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人狼の花嫁〜薄幸の犬好き令嬢は、嫁ぎ先の飼い犬が政略婚の旦那さまだと気づかない〜  作者: 矢古宇由佳


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第13話 アンネの本性

 その晩の食事は、伸晃とふたり。なんとも重苦しい晩餐になった。


「なあ、ノブ。変な感じってのはどんな感じなんだ?」

「たまに感じる。見られてるような……監視されてるような感じだ」

「俺になんか憑いてる? これ以上? 狼だけで十分だぞ。俺は死なないからいいが、秀治しゅうじさんや雄平ゆうへいさんに何かあったら事だ」

「兄貴たちの母親は神社の娘だ。だからかもしれないけど俺よりその辺の感覚は鋭い。秀治兄さんも雄平兄さんも簡単にやられたりしない」

「雄平さんは軍人だしな……」


 雄平は、大山家の次男だ。陸軍少佐を務めている。


「お前も知ってるだろうが、実家は地下に昔退治した鬼と鬼を切った刀を祀ってる……らしい。俺はあんま信じちゃいないけど」

「鬼切丸だったか。聞いたことがある」


 エーリッヒも大山家のその辺りの話は小耳に挟んだことがあった。


「変な野良妖怪は入ってこられないはずだ」

「ならば特に怪しいのは行き帰りだ。お前はピストル持っていけ、俺も装備は整えておく」

「ああ……」


 ふたりとも、なんらかの人智を超えた存在が今回の件に関わっているのではないかと推測していた。


「これ、美味しいな……酒の風味がいい」


 エーリッヒは小さく微笑んだ。食後に出てきたのはブランデーが香る素朴なりんごケーキ(アプフェル・クーヘン)だった。きっとアンネが焼いたのだろう。

 

「なぁ、アンネのケーキってこんなに洋酒利いてたっけ?」


 伸晃が首を傾げた。確かに、言われてみればそうだとエーリッヒも同意した。


「……なんだろう、レシピを変えたのかもしれないな」


 不思議に思いながらも完食し、紅茶のおかわりをもらおうと思っていると、アンネがそれを推測していたかのように紅茶のポットを乗せたワゴンを押しながらやってきた。

 彼女は意味ありげな笑みを浮かべながら、ポットの茶を注いでくれた。


「奥さまのケーキはいかがでしたか?」


 にこやかなアンネのドイツ語に、エーリッヒは紅茶を噴き出しそうになった。


「な、なんだと? あの女が焼いたのか? おいノブ大丈夫か?」

「問題ないってば」


 伸晃は呆れたように言った。一方、アンネは般若のような形相だった。


「エーリッヒさま、いい加減になさいませ。奥さまをあの女呼ばわり。先代さまが草葉の陰で泣いておられることでしょう。ご結婚なさる前はあれほど奥さまを褒めていらっしゃったのにああも捨て置いて、一体なんなのです! 今日こそはっきりなさいませ!」


 特大の雷が落ちた。

 エーリッヒは悲しいかな、アンネに頭が上がらなかった。

 アンネは先代の時代からオイレンブルク家に仕えており、エーリッヒが生まれると彼の教育係となった人だ。


 彼女の本名はアンネリーゼ・フォン・バーデンブルク。れっきとした貴族で男爵令嬢であったが、実家は没落。エーリッヒの父親がエーリッヒの家庭教師として迎え入れたのである。


 エーリッヒが家庭教師を必要としなくなってからは、彼女の希望もあり女中のような仕事をしている。オイレンブルク家に仕える最古参の人間のひとりで、エーリッヒからすると、歳の離れた姉のような伯母のようなそんな存在である。

 礼儀にはとにかく厳しく、恐怖の存在だ。


「アンネ……実はこれには訳があってだな……」

「オイレンブルクの当主が言い訳なんて見苦しい真似なさらないでください! なんなのですか、狼の姿の時は撫でられてデレデレしているのにどういうおつもりでございますか!? ことと次第によってはこのアンネ、あなたさまを先代さまの代わりにぶってやりますよ!」


 アンネは拳を握った。ぶつならせめて平手にしてくれないだろうか、エーリッヒはおし黙った。

 怪我は一瞬で治るが、それでも痛みはあるのである。


「あー、アンネ。一応エーリッヒにも言い分があるからさ。聞いてやってよ。ささ、ここに座って」


 腰を上げ、隣の椅子を引いた伸晃をキッと睨みつけたアンネに、エーリッヒは「長くなるから座ってくれ」と腰掛けるよう促した。彼女が腰を落ち着けたのを見て、エーリッヒは言葉を選びながら婚礼の日のできごとを静かに語り始めた。


