第7章 HOME(5)
坂木はそうつぶやくと、まるで答えを教えてくれと言わんばかりに辰巳を振り返った。
急に猫の子のように不安そうな表情になった坂木の顔をじっと見つめていた辰巳だったが、
やがてフッと息を一つ吹き出すと、そのまま腹を抱えて笑い出した。
体を折り曲げて本当に可笑しそうにいつまでも笑っている。
そんなに笑っている辰巳を見るのは初めてだったため坂木はしばらく唖然としていたが、だんだん腹が立ってきた。
「何がおかしいんだよ」
「何がって、・・・可笑しいよ」
笑いの狭間に苦しそうに辰巳は答える。
それがまた坂木に困惑と腹立たしさを与えた。
辰巳はひとしきり笑った後やっと体を起こして、眉間に皺を寄せた坂木の方を向いた。
「お前はいったい何年あいつを見てきたんだ? 陽もバカだけどお前はもっとバカだ。
お前はあいつのことを全部分かってるもんだと思ってたよ。だが、そうじゃなかったみたいだな」
辰巳はそこで坂木をぐっと正面から見据えた。
坂木が訝しげに再び眉間に皺をよせる。
「俺は、悪いがパートナー間の気持ちのやり取りに気を配る気も、推し量る器用さもない。ただスムーズな仕事の遂行のみ考慮に入れる管理部員だ。だけどな、そんな俺にだってこの問題は解けるよ。単純すぎて、馬鹿馬鹿しすぎて、泣けてくるね。
いいか? もうこういう事は終わりにしようや。OEA幹部としての命令だ。
おまえ達はもう離れるな!」
坂木はキョトンとした顔で辰巳を見た。
その表情が可笑かったのか辰巳は涙目になりながら笑いをかみ殺す。
「俺の仕事を増やすなって言ってんだ。手続きだって大変なんだぞ、パートナーの書き換えは。各方面に連絡取らなきゃならない。書類の不備にいちいち噛みついてくる事務のババアがいるんだ。幹部は気楽だと思ってるんならいっぺんやってみろ」
坂木は叱られた子のように小さく首を横に振った。
「手伝わされたくなかったらすぐ陽の所へ行ってやれ」
人間味のない男だと思っていた辰巳の口から出た意外な言葉に、坂木の頭はまだ充分反応していなかった。
「・・・いいのか?」
「怒るぞ!何度も言わせるな。言っとくがこれはOEAの効率を考えての決定だからな。おまえ達の意見なんてもう聞かないぞ。ほれ、早く迎えに行ってやれ」
むかえに行く・・・。
坂木は鼻の奥がツンとするのを感じた。
病室のドアを静かに開けると、午後の光に満ちたその部屋はさらに備品等がかたづけられてガランとしていた。
ベッドも整えられ、相変わらず広い空間にポツンと置かれている。
窓はキッチリと閉められ、うすいカーテン越しに外の景色が半透明に透けている。
白いシャツを着てベッドの端に座りぼんやり外を眺めている青年の背中は、
あたりの光のすっかり溶け込んで見失いそうだった。
坂木は陽の名を呼んだ。
陽はゆっくり立ち上がり、坂木の方に体を向ける。
逆光のせいでその表情はよくわからない。だが坂木にはその方が有り難かった。
「さっきはすまなかった。どうも悪い癖が直らなくてな。・・・・・・その、なんだ・・。
また、俺と組んでくれるだろうか」
坂木にとって、いっぱいいっぱいのセリフ。こういう時は言葉がなかなか見つからない。
「いや、その、これは辰巳の決定事項らしいんだ。幹部命令だ、とか言って。俺は嬉しかったんだがな。・・・お前は・・・どうかと思って」
坂木はそこまでいうとじっと陽の言葉を待った。けれど陽は口を閉ざしたまま何もしゃべらない。
息の詰まるような沈黙。
坂木がまた何か言おうと口を開きかけた時、陽はようやく静かにポツリと言った。
「命令なら・・・従うよ」
その抑揚のない声に坂木はハッとした。
「違う、そうじゃない。そう言う意味じゃない」
「・・・うん、わかってる。・・・ごめん」
「・・・」
再び顔を背けてしまった陽を見て、坂木は確信した。
自分はどこかでこの青年を傷つけてしまった。そして、さっき更に追い打ちをかけたんだ。
もう、迷ってる場合じゃない。
坂木は大きく息を吸い込んだ。
「陽。戻ってこい。他の奴じゃダメなんだ。俺はお前に何もしてやれないけど、俺はお前が必要なんだ」
もう、言葉を選んでいる余裕はなかった。今言わなければ必ず後悔する気がした。
