で追う。

「なんでだ?」

陽は窓の外を眺めたまま、もうそれには触れない。

まだ髪を拭きながら黙って下の方を覗き込んでいる。


けれどそのうち不意に嬉しそうな顔をして陽は坂木を振り返った。

「ねえねえ、坂木さん、来て」

「ん?」

陽は小さく手招きすると窓際に坂木を立たせて下を指さした。

三階のその部屋からは外の様子がよく見える。

窓はちょうど裏にある公園に面していて、石畳の道をジョギングする男性や、出勤のため駅に向かうサラリーマンの姿がポツポツ確認できた。


そして葉の茂りの薄い街路樹の隙間に、あの白い野良犬がちょこんと座って道行く人を見ていた。

陽は犬が元気でいるのが嬉しかったのだろう。

坂木はただ黙ってしばらくの間その犬を見ていた。

苛立った気持ちを何とか抑えようとでもするように。


思えばいつもこうやって、すぐに頭に血がのぼる自分を陽は諫めてくれた。

間違った怒りではないはずだが、爆発させてもどうしようもない感情だった。

熱が出たときに冷たいタオルを額に当てる。そんな感覚でこの青年は怒りをいつも静めてくれた。


“おまえの悲しみは、怒りは、どこへ行くというんだ。”

坂木は喉元からこみ上げてくるものを、ぐっとこらえた。


犬は常に周りを警戒してはいるが、笑顔で近づいて来る優しそうな人間には時折しっぽを振る。

こんなにホテルに近い場所まで来てしまった。

坂木はやりきれない想いにとらわれた。

もうだめだな。

捕まるのは時間の問題だ。

その前にここを出よう。

きっと陽は悲しがる。


「そういえば辰巳から移動の指示が出てたよ。次は海のそばの景色のいい場所だってよ。どうせなら夏が良かったよなあ」

てっきり後ろに立っていると思って話しかけたのだが、陽の反応は無かった。

不思議に思って振り返ると、陽はいつの間にか自分のベッドで猫のように背を丸めて眠っていた。


「・・・こいつ」

人を力づくでなだめておいて今度は拗ねて、子供みたいに嬉しそうにしてるかと思えばいつのまにか眠ってしまった。

坂木はまた一つ溜息をついた。

「仕方ないな・・・説教はまた今度にしてやるよ」

まだ髪を濡らしたまま子供のように小さく寝息を立てている青年を見て、坂木はほんの少し笑った。

目を覚ましたら、すぐにここを出よう。


「辛かったな、陽」


坂木は薄い毛布をその体に掛けてやると、

そっと静かに窓のカーテンを閉めた。




      (天使の称号・END)


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