第5章 サクラ(1)
深夜だというのに眠らない繁華街。
雑居ビルの隙間に身を縮めるように、その古びたホテルは建っていた。
6階に位置する部屋で、向かいのビルのネオンの光を全身に浴びながら蠢くひとつの影。
ベッドに横たわる大柄な中年男の首に、きれいなスラリとした指をあてがい軽く目を閉じている青年。
次第に小さくなっていく命のあかしを、静かに息を潜めて確かめている。
右手で男の胸に取り付けていた小さな器具を慣れた手つきで折り畳むと、それを後ろポケットに滑り込ませた。
1分後、横たわるその男がモノと化したことを確認すると、その首から手を放し、青年は腕の時計をちらりと見た。
感情の籠もらないその大きな瞳が、ネオンのブルーで氷のように冷たく光る。
音もなく部屋を出た青年は裏口から外に駆け下りた。
あとは雑踏に紛れて消えるだけ。彼にとっては簡単な仕事だ。
けれど非常階段を降りきった路地の一角で、青年はふいに呼び止められた。
「全行程18分。すごいわね、陽」
一瞬ハッとして振り向いた先に、長身で細身の女性が壁にもたれてこっちを見ていた。
長いつややかな髪。大輪の花を思わせる整った顔立ち。
ぽってりした唇はほんの少し笑みを浮かべている。
陽は暗闇の中、ネオンの明かりを頼りに目を凝らしてじっと女を見つめた。
けれどすぐに諦めたようにほんの少し首をかしげ、子供のようなきょとんとした表情をしてつぶやいた。
「誰?」
「誰って・・・忘れちゃったの?」
信じられないといった様子で腕組みをしていた女だったが、
陽の邪気のないクルリとした瞳を見ているうちに笑いが込み上げてきた。
「本当にあなたは失礼な人よね」
くすくすと笑いながら陽に近づく。
「それにしても・・・本当に今、仕事をしてきた人なのかしら」
その唇から笑みが消える。
「どうしたらそんな純粋な目をして人を殺せるの?」
一瞬挑むような視線を感じて陽は、その目を見つめ返した。
「ノゾミか?」
女はフフッと軽く笑って見せた。
「思い出した? 9年ぶりですもんね。でもOEAの訓練施設で6年も一緒にいたのに忘れられちゃうなんて心外だわ」
「きれいになったんで分からなかった」
「あら、そんなお世辞も言えるようになったんだ」
陽は茶化しているノゾミを静かに見つめた。
「どうしてここへ来たんだ?」
ノゾミは何も言わず陽の髪に手を伸ばすと、
ヘッドホンのように装着されていたインターフェイスをそっと抜き取り、スイッチをOFFにした。
「陽、・・・私と一緒にここから逃げて」