「俺はこんな性格だから何か余計なことを言ったのかも知れない。けど忘れてくれ。勝手だと思うだろうが、忘れてくれ。なるべく、そういうところ直そうと思う。
・・・ずっと前にお前が言ってくれた言葉、あれ、覚えてるか?すごく嬉しかったんだ。ほんとうに。
俺はずっとそのつもりでいたんだ。・・・いや、もう忘れちまったかもしれないが」
気が付くと陽がじっと坂木を見ていた。
そして少し当惑したような声で、小さくつぶやいた。
「・・・ずっと、二人でこの旅を続けて行こう」
坂木は一瞬ハッと息を飲み、そして嬉しそうにニンマリ笑う。
「そうだ・・・・・、それだ。俺も、お前とずっと一緒に居たいと思う。な、どうだろう」
額に汗をうかべ必死に話す坂木をじっと見ながら、陽はようやく表情を和らげ、ほんの少し笑った。
「僕でいいのなら」
坂木は改めて陽を見た。光にようやく目が慣れてきたらしい。
いつもの陽だった。
そう見えただけなのかもしれない。けれど坂木はそう思いたかった。
どこで歯車が食い違ってしまったのかは分からないが、どうしてそうなったのかはハッキリわかる。
だから、もう繰り返さない。
陽の少し照れたような表情を見ながら、坂木は心の中でつぶやいた。
おかえり。
◇
ホテルに帰る道すがら二人は特に何か会話するでもなかったが、初めてここに来た時の二人と何ら変わりはなかった。またもやタクシーに乗る案を却下され、坂木はぼやきながら陽に少し遅れ気味に歩いた。
ホテルに着き、部屋に入るなり陽は坂木をじっと睨んだ。
「どんだけタバコ吸ったの?」
灰皿に山盛りになった吸い殻。部屋中に染みついた臭い。そして足元に転がった幾つもの空の酒のボトルを見つけ、陽はまた溜息をついた。
窓を開け空気の入れ換えをを始めた陽に苦笑いする坂木。
「お前が帰ってきたら、そう言われるだろうと思ったよ」
開け放たれた窓から柔らかな心地よい風が入ってくる。どこからか甘いキンモクセイの香り。
何日かぶりに光を当てられた部屋を坂木はもう一度見渡した。
この部屋はこんなに心地いい場所だっただろうか。
窓から身を乗り出して子供のように外を眺めている陽を、坂木は久しぶりに穏やかな気持ちになってぼんやり見つめていた。
病室の窓から見えていた観覧車が違う角度で遠くに小さく見えている。
青い空にゆったりと浮かんでいる白い飛行船を見つけ、陽はそれをじっと目で追っている。
答えはずっと前から出ていたのに。
自分にウソを付いていたのは俺だな。
謝らなきゃいけないことも、聞きたいことも沢山あった。
でも、もういい。
想えば想うほど互いを傷つけていく。
だからもう、いい。
坂木は陽の名を呼んだ。
「え? 何」
「行くぞ」
「行くって、どこに?」
「遊園地に決まってるだろう?」
「え・・・・・・」
陽は驚いて坂木をもう一度じっと見つめた。
「え、じゃねえよ。ほら、行くぞ!」
思わず陽は笑い出した。
「行かないよ、遊園地なんて。何だよ突然」
「突然行きたくなったんだから仕方ないだろ! いいよ? お前が行かないんだったら俺一人で行く! いいんだな? こんなオッサンを一人で遊園地に行かすんだな?お前は。こんなおっさんが一人で絶叫マシンとかの列に並ぶんだぞ。イチャイチャするカップルの横でソフトクリーム食べるんだぞ。ぜったい変な目で見られるけど、いいんだな? よーし分かった。お前は冷たい奴なんだ。よし、わかった。じゃあ俺、行って来るから!!」
一人で捲し立てたあと、坂木はチラリと困惑した表情の陽を見た。
そしてそのままバタンとドアを閉めて本当に出ていってしまった。
急に静かになった部屋にひとりポツンと残された陽。
しばらく何かを考えるようにドアをじっと見つめていたが、やがてさっきの子供みたいな坂木を思い出したのか可笑しそうにクスッと笑った。
「しょうがないな」
さっき開けた窓を再び閉めると陽はゆっくりドアに向かって歩き出した。
きっと外で自分を待っているだろう、坂木の元へ。
窓の外にはガラス越しにきれいな円形の人工物が相変わらず気の遠くなる緩やかさで回っている。
ゆっくりと、でも確実に。
ほどけた何かを紡ぐ糸車のようにそれは青空の中、いつまでもいつまでも回り続ける。
第7章 END ・・・挿入話 序曲へ続く




