第1章 背徳の夢(2)
突き抜けるような秋の空。昨日と同じゆるやかな午前。
そして、昨日と同じ場所に彼は立っていた。
黒のジャケット、少し細身のジーンズ。
右手はジーンズのポケットに軽くかけ、じっと手帳の様な物を見入っている。
私は彼に何を言いに来たのだろう。
とにかく会わなきゃならないような気がしていた。
バカバカしい想像を笑って欲しかったのかもしれない。
ゆっくりと彼に近づいた。
「あの・・・・・」
彼は驚くでもなく、予測していたかのように首をゆっくり上げて私を見た。
気だるい感じが昨日と少し違う人のようでドキリとした。
「ああ、きのうの。・・・昨日はどうも」
少し笑ってそう言うと、言葉に詰まっている私にゆっくり近づいて
迷子の子供に話しかけるように優しい口調でこう言った。
「喪服、急いで用意しなきゃ、ね」
背筋に冷水を浴びたような冷たさを感じて息を飲みその顔を見上げた瞬間、
ブロンズ像の天使が太陽を反射し、眩しくて思わず目を閉じた。
「やっぱり課長を・・・?」
言ってしまった自分にびっくりした。
とても馬鹿げていて口にできないような妄想をつい叫んでしまった。
「大きな声 出さないで」
ふいに左手首を掴まれびっくりした私は右手を闇雲に振り下ろした。
彼の持っていた手帳が地面に落ちる音が響く。ハッとして彼の顔を見上げた。
逆光なのにその大きな瞳だけキラリと光る。
口元だけでニヤリと笑うと、
手首を掴んだまま美術館の植え込みとモニュメントの間の、人目に付かない場所に私を連れて行った。
そしてだだをこねる幼児を諭すように、再び静かに言った。
「どうして驚くの? 君が望んだんだよ?」
昨日の笑顔とは明らかに違う笑顔だった。
手首を掴んだ力は振り払えるほど弱かったが、体が思うように動かない。
「私が? なんで? いつよ!」
「君が拾ってくれたカードに書いてあったもの」
「だっ・・だって、あれはあなたのものでしょ?」
「君が手に取るまで白紙だった」
「・・・・え?」
もう訳がわからない。
「そういうカードなんだよ。君が僕に依頼したんだ。
でもあんなにハッキリ文字が読みとれたのは初めてだな。びっくりしたよ。辛かったんだね。
だから仕事も早めにしてあげた。どう? 完璧だったでしょ?」
ここにいてはダメだ。この人のそばにいたらダメだ。この人は・・・・・・。
「・・・・・ごめん、わたし」
ゆるく掴まれていた手を乱暴に振りほどき、私は一歩からだを退いた。
「帰っちゃ困るよ。仕事はギブアンドテイクだ」
その顔から一瞬すべての笑みが消えた。
「何言ってるの?」
「ギブ&テイクだって言ってんだよ。君は何をくれるの?」
「・・・・・・・」
黒い羽根だ。
カサカサと音を立てて頭上から舞い落ちてくる。
さっきまでの木漏れ日を覆い隠そうと、幾重にも重なりながら。
悪夢を見ているんだろうか。
きっと何処かで道を誤り、絶対に入り込んでは行けない場所に来た。
私はきつく目を閉じ、両手で顔を覆った。
・・・・・君は僕に何をくれるの?・・・・・