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人狼の花嫁〜薄幸の犬好き令嬢は、嫁ぎ先の飼い犬が政略婚の旦那さまだと気づかない〜  作者: 矢古宇由佳


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第6話 人狼伯爵の親友

 かち、と秒針が鳴って欧州の雰囲気たっぷりの彫り物の美しい時計から鳩が飛び出した。


 次の瞬間。エーリッヒの姿が陽炎のように揺らいで、ちぢんだ。

 伸晃が見下ろす床の上にはふさふさの冬毛を纏った真っ黒な四つ足の生き物がいた。


「くっそ、だめだったか……」


 伸晃のぶてるの悔しげな声が響いた。

 そこにいたのは一頭の立派な狼だ。彼は人狼なのである。


 エーリックは毎夜零時を過ぎると、日が出るまで人の姿に戻れないのだ。

 優れた聴覚や嗅覚は、彼が人狼であるがゆえの能力の一つ。 


 狼姿のエーリッヒはサイドテーブルに前脚を乗せ、葛木家の家宝を見つめた。


「これがあったら何か変わるかと思ったんだが……」


 オイレンブルク家の先祖は、エーリッヒの知っている限りでは北欧からやってきた。

 かつて、その土地神に仕えていた狼。それがオイレンブルク家の祖と聞いている。


 現在古来の神は欧州ヨーロッパで忘れ去られ、今やキリスト教国家がほとんどを占める。

 馬や豚、鶏などの家畜や、キリスト教の象徴の一つである羊を襲う狼は欧州では悪の象徴。


 今までオイレンブルク家はとにかくこの特性が露見しないように暮らしてきた。


 代々嫡男は《《満月の夜にのみ》》狼に姿が変わると伝わっていた。

 しかもエーリッヒの父親は嗅覚も聴覚も祖父よりもかなり劣っていたと聞く。その能力は年々弱体化の一途を辿っていた。


 もうそろそろこの人狼の特性も消えるだろう。そう期待していたエーリッヒの父親だったが、生まれてきたエーリッヒは歴代の嫡男と違い、《《毎晩》》狼に姿が変わってしまう体質だった。きっと先祖返りなのだろう。エーリッヒはそう推測していた。


 そしてこの人狼の特性は、嫡男が生まれると父親になった当人からは失われる。満月の夜も人の姿を保てるようになるのだ。

 もちろん、エーリッヒが生まれると、エーリッヒの父はこの忌まわしき呪いから解き放たれた。


 エーリッヒもさっさと子を成せば人狼の特性はその子に引き継がれ、この姿から解放される。だが、自分と同じ苦労を子供に引き継がせたくはなかった。彼は根本からこの問題を断ちたいと思っていた。


「だめか……」


 狼姿のエーリッヒは項垂れた。

 ぺたりと床にお座りし、満足にものも掴めない己の前足を見つめた。


(そばにあるだけじゃだめなのか……)


 例の家宝は何の効果もなかった。

 今も人の姿に戻ろうとしてみるが、全く姿は変わる気配がない。


 サイドテーブルには、先ほどエーリッヒが懐から取り出して置いたお守りがあった。これは、手元に置いてあるだけで完全ではないにしろ、獣の本性を抑える効果があるのだ。


 だから、葛木家の家宝が近くにあれば効果があるのではと期待していたのに。


 子供の頃、それこそ自害をしようと思った頃にこのお守りは手元になかった。

 あの頃はひどいものだった。


 夜になると、エーリッヒは毎日自我を失った獣になって暴れ回った。

 父親も、祖父も、満月の夜になれば大人しく獣姿で丸まって朝を待つだけだったと聞く。しかし、エーリッヒは違った。理由もわからず、ゆえに対処方法もわからない。


 運命のあの日、将来を悲観し自害を目論んだエーリッヒを目にし、心に瑕疵かしを負った母のために伸晃の母親が呼ばれた。

 同じフランス人であったから、母国語を話せる者同士、心の慰みになるだろうと父は考えたようだった。


 もちろん伸晃の父親である先代男爵も挨拶に来たが、陰陽師の血を引く彼は早々に見抜いたのだ。


 オイレンブルクの家系が人狼の一族なのだと。


 彼は言った。「日本では狼が神として祀られている。狼の牙で作られた魔除けを持てば、何か効果があるかもしれない」男爵は屋敷の蔵から穴が空いて紐を通せるように加工された、動物の犬歯を持ってきた。


