落伍記
大阪北摂、築年数も定かでは無い阪急電車沿線にあるとある骨董的アパートの三階である。
六畳一間に車座になった四人がこの世の真理について論議している。
平日の真昼間にである。
何故彼女が出来ないのか、何故中卒なのか、金が欲しい、何もしなくて済むには何をすればいいのかなど根源的で非生産的なものから
責任を資本家に押し付けて見たり、国の制度に難癖をつけて見たり、シュレディガーの猫を一枚噛ませてみたりと議論は混迷を極めていた。
徹底して議論する風を装いながら結論を出す気がまるでないのだから呆れたものだ。
六畳には本棚、ベッド、勉強机以外の家具は無いが、サイコロのクッションやら麻雀牌やらが雑然と散らばっており、足の踏み場もない。
その麻雀牌は阪急石橋駅近くの雀荘で知り合った人から借りているものであった。
小綺麗な服に身を包み、一見して大学生の様だが、髭は伸ばすに任せ、頭髪はおかっぱの小汚い男がその雀荘の常連である。
「つまり悪いのは社会であって我々では無いのだ」
彼は強引に議論をまとめた。そして、無造作に麻雀牌を手に取り盲牌を始めた。
彼の向かいには三人の男達がダラけた姿勢で座っている。
一人はふくよかな体つきをしており、よく言えばおっとりした男だが、宙を見つめ終始上の空であった、余り興味をそそられなかったらしい。どうやら阿保のようだ。
もう一人は議論を訝しむ様な表情をしている。眼鏡をかけ、いかにも優等生然とした風貌を呈しているが、行動の端緒に、おや?と思わせるものがある。詰まるところこいつも阿保らしい。
彼らから少し距離をおいて黙々とたこ焼きを頬張っているのは、利発そうな顔立ちの好青年だが、こんな阿保共に囲まれて平然としているのだから阿保に違いない。
「社会が悪いのは確かだが、それを改善させるために我々が何をせねばならないのかと言うことが重要では無いのかね」優等生風の男が言った。
「何ができると言うのだ」
「とりあえず君は大学に戻るべきだろう」
「戻って何になると言うのかね」
おかっぱの彼は続けて自分が復学しない理由を滔々と語り始めた。
それはシュレディンガー氏との邂逅に始まり、単位と言う名の強権を振りかざす教諭の話に続き、傲岸不遜な大学生の実態にまで及んだ。
要約すると彼は大学と言う環境に馴染めず炙れてしまったのである。
「じゃあ最初から大学なんて行かなければよかったのに」
「俺だって始めは希望に満ち満ちていたさ!ただちょっとばかし思っていたのと違っていただけだ」
「結局は無駄じゃないか」
「無駄だということに気付けただけ無駄では無いとも言えよう」屁理屈の権化の様なやつである。
「だがそれだけで終わらせないのが俺だ」
「なんかあったかー?」太っちょが話の進展を察したらしく、ようやっと間伸びした声で会話に加わるが、次の瞬間にはやはり上の空なのであった。
「不肖石橋、世界を回ることにしました」
「へーそうなんだー」
「世界ねえ、僕は京都行きたいなあ、つれて行ってよ」
「京都だなんて、先ずこのアパートからでることを始めないと」たこ焼きを食べながらも耳は傾けていたらしい。口がオタフク臭い。
「馬鹿にするなよ、俺は地球を見て回るの!世界を一周するんだ」
「まあ言うだけならタダだしな」
「沖縄くらいなら付いてってあげるよ?」
散々な言われようであるが、自業自得である。彼は今まで息を吐く様に嘘を付き、破綻した自論を屁理屈でこねくり回し、挙句ふつか三日経てば素知らぬ顔でてんで真逆の事を平然と話し出すのだ。
だが今回ばかりはどうやら本気の様だった。
「好きに言うがいいさ、俺は数ヶ月もしたら横浜港から世界に出る。本当だぞ!」
「君の本当はあてにならんからなあ」
「決意表明するのは構わんが前例があるし」
「誠意を見せたまえよ」
「よかろう。君達を裏切る様なことがあれば我が身を好きにしてくれたまえ。煮るなり焼くなりするといい!だが宣言通り事が進んだら」
「進んだら…?」
「そこまで言うからには君等もリスクを負うべきであろう」
元々この男のあやふやな発言が招いた事態であろうに、未練がましい事この上ない。その上反論しようものなら自分の発言をあの手この手で正当化しようとするのでたちが悪い。
「仕方のない。同じ条件で構わんよ、どうせ行かんだろうし」
「発言を実行するだけで人に罰を与えるとはとんだご身分だこと」
「それ程までに信用が無いとも言えるね」
「信用なぞ無くて結構!君等の言葉しかと聞いた!では早速だが資金を調達してくるかな」
「心配はしているんだがなあ」
「アルバイトだってその日そのまま働ける訳では無いのに、今から何をしようと言うのだ」
「西成に行ってこようと思っているが。暫くは住込みで日雇いをやるつもりだ」
「僕は君の将来が本当に心配だ」
西成とは日本最大級の日雇い労働者の街で、インターネットでその名を調べると関連項目に、やれ暴動だやれ治安だと些か不穏当な単語が並ぶ街でもあるのだ。
かくして彼はその日のうちに裸一貫、西成に乗り込んで、後に日雇い労働者としてその名を馳せるのであった。