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人狼の花嫁〜薄幸の華族令嬢は、嫁ぎ先の飼い犬が政略婚の旦那さまだと気づかない〜  作者: 矢古宇由佳


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第3話 夢に見たフロイライン

 揺れる列車の中で、幼いエーリッヒは目を覚ました。

 まだ見ぬ、祖国への長い長い旅路。


 当時、彼はまだ九歳だった。夜半過ぎの()()姿()の時、絶対に外を見てはいけないと言われていた。エーリッヒは今、真っ黒い狼の姿をしていた。彼は爪の尖った真っ黒な毛に覆われた前脚を窓にかけ、黒い鼻先でカーテンをかきわけて外を見た。


 まんまるの青っぽい満月が冷ややかに彼を見下ろしている。


(あのお姉さん(フロイライン)は、誰なんだろう……)


 美しい日本人の女性だ。若く可憐で、後から振り返るに、彼は夢でしか会えないその女性に恋心を抱いていた。


 日本を出てより、何度も繰り返し見る夢だった。彼女はいつも「エーリッヒさま、お待ちしています。必ず戻ってきてください」と言って、心配そうな、少し泣きそうな微笑を浮かべる。そうして、夢はいつもそこで終わってしまう。


 いつか帰ろう。いや、帰らなくてはならない。東の果て、日出る国へ。

 あの人が、きっと待っているから。


***


 半刻前のことである。

 自動車は、葛木家の正門を通って緩やかに停車した。


「どうだ? 当たり(ビンゴ)か? なんか変な感じの屋敷だ……嫌な気配がする」


 自動車を降りて一番、エーリッヒは早口で捲し立てる隣の幼馴染に青い目を向けた。

 友はドイツ留学後に日本に帰国、その後アメリカに留学——洋行していた男だ。帰国し数年経つにも関わらず、やたら英語を使うのが玉に瑕である。


「ああ。臭うな。ヴォルフの気配がする」


 英語で話しかけてきた親友、大山伸晃(のぶてる)を無視してエーリッヒはドイツ語で返した。

 狼の気配があたりに漂っていた。


 他にも何か、色々な生き物の匂いがした。


 場所は帝都のど真ん中だが、広大な庭には庭木も植えられている。しかし、鳥の声が聞こえない。

 悪寒がするほど不気味な雰囲気が漂う洋館である。

 なんだか胸騒ぎがして、エーリッヒは己の胸元に手を当てた。そこには子供の頃から大切にしている《お守り》があった。


「へぇ、ドイツっぽい洋館だなぁ。懐かしい?」

「お前も知っての通りで日本歴の方が長いから、懐かしいもクソもない」

「それもそっか。生まれも日本こっちだし」


 エーリッヒは由緒正しきドイツのオイレンブルク家の血を引く伯爵だ。しかし、生まれはこの帝都である。


 父親の先代伯爵は医学博士。明治政府のお雇い外国人で、フランス人である母親との間に生まれたのが彼である。日本で生まれ九年間を過ごし、見知らぬ異国同然である祖国に帰郷。途中も何度か日本とドイツを行き来し、二十歳過ぎになって、日本に腰を落ち着け事業を興した。


 現在、二十七歳。

 とっくに結婚していてもおかしくない年齢だが、彼は事情があって未だ独身であった。それどころか、今まで女性との付き合いも数えるほどしかない。


ようこそおいで(ヘルツリッヒ)くださいました。(・ヴィルコメン)オイレンブルク伯爵閣下。大山さま、歓迎いたします」


 ぎこちないドイツ語の日本人の使用人に出迎えられて、エーリッヒは白い歯を見せた。こちらから無理を言って押しかけているにも関わらず、その気遣いともてなしの心には感謝を禁じ得ない。


 彼は使用人の案内でシャンデリアの美しいホールを抜けて、応接室へと足を踏み入れる。


(犬と、それから馬を飼っているようだな……)


 うっすらとそれらの匂いを鼻で、鳴き声を耳で感じ取る。

 彼は呪いともいうべき、忌まわしき能力があった。その副産物として、聴覚と嗅覚が常人のそれを逸していた。


(どうしても手に入れなければ)


 この忌まわしき呪いを解くために、探し求めたもの。

 効果が本当にあるかは未知数だが、この家で家宝として大切にされているらしい。


「前評判とは真逆だな」

「ああ」


 伸晃がドイツ語で耳打ちしてきて、エーリッヒは相槌を打った。


 この葛木家は元々、神社の家系だったと聞く。先代が江戸に出てきて商売を営み、事業の成功によって男爵の爵位を得た。

 いわば、成り上がりの華族である。


 大山財閥のコネを駆使して情報を集めたところ、現当主である二代目は商売がうまいとは正直言い難い状態だ。

 

