第9章 天使の称号(8)
「辰巳さん、何言ってるんです。頭がおかしくなっちまいましたか?」
だぶついた首を縮めるようにして黒崎は低く笑った。
敬語は使っているものの、そこに敬意は微塵も感じられない。
そのまま薄ら笑いを続けていた黒崎だったが、辰巳の背後で開かれたままのドアを見て笑うのをやめ、急に顔を引きつらせた。
見張りに使っていた男が辰巳の部下と思われる屈強そうな二人の男に後ろ手に縛り上げられている。
ただ事ではない空気を感じ取って黒崎は、引きつった顔のまま辰巳を見た。
「調べるのに苦労したよ、黒崎。ボスがえらくご立腹でね。すぐに連れて来いって、こんな朝っぱらから出動命令さ。だがそのお陰でもう一つ余計な罪を重ねずに済んだじゃないか。俺に感謝しろよ」
「な・・・・何を言ってるんだ、あんたは」
黒崎は顔面蒼白になり、事態が深刻である事への恐怖に声を震わせた。
「ロシアでの思い出話をボスの前でゆっくりしてもらおうじゃないか。証人も3人ほど用意しておいた。まあ、楽しんで来てくれ」
「何の事だ! 俺は知らない! 俺じゃない!」
泡を飛ばし叫ぶ黒崎に、辰巳はただ冷たい一瞥を投げた。
筋肉質な大男が背後に立ち、黒崎の手から銃を奪い取る。
血走った目で大男を睨みつけながらも黒崎は、腕を掴まれたまま入り口のドアに向かってガクガクと不格好に歩くしかなかった。もう、判決は下ったのだ。
重厚な鉄のドアが処刑場へ向かう受刑者を飲み込むように冷たい音を立てて閉まり、去っていく男達の足音も次第に遠ざかっていった。
再び地下室は外部と切り離されてシンと静まりかえった。
辰巳はゆっくりと振り返り、陽を見た。
閉じたドアをボンヤリ見つめていた陽は辰巳の視線に気付いて、少し慌てたように目を合わせた。
辰巳の目が不満を露わにする。
「ウソでもいいからどうして“YES”と言わない!」
けれど、とがめるように低く言った辰巳の言葉に陽は何も答えず、ただ少し困ったような表情を浮かべただけだ。
「・・・ったく」
辰巳は力が抜けたようにつぶやき、溜息をついた。
ガラにもなく手にじっとりと汗をかいている。
今、改めて坂木の気苦労が少し見えた気がした。
「辰巳さん」
陽は少し神妙な顔をして辰巳を見た。
「何だ」
「坂木さんには黙っててください」
「・・・あ?」
礼でも言うのかと思った辰巳は少しがっかりしたように陽を見つめた。
「さあ。どうするかな」
辰巳は少し笑いながら言うと、まだ手に持っていたコルトを腰のホルダーに収めた。
「あの目撃者の女の事はお前を信用して不問にする。だが何か事が起きたら、その時はお前が責任を取れ。それでいいな」
辰巳がそう言うと、陽はニッコリと笑って頷いた。
まったく、さっき自分が置かれた状況が分かってるのかと問いただしたくなるほどの嬉しそうな笑顔だった。
辰巳は気が抜けたように自分も表情を緩めた。
「なあ、陽」
「・・・はい」
「お前らはなぁ、OEAの中核だと思ってる。俺だけじゃない。本部の奴らはみんなそう思ってる。だから黒崎の言ったことは気にするな。組織の名の『天使』とは、おまえ達の称号だ」
辰巳の言葉に陽は一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、次第にクスクスと小さく笑い出した。
「何だよ! 何で笑うんだよ」
「辰巳さん、どうしたの?」
「何がだよ!」
「だって、以前はそんな優しいこと言わなかった」
「俺は口が悪いんだよ!」
辰巳はムッとしながらもヤケに気恥ずかしくなり、少し顔を赤らめた。
陽は気を悪くしたらしい辰巳に気付くと笑うのを止め、体を起こすと穏やかな口調で言った。
「そんなこと、どうでもいいんです。肩書きも、階級も、名称も。僕らにはそんなもの必要ありません」
陽は辰巳に深く一礼すると、ドアの方へ向かった。
思わず呼び止めようとしたが自分が何を言いたいのか分からず、辰巳は地下室を出て行く陽をただ静かに見送った。
「あの野郎・・・結局最後までひとっ言も礼を言わなかったな」
何故かじんわりと可笑しさがこみ上げ、
辰巳は陽が消えたドアを見つめながらクスリと笑った。




