Episode5 誘惑
レオナルド殿下の提案通り、エリサとチェレスティーノ殿下は城の客室に通された。
大理石のローテーブルにビロード調の白いソファ。
客室というだけあって人が4人も寝られそうな大きなベッド。
エリサの自室とは比べ物にならないくらい華やかで、いい香りがして、壊したりなんかしたら目が飛び出そうなくらいの調度品にエリサは目眩がした。
「それじゃあおふたりさん、ごゆっくり」
「え……? は、あ、ちょっと……っ!」
客室に通されてすぐレオナルド殿下は部屋に入るまでもなくエリサとチェレスティーノ殿下にそう言ったので、エリサは思わずレオナルド殿下に突っかかった。
「ちょ、ちょっと待ってください! ふたりで……って、どういうことですか……!?」
エリサはそう言いながら思わずチェレスティーノ殿下の方へ一度視線を向けた。
エリサは未婚だ。未婚の令嬢が殿方と密室でふたりきりなんて、宗教観的にアウトである。
しかも教えを遵守する立場である王族がそれを促すような動きをするのは、いささか不透明である。
「どういう……って言われても、その方がゆっくり話を付けやすいと思ってね」
「いやいや、……えっと、すみません、私未婚なんですけど」
「まぁまぁ……。普段滅多に意思決定をしない兄上きっての願いなんだ。……ここはどうか呑んでくれないか、エリサ嬢」
「ぅ……」
そう言われてしまえばより強く否定をしにくい。
噂通り、チェレスティーノ殿下は気弱で隠居体質なのだろう。
レオナルド殿下はエリサの非礼をにこにこと笑って流し、エリサをより逃げられない状況へ追い込んでいく。
それにやはり相手は王族だ。今はこうして笑っていても心の内では反感を買ってしまっているかもしれない。
エリサは一家打ち首だけは避けたいと思った。エリサの非礼ではあるものの無関係な両親や弟を巻き込むわけにはいかない。
「わ……、かりました。……ですが、私にも道は残してくれませんか?」
「……というと?」
「チェレスティーノ殿下と話し合ったからといって、私が殿下の求婚を受け入れるかどうかの選択くらいは、させてほしいのです」
エリサは真っ直ぐにレオナルド殿下を見据えてそう言った。
正直怖い。見方を変えれば王族の意思決定に意を唱えますよという宣言であるからだ。
だがそんな失礼極まりないエリサの譲歩にレオナルド殿下は優雅にふふっと笑ってこう返す。
「ああ、もちろん。女の子を粗末に扱ったりしないよ。……僕も兄上も、ね」
レオナルド殿下の言葉にホッとしたエリサがレオナルド殿下を見送った後、覚悟を決めてチェレスティーノ殿下を振り返ったエリサの目に入ってきたのはいつの間にか優雅に茶を淹れていたチェレスティーノ殿下の姿だった。
――――・――――・――――・――――・――――・――――
「――どうぞ」
「どうも、……ありがとう、ございます」
チェレスティーノ殿下が茶を淹れている姿を見て固まってしまったエリサに、チェレスティーノ殿下は至って何でもないことのようにエリサをソファに座るよう促した。
自分より立場が上の人間に給仕のまねごとをさせてしまったことにエリサは心臓が止まりそうになったが、これ以上王族の反感を買うまいとチェレスティーノ殿下の声掛けに従った。
そして目の前に差し出される香り高い紅茶。ほのかに香るフルーツのような甘酸っぱい香り。
ひとくち口に含むと上品なコクと紅茶特有のわずかな苦みがエリサの気分をわずかに落ち着かせる。
これほど上手く茶を淹れられる貴族はそうそういないだろう。エリサはチェレスティーノ殿下が普段からこうして茶を淹れているのだろうと推測した。
「……どうかな? 僕が普段飲んでいるものだけれど、君の口に合うだろうか?」
「はい……。その、すごくおいしいです」
不意に話しかけられて、エリサはありきたりな感想しか述べられなかった。
