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人狼の花嫁〜薄幸の犬好き令嬢は、嫁ぎ先の飼い犬が政略婚の旦那さまだと気づかない〜  作者: 矢古宇由佳


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第1話 婚礼

 婚礼の夜は、満月だった。


 教会で慣れない西洋式の誓いの言葉を交わしたのち、ホテルでの晩餐は始終場違いで居た堪れないような、なんとも苦痛な時間帯が続いた。


 シャンデリアや美しい彫刻の施された椅子やテーブルなどの洋風の調度品、艶やかでエキゾチックな色彩を放つ波斯ペルシャの絨毯。テーブルには磨き抜かれた銀食器が並び、切子の硝子杯グラスを掲げて始まった三鞭酒シャンパンによる乾杯。


 参加者の半数以上が燕尾服の異国の紳士と彼らの妻である。夫に寄り添う同じく異国の婦人たちは天鵞絨ビロードのドレスを優雅にまとっている。

 

 そんな煌びやかな空間に負けず劣らず目を引く存在がひとり。

 一流の陶磁器や切子硝子の器ですらも霞むような、夫、エーリッヒのかんばせはこの世のものとは思えぬほど美しい。


(あの目……綺麗よね……)


 夫は青空の色を思わせる、印象的な薄青色ライトブルーの虹彩に烏の濡れ羽色という言葉がぴたりと当てはまる、漆黒の髪の持ち主だった。

 極め付けに艶やかな礼服を着こなす姿はため息が漏れるほど。


 若いながらも伯爵である、エーリッヒ・フォン・オイレンブルク。


 この美貌の外国人が綾子の夫であるなどと、未だに信じ難く恐れ多い気さえした。


 明治の初めであれば彼は毛唐人けとうじんと揶揄される異人であり、添う女は洋妾ラシャメンと蔑まれる存在であった。


 時代は変わったが、綾子は外国人に嫁ぐなどという未来を思い描いたことなど全くなかった。


 夫は駆けつけた各国大使や財政界、政府要人との会話に忙しく、まともに食事もとれないまま葡萄酒ばかりを口に運び、遠い欧州ヨーロッパの祖国、ドイツの同胞との会話に花を咲かせていた。


 位は低くとも華族の一員である男爵令嬢の綾子は華族女学校で欧語学を少々嗜み、ドイツ語も多少なりともわかったが、流石に政治や仕事などの話をされてしまうと全くついていけない。


 それに気づいた夫は流暢な日本語で「席に戻っていろ」と冷たく言い放ち、そうして今に至る。


 こんなはずではなかった。少なくとも、婚姻を申し込んできた時の彼、それから婚約中の彼はもう少し優しかった。今日、控室で会った時の彼も優しかった。


 一体、その後何があったのだろうか。

 双方に利益のある結婚だったはずだ。


 彼が欲しがったのは、葛木家の家宝。そして、できるだけ身分の高い日本人の妻だ。


 男爵家である綾子の実家、葛木家当主、きよしは娘の綾子をお払い箱にしたがっている様子だったし、金遣いの荒い男であったのでオイレンブルク家の結納金に目が眩んだ。


 少なくとも、綾子の目にはそう見えた。


 結納の折、莫大な結納金を得て、清は綾子が見たことのないような下卑た笑顔を浮かべていた。綾子はあの父親の顔を一生忘れることはないだろう。


 それに、綾子はとにかく実家から抜け出す術を探していた。

 綾子はすでに二十五歳。世間では老嬢オールドミスと揶揄される年齢だ。


 男爵令嬢であるからして、まず十七歳の時に縁談の話があった。

 拒否する理由もない。拒否するという考えもなく、もちろん婚約に至ったが、相手は交通事故で亡くなった。その後、十八歳の時の二度目の縁談ではまたもや婚約後に相手が急な病で死亡。


 その上、病がちであった綾子の母親も亡くなり、妹も急な病で後を追うように亡くなった。

 

 綾子の父親は何かあやかしでも憑いているのではないか、呪われているのではないかと綾子を罵った、二度の破談でもうまともな縁談も望めず、金にならない綾子を一家の恥晒しと呼び、家の敷地から出ることを禁じた。


 父親は元々妾であった女を後妻とし、彼女との間に生まれていた妹と弟には贅沢を許し、一方の綾子を女中として扱ったのだ。


 十八歳まで男爵令嬢として暮らし、華族女学院にも毎日人力車で通い、重いものなど持ったことのなかった綾子の令嬢として自尊心はズタズタになった。


 厨房での食事の支度や皿洗い、漬物の仕込み、掃除に障子の張り替え、電球の交換から馬車や乗馬で使う馬の世話に、父の趣味で飼育している洋犬の世話。


 なんでもやらされた。厄介者ならばどの女中より朝早く起きて働くようにと継母にはいつも打たれた。腹違いの妹や弟に命じられ、小間使いとして扱われる日々。

 古くからの女中や使用人の中には庇ってくれる者も多かったが、家長に逆らうことなどできるわけもなかった。


 だからこの降って湧いたような縁談に飛びついたのだ。


 エーリッヒは二つ年上で、日本で事業を営んでいる。オイレンブルク商会という商社の代表を務めていると聞いた。

 日本生まれで幼少期は日本で育ったらしく日本語も流暢。


「君が嫁いでくれるなら、結納金以外にも、結婚後も実家への援助は惜しまない。ただし、君の家の神棚の家宝を譲り受けたい」


 実家の庭で、ふたりで話した時のことを思い出す。


「はい、父も家宝についてはお譲りすると話しておりました」

「婚儀を急ぎたい。早ければ早いだけいい。俺も貴族のはしくれであるし君も華族。その上国際結婚になるからすぐに籍は入れられないだろうが……できるだけ式は急ぎたい」


 一体、なんなのだろう。なぜ、家宝にそこまで執着するのだろう。

 なぜ婚儀を急ぐのだろう。

 とにかく不思議な男だった。

 だが、綾子に選択肢はなかった。この家から出られるならば、早い方がいい。


「かしこまりました、エーリッヒさま。不束者でございますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 綾子はその日から毎日神棚に祈った。

 今度こそ、今までの婚約者とは違い、無事に式を挙げられますように。

 幸せな家庭を築けますように。


「一緒に参りましょう。エーリッヒさまを、そしてわたしをお守りくださいませ」


 先祖が戊辰戦争で焼け落ちる祠から命からがら持ち出したという家宝。古めかしい桐の箱が、神棚に鎮座していた。

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