 エーリッヒも、彼の父も半信半疑だった。しかし、それが手元にあるとたちどころに効果が現れた。

 エーリッヒも夜間のこそ人の姿を保てはしなかったが、大人しくしていられる無害な狼でいられるようになったのだ。


 夜間、地下に閉じ込められて暴れる日々はついに終焉を迎え、彼は同い歳の大山家の三男と引き合わされた。


「僕は伸晃! ノブって呼んで! 君のお母さまもフランス人なのでしょ? 仲良くしてね!」


 眩しい少年だった。

 エーリッヒは青い目を細めた。


「エーリッヒ。よろしく」


 言葉数少なくそう言った。


「えー、りっひ……」


 呼びにくそうに反芻した伸晃に、エーリッヒは微笑んだ。


「エリックでもいいよ。フランスだったら、僕の名前はエリックだから」

「エリックか! よろしく!」


 それが出会いだった。

 夜間大人しく船や鉄道に乗れるようになったエーリッヒは一度祖国ドイツに戻ったが、それを乗り越えて友情は続いた。

 今や、お互い「ノブ」「エーリッヒ」と呼ぶ関係になったが、仕事も一緒にするようになった他は何も変わらない。


 落胆を隠せないエーリッヒだったが、唐突に背を撫でられた。


「花嫁さんの家の家宝なんだ。あの人が何か鍵握ってるかもしれないぞ。仲良くしてみるとか?」


 床に膝をついてエーリッヒを慰める伸晃を見上げた。


「あの女は俺を殺そうとしたんだぞ? どうせ死ねもしないが……」

「でも、葛木家は代々狼を祀ってるって言うじゃないか。彼女と本物の夫婦になったら変わるかもしれない」

「あんな女と? しかもさっき、絶対に抱かないと宣言してきたばっかりだ」


 顔をふい、と背けて言い捨てれば、伸晃は「まじかよ……」と天を仰いだ。


 自分の子供に己が子供の頃のような不自由な思いさせたくないのは事実だ。母親に受け入れてもらえないのは身が引き裂かれるほどつらい。

 だから、今すぐ子を成すつもりがないのは本当なのである。きちんとわかってもらって、それからのはずだった。昼間あんなことを聞くまでは。


(あそこまで酷いことを言うつもりはなかったんだが……)


 エーリッヒは女性相手には年齢に関わらず基本的には優しい男だ。しかも、綾子の可憐で思慮深そう、しかも釣り合いの取れる背が高くすらりとした容姿と控えめな性格は彼好みだった。


 ひと目見て、妻にしようと思うほど。

 

 だから余計に許せなかったし、彼女の本性を見抜けなかった己に憤ってしまったのである。


「でもアレは本物だ。何かしらの力はあるはず」


 伸晃はサイドテーブルの上の葛木家の家宝を見遣った。

 ふたりは葛木家で一度あの桐の箱を開けていた。伸晃はすぐに見抜いた。「弱ってるけど、本物だ」と。

 あの中には、漆で塗られた狼の頭骨があるのだ。


「まずはその姿でさ、ちょっと奥方にお近づきになってみればいいんじゃねぇの? 本性探ろうぜ」


 エーリッヒは、伸晃を見上げて目をぱちぱちと瞬かせた。

 ふむ。なるほど。

 エーリッヒはしばし逡巡した。


 彼は昼間もいつでも好きなようにこの狼の姿に変身することができた。

 この姿で昼間に「エーリッヒの飼い犬」としてあえて彼女に接近してみるのはありかもしれない。


 しかし。

 見る人が見れば、彼はどこか犬とは違った姿だ。

 洋犬は垂れ耳が多いが、ピンと尖った立ち耳。尾は和犬のように巻いているわけでもない垂れたふさふさの尾。

 何よりの特徴は鋭く精悍な顔つきに青い目、それから大型犬よりも立派な体躯をしている。

 毛色は墨で染め抜いたような射干玉の夜空色。


 大人でも怖がって逃げる者が多い。


(怖がって逃げるんじゃないか……)


「彼女は犬好きなんだろ? 意外にかわいがってくれて、なんか言うかもしれねぇぜ。ぽろってさ」

「試すだけ、試してみるか……本性を表すかもしれない」


 こうして。

 昼間にあえて狼の姿に変身し、飼い犬のふりをして綾子に近づく人狼伯爵の涙ぐましい日々が始まったのであった。

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