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Episode6 通い求婚


 羊皮紙の便せんを前に、エリサははぁ……、とため息を吐いた。

 ペンを持つ手が迷い、貴重な便せんにその先が触れようとしては離れる。

 エリサは頬杖をついてぼんやりと虚空を見つめた。

 エリサを悩ませているもの、それはチェレスティーノ殿下ただひとりだ。


 あの日、エリサがチェレス殿下を盛大にこっぴどく振った舞踏会の日。

 つい衝動的にやってしまった王族への暴力にエリサは震えた。

 舞踏会場からエリサの元に辿り着けなかった使用人のオリヴィアとシアのふたりと合流したエリサは簡潔に事の顛末(てんまつ)を伝えた後、果てしない恐怖心に(さいな)まれた。

 下手をしたら打ち首。それも、エリサだけでなく一家全員がだ。

 それをエリサはやってしまった。先に手を出してきたのはチェレス殿下ではあったが、エリサは目上の人間である彼をぶん殴ってしまったのだ。

 

 きっと罰は避けられない。エリサはどうにかして両親や弟だけは守ろうと考えあぐねて、結局結論が出ず日を(また)いでしまった。

 そうして迎えた翌日、当然のごとくチェレス殿下がエリサの家に来訪してきた。

 エリサは何とかチェレス殿下に弁明しようとして、せめて両親や弟だけはお願いだから罰を与えないでほしいと伝えようと意気込んだ。

 だがチェレス殿下はエリサの予想とは全く真逆の反応をしてきた。


『――昨日の事はすまなかった。あまりにもエリサ嬢がかわいくてつい味見をしてみたくなったんだ』

『あ、味見……っ!?』

『そう。ここまで心惹かれる人は君が初めてだ。どうか、昨日の僕の非礼を許してほしい』


 チェレス殿下はそう言って潔く頭を下げた。

 自分より地位も身分も低い相手にこうも簡単に頭を下げる王族がいるだろうか。

 エリサは動揺して気が動転した。


『そ、そんな……っ、私こそ殿下をぶったりして、……ごめんなさい』

『いや、君が謝ることじゃない。先に手を出したのはこちらだから。当然の報いだよ』

『ぅ……でも……』

『……そんなに気になるなら、ひとつだけ僕のお願いを聞いてほしい』

『お願い、ですか……?』

『うん。昨日は少し性急すぎた。少しずつ君のことを知っていきたいと思ってね。だから、これからここに通ってもいいかな?』

『ぁ、はい。わ、かりました……』


 エリサは半ば必死だった。

 これ以上非礼に無礼を重ねるわけにはいかない。

 だがこの時のエリサの決断が今のエリサを悩ませる悩みの種になるとはこの時のエリサは思いもしなかったのだった。


 チェレス殿下の来訪を承諾してしまった翌日。

 正確にはその翌日以降からの話なのだが、チェレス殿下は宣言通りにエリサの家に来訪した。

 それも、週に1回とかではなく毎日。

 これにはエリサも呆れ果てた。いくら実権を弟のレオナルド殿下に渡しているとはいえ、頻繁に来過ぎではないか。

 エリサもエリサで承諾してしまったがゆえに断り辛い。

 噂通りの『隠居体質王子』っぷりにエリサは辟易して父に助けの手紙を書こうとして、かれこれ1か月が経ち今に至る。


 「はぁ……」


 エリサの口から再びため息が出る。

 助けを求めるといったって、一体何を書けばいいのだろうか。

 チェレス殿下が家に入り浸って来るので実家に帰らせてください。……これだと2年前に家を出てきた意味がない。

 未婚の女性の家に男性が入り浸るのはいかがかと思うので、一度家に来てハッキリと親として断って欲しい。いや、王族にそう簡単に意見できるような性格の両親ではない。特に母は。

