Episode4 チェレスティーノ第一王太子殿下
「……は?」
素で声が出た。
エリサは思わず男性の声がした方に視線をずらした。
すると、なんとそこにはまっさらな白い礼服を着こなした黒髪の男性がエリサの前で跪いているではないか!
……。
エリサは一度視線を元に戻してから、二度見した。
うん、明らかに私に向かって跪いているわ、この人……。
エリサは一度落ち着きを取り戻すように深呼吸をして、至って冷静にと自分に言い聞かせてから男性の方へと振り向いた。
「い、……いま、なんと……?」
引き攣った声が喉から絞り出された。
やばい、隠しきれない。
エリサは焦って思考した。この人は今、私に告白――もといプロポーズをしている……?
頭が理解を拒み、今自身が置かれている状況に混乱してこめかみを冷や汗が伝う。
そんな状態のエリサに、目の前の紳士は穏やかに落ち着き払って、エリサが求めていない言葉を言い放つ。
「……ああ、伝わらなかったかな? 僕はたった今、この舞踏会で貴方という花に恋をした、と言ったんだ」
意味が分からない。
改めて聞いても、理解不能。
思考が停止しかけるエリサは助けを求めようと、そして、周囲の状況に縋るように目線を這わせた。
今やエリサは令嬢たちの騒ぎの中心に居る。エリサの身に令嬢たちのざわつきと、驚きと訝しげな視線が突き刺さった。
オリヴィアやシアの助けは借りられそうにない。
エリサは痛すぎる令嬢たちの視線から目を逸らし、代わりに目の前に跪く紳士を見る。
王族特有の真っ白な礼服に片方の肩にしか付けない緋色のマント。
礼服やマントの節々に施された金細工のアクセサリーはそのどれもが繊細かつ華美で豪奢な代物だ。
闇に溶けるかのような艶やかな黒髪はよく見ればわずかに青みがかっていて、後ろでひとつに束ねているようだ。
束ねきれなかった前髪はきれいなウェーブを描くように横に流されている。
どこからどう見ても王族である彼を前に、エリサは頭を抱えた。
よりにもよってプロポーズされている、王族に。
それに、公務で頻繁にお目に掛かるレオナルド殿下の髪は金髪だ。
つまり必然的に、消去法でエリサにプロポーズしてきた男性の正体が分かる。
チェレスティーノ・スペットロ・ダ・スペリメンターレ。このスペリメンターレ王国の第一王太子だ。
こんな状況でやすやすと断れる度胸はエリサには持ち合わせていないが、このまま話が進んでも困る。
伯爵家と王族、家柄的に見ても到底釣り合うはずがない。
つまり、戸惑うエリサが導き出す答えはここに行き着く。
「お言葉ですが……、誰かと思い違いをしておいででは……?」
初めて会う人にプロポーズだなんて、今時絵本の世界でもありえない。
だから可能性があるのは人違いだろう。そうであってほしい。
今日に限ってエリサは母が選んだドレスを着ている。なら誰かと勘違いをされてもしかたない。
エリサは認めたくなかった。自分じゃないと、証明してほしかった。
「まさか! 貴方だけですよ、一目で恋に落ちたのは」
エリサの希望は打ち砕かれた。
どうやら本気でこの男――チェレスティーノ殿下はエリサにプロポーズをしているらしい。
なんとかして逃げられないだろうか……。
エリサは背中に嫌な汗をかきながら、どうにも苦手なこの男を睨んで奥歯を噛み締める。
一体どうしてこうなったのだろうか。
途方に暮れるエリサはひとまずこの状況をなんとかしようと、チェレスティーノ殿下に対して言葉を掛ける。
「え、ええと……。ひとまずお立ちになってください、シニョーレ……」
「ああ、私としたことが申し訳ない。私はチェレスティーノ・スペットロ、スペリメンターレ王国の第一王太子だ」
はい、そうですか……。
予想していた答え合わせにエリサは呆然とした。