もっとこう、深く踏み込んだ話をすべきだっただろうかとエリサは思い悩み、焦った。
深く踏み込むといっても何に反応すればいいのだろう。紅茶の産地を聞けばいい? でもそれだとしたら興味があるのは紅茶ですととられないだろうか。それじゃあチェレスティーノ殿下が普段飲んでいるという情報に突っ込んだ方がいい? いやそれにしてはチェレスティーノ殿下の生活に踏み込み過ぎないだろうか。
エリサはいつもこうだ。初対面の人間を前にすると何を話せばいいのか分からなくなる。
エリサは静かに紅茶に視線を落とした。澄んだ紅い色の水色が固い表情のエリサを映しだす。
途端に黙り込んでしまったエリサにチェレスティーノ殿下はエリサの心情を知ってか知らずか、話を続けた。
「そう。そう思ってもらえてすごくうれしいよ」
「はぁ……」
沈黙。
こんなにも社交が下手な令嬢が他にいるだろうか。
話が続かないことはいつものことではあるが、こうも沈黙が辛いと思ったことは一度も無い。
エリサは中々本題を切り出してこないチェレスティーノ殿下に痺れを切らして、おずおずとエリサから話をする覚悟を決めた。
「……あの、チェレスティーノ殿下、」
「そんなにかしこまらなくていいよ、エリサ嬢。どうか僕のことはチェレスと呼んでくれたらいい」
舞踏会場での礼儀ある話し方より幾分か砕けた話し方をしたチェレスティーノ殿下は笑ってそう言った。
だがエリサとしては彼からの求婚を断る前提で話しているのだ。かしこまるなと言われても緊張してしまう。
「で、ですが……」
「いい。僕がいいって言ってるんだ。それに、僕も堅苦しい話し方は好きじゃないしね」
そう言ってチェレスティーノ殿下は肩を竦めた。
そうまで言われたら従うしかない。
「チェレス……殿下は、どうして私なんかにプロポーズを……?」
「なんか……って言葉は好きじゃないなぁ。言ったじゃないか、一目惚れだって」
「で、でも……! 一目惚れって言ったって、惹かれる何かはあるはずじゃないですか……!」
赤の他人に一目惚れという言葉だけで愛を囁くのは簡単だ。
エリサが知りたいのはどうしてエリサだったのか。エリサ以外の人じゃダメだったのか。
その部分を知らなければエリサはどんなことを言われて心を動かされても、結婚には踏み切らない自信がある。
だがそんなエリサに対してチェレス殿下は呆れた様子で笑った。
「惹かれる理由、って言われてもなぁ。……君が特別だから、としか」
「特別……?」
どこが、と疑問に思ったエリサにチェレス殿下はおもむろにソファを立ち、エリサの隣に座り直す。
「そう。だって、君は――」
チェレス殿下の手がエリサの頬に触れる。
彼の行動の先が読めないエリサはその動作に対する警戒を怠ってしまった。
気が付いた時にはもう、エリサの唇とチェレス殿下の唇がぴったりと重なっていた。
「なっ……、ぁ……」
理解できない急展開にエリサの思考が止まる。
唇に触れた柔らかな感触にエリサが気付いた時にはもう、その温もりは離れていた。
一体何を、と戸惑うエリサの唇に再びチェレス殿下の唇が重なる。
キスをされている。ようやく思い至ったエリサはハッとした。
このまま流されしまったらマズい。
既にキスはされてしまったが、まだ貞操は守られている。
そのまま流れに流そうとするチェレス殿下が唇を離した瞬間に、エリサは渾身の力でチェレス殿下の頬を張った。
バチーンッ、という盛大な張り手の音と衝撃にチェレス殿下が怯んだ隙に、エリサはソファから転げ落ちるようにして彼の束縛から逃げ出す。
「――ッ、サイ、ッテー!!!」
おおよそ貴族令嬢とは思えない捨て台詞を吐いて、エリサは客室から逃げ去った。
誤字脱字報告を受け、修正いたしました。
報告を上げてくれた方、ありがとうございます!