 エリサは頭を悩ませた。どうすればこの問題を解決できるだろうか。

 どうせ手紙なのだから思いの丈を書きなぐろうかと心に決めた矢先、部屋の扉がトントントンとノックされる。


「エリサお嬢様、チェレスティーノ殿下がお越しです」


 ……どうやら今日も律儀に訪ねてきたようだ。

 エリサは渋々筆を置いて立ち上がった。


 ――――・――――・――――・――――・――――


「……また、来たんですか」

「何度だって来るよ。君が僕からの求婚を受け入れてくれるまでね」


 エリサはすっかり呆れて今やほとんど改まった話し方をチェレス殿下に対してしていない。

 それでも彼は爽やかに笑ってエリサの態度を受け入れるのだから、エリサはチェレス殿下が懐深いのか腹黒いのかの判別が全くもってつかない。

 応接室にて優雅にくつろぐチェレス殿下にエリサは渋々反対のソファに腰掛ける。


「それで、考えてくれた? 僕との結婚」

「ですから、何度もお断りしているではありませんか。私は心に決めた人としか結婚しませんので」


 このやりとりも何十回目だろうか。

 まるでエリサが折れるのを待っているかのようにチェレス殿下は毎日ここに来る。

 そしてエリサがチェレス殿下の求婚を必ず断る。もうこれがエリサの日常と言わざるを得なかった。


「心に決めた人、かぁ。ひとついいかな?」

「なんですか?」

「君はどんな人が好み?」

「はぁ……。そうですね、無理強いしなくて、私の自由にさせてくれる人がいいです」

「なるほどなるほど」

「それと、本心を隠さないでいてくれる方が安心します」

「……というと?」

「……だって、嫌じゃないですか。好きとか愛してるって言っても、それが本当の心じゃなかった時って。自分が信じていたことが嘘だったなんて、そんなことなら最初から、そうじゃないって分かっていれば、苦しくはないから……」


 エリサは自分でそう話してて、過去の記憶が(よみがえ)った。

 思い出すのは幼少の頃の苦い思い出。それなりに仲良くしてくれていたと思っていた子が裏でエリサの悪口を話していたと人伝(ひとづて)に聞いた時。

 分かり合えたと思っていたのはエリサだけで、そうじゃないと知ったあの時、エリサは静かに心の扉を閉じた。


「……だから、嘘じゃなくて本音で話してくれる方がいいんです」


 静かにエリサは結論付けた。

 過去は過去だ。もう、終わったことだ。

 それに、エリサは今の『おひとり様令嬢』という身分が性に合っていた。

 今は結婚なんてしたくないし、するとも考えられなかった。

 そんなエリサの答えをチェレスは静かに聞き届けた。

 それはエリサの心情を察してだろうか。


「……」

「……」


 沈黙。

 だがそれは1か月前の時に感じたものより遥かに過ごしやすかった。

 エリサはふとチェレス殿下の事が気になってそっと目線を上げてみた。

 わずかに青みを帯びた艶やかな黒髪。それなりに整っているとは思う顔立ちに髪色とは対照的な金色の瞳。

 こうして黙っていればきっとモテるだろう。いや、実際に舞踏会の時は令嬢たちが息を吞んでいた気がする。

 地位的にも容姿的にも令嬢なんて選び放題だろうに、どうしてエリサだったのだろうか。

 エリサは逆に、どうしてチェレス殿下がエリサを選んだのか、そもそもチェレス殿下はどういった人間なのかが気になった。

 エリサが知っている情報は他の令嬢たちと同じく『隠居体質王子』である。

 幼い頃から病弱で、弟のレオナルド殿下に実権を握らせているとの噂。

 後者は事実だろうとエリサはチェレス殿下とこうして会っていて実感したが、前者に関してはいまいちピンと来ていない。

 今こうして対峙している時のチェレス殿下は病弱さの欠片もない。

 エリサは思い切って、この機会にチェレス殿下に対してもう少し踏み込んでみようと思い至ったのだ。



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