第6章 追憶(2)
15年前。
その頃のOEAの訓練施設には男女十数人の年齢の違う子供達が「成人」の時を待って教育を受けていた。
一般的に身につけるべき学問、そして“仕事”に必要な特殊訓練。
そこにいるのはそれぞれの事情をかかえ「外」の世界では生きていけない子供達だった。
当時施設の管理部のチーフをしていた辰巳に坂木は陽を託した。
あどけなさの残る11歳の陽は、まだその頃本名で呼ばれていたが、その名を坂木はもう覚えていない。
辰巳という男は坂木から見たら暖かみの感じられない信用できない男に思えたが、
まだペーペーの坂木は辰巳を頼らざるを得なかった。
「心配するな坂木。ここの施設でしっかり面倒見てやるよ。それよりお前がウロウロするとこいつの為にならないからな。あまり顔を出すな」
辰巳に細い肩を抱かれたその少年は、あまりにも頼りない目で坂木を見つめた。
胸を締め付けられるような罪悪感を感じながら、坂木はできるだけ優しい表情を作ってやった。
「大丈夫だよ。時々来るから、がんばってな」
柔らかい、さながら天使のようなくせ毛をそっと撫でて坂木は背を向けた。
25歳の坂木にはそれが精一杯だった。
気にはなっていたが各地に回されていた坂木はしばらくその施設に顔を出す時間が無かった。
訪れたのはひと月後。
受講の終わった比較的緩やかな時間だったのだろう。
本部の大人達の姿は無かった。
小さな窓が一つしか無いコンクリートの打ちっぱなしの部屋をそっと覗くと、そこにはヒソヒソと何かをつぶやき合っている数人の声。
三人くらいの少年が部屋の隅にかたまって何かしている。
「怒られるって」
「だめだよカイト、それ以上は」
「やめとけって・・・・・死んじゃうよ」
坂木はスライド式のドアからそっと入り、その少年達に目を凝らした。
体の大きな高校生くらいの少年と、少し小柄な二人の少年が、ひざまずいて何かを押さえつけている。
心臓がドクンと脈打つのを感じた。
少年達の体の下から白く細い裸の腕が力無く冷たい床に投げ出されている。
その肌にはたった今つけられたとわかる傷やアザが生々しく浮かび上がっていた。
気配を感じて動かした少年達の体の隙間から、一人の大きな手が横たわる少年の首を強く締めつけているのが見えた。
動かないその裸の少年が誰なのか、坂木には瞬時に分かった。
一瞬、怒りで坂木の意識が途切れる。
そして次の瞬間にはその三人を思い切り殴り飛ばしていた。
泣き叫ぶ二人の少年。
けれども一番体の大きな少年は口から血を流しながらもニヤッと笑った。
坂木は目を閉じて動かない少年を抱き起こし激しく揺すった。
祈るような思いで揺すった。
ここへ連れてきたこと、ひと月も放っておいたことへの自責の念に胸が張り裂けそうだった。
少年は微かにフッと息を吐き、ゆっくりと目を開けた。
そして自分を抱き起こし涙を流している坂木をまだ虚ろな目で見つめる。
坂木は安堵と悲しみで感情をコントロールできずに、ボロボロと泣きながら少年を抱きしめた。
あれからまた更に体は痩せてしまっている。
クッ・・クッ・・ク・・・。
部屋の隅で場違いな陰鬱な笑い声が響いた。
振り向くとさっきの少年が逃げもせず、ニタニタしながら坂木を見ている。
その少年が室田カイトだった。
「何が可笑しい!今度こいつに手ぇ出したらぶっ殺すぞ!」
「ずいぶんお気に入りなんだね、その子が」
まだニタニタ笑いながら口の血をぬぐっている。
坂木はその姿にゾッとした。
この少年は何に魂を売ってしまったのだろう。
「辰巳チーフに言ってお前を徹底的に監視して貰うからな!」
「ご自由に。 でも そんなことしたって一緒だよ?」
「何がだ!」
「その子は死ぬよ」
「・・・・・・」
坂木は言葉を返せなかった。
それは坂木が一番恐れていた予感だったのかもしれない。
「その子さぁ、生きようって気が少しも無いよ? 何でだろうね。何の抵抗もしないとここではイタズラがエスカレートするんだよ。それともあんたがここで毎日こいつの世話をするの?」
「室田! いいかげんにしろよ!」
背後で辰巳の低い声が響いた。
しばらく部屋の外で様子を伺っていたらしい辰巳は、坂木にかける言葉が見つからず、まだニタニタしている少年の腕を掴むと黙ったまま部屋を出ていこうとした。
「辰巳チーフ」
辰巳は坂木の声に立ち止まった。
「こいつに新しい名前をつけてやってもいいですか?」
「名前?・・・・ああ、別にかまわないが」
辰巳は少し怪訝そうに坂木を見た。
坂木は自分のジャケットを少年に掛けてやると、座ったままその肩を両手でつかんでじっと目を見た。
坂木の気持ちを必死で受け取ろうとするかのように、少年もその大きな瞳で坂木の目をじっと見つめ返した。
「今までの名前はお前の母親と共に胸の中に閉じこめてくれ。今日からお前は“陽”だ。 太陽の“陽”。 今から生まれ変われ。そして生きてくれ。お前がなにも望まないのなら、俺のために生きてくれ! 頼むから!」
少年は自分のために泣いている坂木をじっと見つめていた。
大人の男がそんな風に泣くのを見たことがないのだろう。ぼんやりと不思議そうに見つめている。
そして何かを感じ取ったのか、もう忘れかけていたその感覚を思い出そうとするかのように、
ほんの少し、微笑んでみせた。