エリサの言葉に答えるように立ち上がったチェレスティーノ殿下は流れるように彼女の手を取る。
そこへ見計らったようにもうひとりの王族――レオナルド殿下が声高に話を進める。
「――皆様、静粛に! 実はかねてより今日開催される成人の催し、それに伴う舞踏会において兄上の婚約者を探す名目も兼ねていたのだ。順番が前後してしまい、申し訳ない!」
レオナルド殿下の説明に、会場内に驚いたどよめきが響く。
参加者に知らされなかった第一王太子の婚約者探し。本来は秘密裏に行われるはずだったのだろう。
だが、当の第一王太子であるチェレスティーノ殿下は一目惚れしてしまった。よりにもよってエリサなんかに。
当然、令嬢たちからの視線は更に痛くなる。
頼むからこれ以上火に油を注がないでくれ。ただでさえ『おひとり様令嬢』なんてあだ名がついているのに。
「それで、シニョリーナ。私からの求婚は受け入れてくれるのかな?」
エリサはレオナルド殿下の話に気を取られていて、しっかりエリサの手を握っているチェレスティーノ殿下の存在をすっかり忘れていた。
チェレスティーノ殿下にそう言われ、エリサはハッとした。
だが、あくまで冷静に、落ち着いた気持ちを心掛けながらエリサは麗しき貴公子に向けて答えを言い放った。
「ご、ご遠慮いたします……!」
この状況で断る令嬢がいるだろうか。いや、いる。エリサが。
家柄的にも王族から求婚されて堂々と断りを入れる令嬢なんてそうそういないだろう。下手をすれば一家全員打ち首だ。
だがエリサはチェレスティーノ殿下からのプロポーズを断った。しかも言葉を濁さず堂々と。
それはつまり、周りの令嬢たちからは非常識な人に見えるわけで。
「――嘘、この状況で断るとか……」
「――さすがおひとり様令嬢ね。度胸あるわ~……」
当然、エリサの態度に対して令嬢たちが声を潜めながらそうぼやく声が聞こえる。
それもそうだ。エリサは伯爵令嬢、対するチェレスティーノ殿下はこの国を支配する立場の王族だ。
こうもはっきり断れば王族としてのメンツは丸潰れだろう。言わばエリサはチェレスティーノ殿下に恥をかかせたのだ。
ようやくその事に思い至ったエリサだったが、口から出てしまった言葉はもう戻せない。
だがそんな状況であってもチェレスティーノ殿下は至って冷静に、謎に爽やかに笑ってエリサに話を続ける。
「……急な事で戸惑うのも無理はない。でも、私が貴方に一目で恋をしてしまった事実に変わりはないのだよ、シニョリーナ」
「は、はぁ……」
チェレスティーノ殿下はどうやらエリサがいきなりのことで混乱していると言いたいのだろう。
それはもちろん間違ってはいないのだが、エリサがノーと言えばノーなのだ。
そんなこんなで色々とマズい状況に陥ってしまったエリサとチェレスティーノ殿下だったが、ここでもまたレオナルド殿下が助け舟を寄越す。
「――兄上よ、いきなりのことで彼女が困惑するのも無理はない。どうだろう、ここはひとつ落ち着ける場所で話をするのは」
「レオナルド……。それもそうだな」
だがそれは兄であるチェレスティーノ殿下に対してだった。
エリサにとってのメリットは周囲の令嬢たちからの痛い視線から一時的に避難できることくらいだ。
そして当然といえば当然であるが、ほぼエリサ抜きで話が進んでいく。
「シニョリーナ。いきなりのことで混乱させてしまい申し訳ない。どうかレオナルドの提案通りにゆっくり話をしたいのだが、いかがかな?」
エリサに断る術はない。
これ以上他の貴族、令嬢たちの反感を買うのはよろしくないだろう。
エリサは苦い笑みを浮かべながら、彼らの提案を吞んだのだった。
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