第4話 ささいな異変
ファーストクラスで、最初の異変が起きた。
トイレから席へ戻る途中、防衛庁技官の山田が通路にはみ出していた手荷物につまずき、前のめりに倒れた。
大きな怪我はない。
だが、軽い脳震盪を起こしたようだった。
同行医師の江島が診察し、客室責任者の山本パーサーへ告げる。
「軽い脳震盪です。命に関わることはありません。しばらく横にして、酸素吸入を」
「了解しました」
落ち着いた対応。
スチュワーデスの吉田が酸素と冷たいおしぼりを手際よく準備する。
機内は、再び静けさを取り戻した。
そこへ、2階から青柳チーフが降りてくる。
報告を聞き、静かにうなずいた。
「着陸まで、酸素を吸わせておいて」
そう言い残し、エコノミー・クラス責任者の仲田パーサーの元へ向かう。
──だが、その頃。
客室後方でも、異変が起きていた。
老人ホームのグループの一角で、初老の男性が横たえられている。
「どうしました?」
青柳の問いに、仲田が答える。
「通路で急に胸を押さえて、うずくまりました。奥さんが看護師で、たいしたことはないとのことです。酸素吸入の許可を求められましたので……」
「フル酸素?」
青柳は、わずかに眉を寄せた。
男性の顔色は悪くない。
激しい苦悶の表情もない。
「この方、以前の事故で片方の肺を摘出しているそうです。通常の酸素濃度では足りないらしくて」
片肺摘出——。
胸の奥に、小さな違和感が芽生える。
だがその直後、別の業務が青柳を呼び戻した。
違和感は、そこで途切れる。
「最後尾のストレッチャーの方は?」
「バンクーバー出発以来、ずっと点滴のまま眠っています。看護師さんが付き添っていますので」
「そうか……」
降機は最後。
到着後には救急車も手配済み。
着陸まで、あと30分もない。
念のため名簿を確認しながら、仲田がメモを差し出す。
「宇野清二、74歳です」
「74歳にしては、老けているな」
「ええ。でも、奥さんはお若いですよ」
その言葉に、青柳の中で何かが小さく引っかかった。
だが——
「九十九里の海岸だ!日本はいいなあ!」
窓の外を見つめる老人たちの歓声が、機内に明るく弾けた。
その声に、胸騒ぎは一瞬、かき消された。
──着陸態勢へ。
機体は霞ヶ浦上空から高度を一気に落としていく。
操縦室では和やかさが消え、張りつめた空気が支配していた。
「東京アプローチ。こちらJN8123」
淡々とした無線。
ランディング・チェック。
計器確認。
すべて、順調。
午後5時55分。
特別機は白い煙を上げ、羽田空港C滑走路へ接地した。
滑らかなランディング。
誰もが、安堵の息をつく。
——しかし。
この時点で、異変はすでに始まっていた。
ひとつひとつは、取るに足らない出来事だった。
だが、
「同時に起きていた」という事実の意味を、
この時、誰も考えなかった。
▶ 次回予告
着陸から数分後、
機内で起こった“異常事態”。
それは、
もう誰にも止められなかった。