「そんな……お命を狙ってるですって? しかも、婚約者がふたりともお亡くなりに!? あんなよい方です、奥さまはそんな方では……」


 ひととおりエーリッヒの言い分を聞き、流石のアンネも驚きを隠せない様子だった。


「だから狼の姿になって探っていたんだ……それでわかった。動物をかわいがる人だ。それに優しい……だがな」

「そういえば……エーリッヒさま、婚約期間中に一度落馬されましたわね」


 はっと思い出したようにアンネが言う。

 言われてみればそうだ、エーリッヒも思い出した。確かに、彼は落馬したのである。

 彼はすっかり忘れていた。怪我も痛みこそあるが一瞬で治ってしまう。落馬しようが、仮に階段から落ちようが、彼は己のことに無頓着だった。


 だって、死なないのだから。


「え! エーリッヒが落馬? 俺知らねぇしなんだそれ。エーリッヒが馬から落ちるとかあり得なくない?」

「わたくしも驚いたんです……先代さまも一族いちの馬術の才があるとおっしゃっていたのに」


 そう。エーリッヒは生まれる時代を間違えたのではないかというくらい乗馬の名手であった。

 あいにく、本人は全く己をそうとは思っていなかったが。


「ふたりともほめすぎだ。俺はそこまで乗馬に秀でているわけでもないし、一流の騎手でも馬から落ちることもある。日本語で『猿も木から落ちる』ってことわざ、あるだろ?」

「一体どんな状況で落ちたんだよ。どの馬に乗ってたんだ?」

「乗っていたのは黒龍だ」


 オイレンブルクの屋敷では馬を何頭も飼育しているが、黒龍というのはその名の通り青毛の馬。美しいエーリッヒの愛馬である。

 確かに、エーリッヒは黒龍に乗るのは慣れていた。他の、どの馬よりも。


「黒龍が、いきなり後ろ足で立ち上がった。そう、竿立ちになって……そこまではなんとか耐えたんだが、後ろ足で何かを蹴るように跳ね回って……流石に落ちた」

「確か、伸晃さんが大阪に出張に行っていらっしゃった時ですわ。この方は殺しても死なないので心配しなかったのですが」

「おい、アンネ……」


 アンネはエーリッヒの言葉を無視して伸晃に説明を続けた。


「黒龍はしばらくたいそう鼻息荒く怯えた様子で……わたくし、とても心配いたしましたわ。黒龍を」

「他に言い方あるだろ……」


 エーリッヒはアンネに呆れた視線をくれてやった。

 それを聞き、伸晃はしばらく何やら考え込んでいる様子だった。やがて、彼は顔を上げた。


「綾子さんに悪いものが憑いてるわけがない。俺は全財産賭けたっていい。エーリッヒだって人狼なんだから、なんか感じたりしないのか? あれだけべったりそばにいるんだから」


 エーリッヒはしばし黙り込んだ。


「彼女からはどちらかというと同族の……狼のような匂いがする……最近顕著だ」

「ご自分の匂いがついたのではございませんか?」

「いや、違う……初めて葛木の屋敷に行った時にうっすら感じた匂いというか……気配だ。でもそれ以上にあの屋敷はそれ以上に禍々しい気配がして……犬に似てるが何か、変な匂いはしたな」


 三人は三者三様押し黙った。

 そして、いきなりアンネが立ち上がった。


「そうです、思い出しましたわ。わたくしはこんな話をしに参ったのではございません。エーリッヒさま、奥さまに何をなさったのです? 食欲がないから夕飯はいらないと奥さまがおっしゃって……ひどく気落ちした様子で……もう心配でなりません。それでなくても食が細いのに」


 伸晃とアンネがエーリッヒを睨んだ。


「……なんかしたんかエーリッヒ。綾子さん、昼間会った時は元気だったぞ」

「……いや」


 エーリッヒは目を逸らした。ふたりともさすが付き合いが長い。

 鋭い。


「アンネ、こいつ絶対なんかやったぜ」

「吐かないならあれで殴りませんか?」


 アンネは飾られていたガラス製の花瓶を指差した。

 流石にあれで殴られるのはごめん被りたい。そう思ったエーリッヒはもごもごと口を開いた。


「今日の夕刻前……書庫で無理やり……」

「え! 無理やりヤった? 襲っちゃった? しかも書庫!? おいおい相手は華族のお嬢さまだぜ? 初めては布団の上にしてやれよ! アンネ、こいつ縄で縛って馬で引きずり回そうぜ。あ、自動車で轢く? 俺運転できるからやろうか! どうせ死なないし!」

「だーれが! そんなことをするか!」


 エーリッヒは珍しく大声を出して否定したが、一方のアンネは無言で立ち上がる。

 血の気が引いた。


「違う、落ち着け。そんな無体なことするわけがない」

「では、何をなさったのでございますか? 正直にお吐きなさいまし。さもないとフォークで手の甲をテーブルに縫い付けますよ!」


(罪人の磔かよ……)


 エーリッヒはこの獰猛な人を黙らせるには正直に吐くしかないと心を決めた。


「……思わず……キスした」


 次の瞬間、アンネの平手がエーリッヒの頬を直撃した。

 パァンっと、それはそれは見事な音が響いた。

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