 一方のエーリッヒは金には全く困っていなかった。


 彼は伸晃と共にオイレンブルク商会という輸入商社を営んでおり、外国人でありながらその手腕は政府高官からも一目置かれるほどで、昨年八幡製鉄所に卸したドイツ製の工業用機械が国家に莫大な富を産んでいると賞賛の声は絶えない。


 資金援助をするので、難しいとは思うが家宝を譲ってほしい。

 そう持ちかけるつもりであった。


 だが、玄関に入って目に入るシャンデリアは豪華絢爛、掃除も徹底されており、何より布張りの椅子もソファも絨毯も一流のそれにしか見えない。

 どこか不気味な屋敷である。


「オイレンブルク伯爵と申します。名は、エーリッヒです」

「ようこそおいでくださいました、伯爵閣下。ささ、さしたるもてなしもできませんが」


 美しい刺繍が施されたテーブルクロスが目を引いた。

 当主、葛木正志は娘と息子を紹介してくれた。


「エーリッヒさま、伸晃さま、わたくし、正子と申します」


 名を呼ぶ許可など与えたつもりもないが、いきなり名を呼ばれて少々憤りを感じつつもなんとか抑える。

 せっかく伸晃が繋いでくれたこの機会を逃すわけにはいかない。

 そんなエーリッヒの状態を察した伸晃がにこやかに問いかける。


「娘さんと息子さん、これほどしっかりしたお嬢さまと跡取りがいれば安心ですね……娘さんがもうひとりいらっしゃると聞いたことがございましたが……?」

「ええ……実は長女がおるのですが、身体が弱く別荘とここを行ったり来たりして療養しており、本日は残念ながら……」


 確かに、伸晃から聞いていた。

 二十五歳、縁談が破談になったか何かで独身のままの長女がいるとは聞いていたが、この場にはいないようである。


(家宝の中身次第では、引き取り手のない長女を貰ってやろうかと思っていたが……)


 エーリッヒは結婚に関しては淡白だった。

 自分は伯爵。どうせ、恋愛結婚なんてできるわけがないのだ。ならば適当なところで割り切って見繕ってしまうのが手である。


 今回もし家宝を譲ってもらえて、それで呪いが解けたなら。

 しかも、日本の華族ならば今後も日本で暮らしたい彼にとっては都合がいい。

 見ず知らずの相手でも大切にしてやれる自信もあるし、贅沢をさせてやれるだけの名誉と金もある。


 やがて、焼き菓子と茶が運ばれてきた。

 給仕の女性は洋装にエプロンをまとっていた。日本人にしては背が高く、すらりとした立ち姿は見惚れるほど。

 その顔を見て、エーリッヒは目を見開いた。


(あのお嬢さん(フロイライン)だ……)


 幼い頃から夢に何度も出てきた人とそっくりの女性がそこにいた。


 彼女はいつも和装をまとっており、夢に出てくる度にこう言ったのだ。「エーリッヒさま、お待ちしています。必ず戻ってきてください」と。初めてその夢を見たのは、幼い折、まだ見ぬ祖国へ向かう途中の鉄道の中だった。


 その彼女が、目の前にいた。

 夢の中のその人は地味ながらも仕立ての良い和装姿だったが、目の前の彼女は女中の格好をしている。


(何かの間違いだろう、他人の空似に違いない)


 彼女がふい、と目をそらした。そこで我に返ったエーリッヒは、伸晃に冗談を言い、紅茶を給仕してくれた彼女にも礼を言った。


どういたしまして(ゲルン・ゲシェーン)


 鈴を転がすような美しい声でドイツ語が紡がれて、エーリッヒは言葉を失う。

 その声は、夢で聞いた声だった。


(間違いない)


 その後、当主と腹の探り合いのような当たり障りのない談笑が続いたが、退室した彼女が気になってエーリッヒは気もそぞろであった。


 男性陣でビリヤードでも? と提案を受けた時に、エーリッヒは「所用に」と手洗いに行くふりをして席を立った。


(犬の声がするな……)


 その声は、「遊んで! 遊んで!」と言っているようだ。不本意だがわかってしまう。これも、彼の能力のひとつだ。

 こっそりと庭に出て、声に導かれるように足をすすめると先ほどの女性がいた。必死に犬をなだめている。


「エス、今お客さまが来ているの。手羽先あげるからちょっとだけ静かにしてちょうだい。ね?」


(それは無理だろうな……)


 その犬は餌が欲しいのではない。「その子は君と遊びたいんだ」そう言いそうになって、エーリッヒは口元に笑みを浮かべた。

 檻の中の洋犬は、エーリッヒの姿を認めると警戒して唸り始めた。


「随分と、手懐けているようだな」


 エーリッヒは浮かべた笑みをさらに深めてそう口を開いた。

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