第19話 “向井の線”消滅──再び振り出しへ ――唯一の容疑者が「シロ」になった日――
5日後。
JNL労務担当課長・渡会から、五十嵐宛てに1通のFAXが届いた。
そこには、バンクーバーで行われた追加調査の結果が、淡々と、隙間なく打ち込まれていた。
◆ バンクーバー再調査・最終報告
① 向井に不審な行動はあったか?
→ ありませんでした。
② ガス・ボンベ状の物を携帯していなかったか?
→ 向井が携帯していたのは
「縦10cm × 横30cm × 高さ7cm」の
通常使用している整備工具箱のみ。
内部にボンベ状の物は、一切確認されていません。
③ 天井整備中、単独になる時間は?
→ 同行の青木整備士が工具を取りに離れた約10分間。
ただし、その前後を含め、向井は終始、複数の整備員と行動していました。
④ 空気送風管に異物が装着されているのを見た者は?
→ 該当者は、誰一人いませんでした。
最後に、短い一文が添えられていた。
「また何かございましたら、渡会までご連絡ください」
それは、この件が——完全に終わったことを示す文言だった。
◆ 唯一の「内部犯行候補」が消えた瞬間
FAXを読み終えた斎藤警視正は、紙からゆっくりと視線を離した。
斎藤はFAXを一度だけ折り、机に置く。
そして短く言った。
「……これで、向井の線は完全に消えたな」
五十嵐は、黙ってうなずく。
・機体構造に精通
・実際に天井に上がっていた
・整備組合の執行委員
・会社への不満もあった
一度は“犯人像”として最も条件が揃った男。
だが——
事実と証言を積み上げた結果、向井は完全に「シロ」と判断せざるを得なかった。
◆ 捜査は、再び暗闇へ
唯一と言ってよかった「内部犯行」の手がかりが消えた。
・JNL社内の過激な整備員ではない
・天井に上がった向井の線も消滅
となれば——残る可能性は、ただ一つ。
「JNL部外者による犯行」
捜査本部は、やむなく方針の大転換を迫られることになる。
◆ 夕暮れの羽田沖
晩秋の空と海が、淡いオレンジ色に染まっていた。
空港の古びたビルの窓からその光景を眺めながら、五十嵐は胸の奥に小さな感覚を覚えていた。
怒りでも、焦りでもない。
敗北感。
積み上げてきた捜査が、再び振り出しに戻ったという——静かで、しかし確かな実感だった。
▶ 次回予告
内部犯行説は、完全に消えた。
では——誰が、なぜ、ここまで完璧な犯行を成し遂げたのか。
その答えは、捜査本部の“正規ルート”ではなく、一冊の古い資料の中に眠っていた。
そこに記されていた、存在しないはずの番号「101」
それは事件よりも、ずっと前に始まっていた。
国家が——「なかったことにした場所」で。




