Episode3 憂鬱なる舞踏会
「――それで、お母様はいったい何用でこちらへ?」
エリサの母であるマリアの荷物を運び入れ、朝の来訪で朝食を摂りに食堂へ会した時、エリサは母にそう尋ねた。
例年であれば本格的な社交シーズンはもう少し暖かくなってからだ。
エリサは例年より早めの母の来訪に首を傾げていた。
そんなエリサを前に、マリアは静かにナイフとフォークを動かしながら答えた。
「何用って、そんなの決まっております。エリサがきちんと成人の催しに参加できるようにするためです」
「……そ、んなことで来られたのですか?」
エリサの声が若干震える。
マリアはそんなエリサの雰囲気を悟ってか、淡々と語る。
「ええ、もちろんですとも。暦の上では春とはいえ今の時期まだまだ冷えますからね。風邪でも引いて参加できなかったらせっかくの記念ですのにもったいのうございましょう?」
「はぁ……」
「それに、普段のエリサの様子から仮病を使わないとも限りませんし」
ギクリ。
エリサの背筋に緊張が走る。
見抜かれていた。いやたまたま当てずっぽうで言ったのだろうか。
なんにせよ、エリサにとっては肝が冷える発言であった。
「あ、安心してくださいお母様。私ももう20歳。成人したからには最低限の社交は行おうと思っておりますわ」
エリサは引き攣った笑みを浮かべてそう言った。
正直社交なんてまっぴらごめんだが、今は母の機嫌を損なわない発言をすべきだろう。
「あらそう? それならいいのだけれど。いくら人付き合いが苦手とはいえ、最低限の礼儀と振る舞いは身につけておかないと。将来の夫を見つけるためにもね」
「はぁ……」
エリサの口から生返事が零れる。
今のエリサにとって、結婚ほど彼女から縁遠いものはないだろう。
同性の他人と話すのさえ億劫なのに、異性と話すだなんて考えられない。
それも、結婚ともなると話すだけじゃない。手とか唇とかが触れ合ったり、その先も……。
「まあ、なんにせよエリサが成人を機にしっかりしてくれるようで安心したわ。私は当日までこちらでゆっくりさせてもらうから、準備で困ったことがあったら力になりますからね」
「……はあ、ありがとうございます、お母様」
結局当日までここにいるのか……。
落胆するエリサとは対照的に、マリアはようやく淑女としての立ち居振る舞いを身につけようと仮にも宣言した娘を喜ばしく思っていた。
――――・――――・――――・――――・――――
「――わぁ、見てくださいエリサお嬢様! お城ですよ!」
「シア、はしゃがないでください。お嬢様は今とっても憂鬱なのですから」
「はぁい、オリヴィアさん」
馬車の中で、エリサはシアとオリヴィアの会話をぼんやりと窓を眺めながら聞き流した。
窓の外から望める景色はシアが言った通り、お城が見える。
市街地の煉瓦とはまた違った色合いの白い煉瓦に、まあるい赤色の屋根が特徴的だ。
ここのところ、約1週間分のエリサの記憶が曖昧だった。
というのも、今日までエリサが住処にしていた王都のザッフェラーノ邸に母が居座ったからだ。
結局エリサの母マリアは今日の成人の催しの準備にあれやこれや口出しをしてきて、色々と面倒になり折れたエリサはほとんど上の空で準備を進めてきたのだった。
「あ、そうだ。エリサお嬢様。今日のお召し物はとっても素敵ですね! ピンクのフリフリに紅色のリボン、まるでお姫様みたいです!」
「こら、シア!」
オリヴィアがシアを窘めた。
シアはオリヴィアの言葉にシュンとして、頭を垂れた。
そんな使用人の空回りにエリサは少しだけ元気が出て、シアに薄く微笑んだ。
「……ありがとう、シア」
「エリサお嬢様……!」
シアの表情がぱっと明るくなる。
エリサはそんなシアの表情に今日だけは頑張ってみようかと少しだけ気力が沸いた。
そうこうしている内に馬車はスペリメンターレ城へと辿り着き、エリサは成人の催しと称して行われる舞踏会の場へと案内された。
会場内は煌びやかで、鏡面張りの壁と仰ぎ見る程背の高い天井から吊るされた水晶のシャンデリアが会場内を明るく照らしていた。
顔が映るほど磨かれた大理石の床、テーブルに盛られたおいしそうな香りのする料理。
そして、見渡す限りの人、人、人……。
エリサはその光景を見た瞬間に卒倒しそうになったが、何とか父との約束である放免を目指して気を張る。
「それではエリサお嬢様。私たちはここで待機しておりますので、何かあれば申しつけを」
「うん、わかった。ありがとうオリヴィア、シア」
「いえいえ……! 今日の舞踏会は格式張ったものではないようですしエリサお嬢様も楽しんでください」
シアの発言に再びオリヴィアの睨みが走ったが、エリサはにっこりと笑って返した。
社交の場に来てしまったからには表面上だけでも笑って楽しそうにしていなければならない。
それは仕方のないことだ。エリサにとっては憂鬱な場でも、他の人からすれば晴れやかな場なのかもしれない。
そんな人たちの邪魔をしてはならないだろう。エリサは壁の花になる気まんまんで会場内を見渡した。
出来るならあまり目立たない所で。あ、でもせっかく来たんだし舞踏会の雰囲気だけは観察してみたいなぁ。
そんなことを考えながら壁際を歩いていると、ひそひそとした話し声がエリサの耳に入った。
「――ねぇ見て、あの子って……」
「――『おひとり様令嬢』って噂のザッフェラーノ伯爵令嬢かしら?」
「――嘘、こんなところで一体何をしに来たのかしら」
気にしない、気にしない。
エリサは噂話を聞こえないふりをしてそっと壁際に立って会場内を見渡した。
まだ開式はされていないようで、成人した令嬢たちや令息たちがのんびり立ち話をしていた。
だが、意識をどれほどよそに向けようと噂は聞こえてしまうものだ。
「――シッ、聞こえてしまうわよ。それに、ザッフェラーノ伯爵夫人は厳しいとお噂の方よ。きっと、引きずり出されたんだわ」
「――あらまぁ、それはお気の毒に。来たくもない舞踏会に来させられてさぞ不愉快でしょうに」
それはそう。
エリサは令嬢たちの噂に内心頷きながら、早く帰りたいなぁと心の中でぼやいた。
そんな自分の噂話をぼんやりと聞き流そうとした時、開会前だというのに会場内が突如ざわついた。
「――うそ、あれってもしかしてチェレスティーノ王太子殿下……!?」
「――え? 第二王太子のレオナルド王太子殿下は参加されるとは聞いていたけれど、あの隠居体質王子と噂の第一王太子であるチェレスティーノ殿下が……!?」
令嬢たちのざわつきと流れてきた噂に、エリサもまた騒ぎの方へと目を向けた。
会場内の入り口のひとつにひとだかりが出来ており、その中心部にわずかに頭ひとつ分だけ突き抜けたふたりの人物がいるのが窺えた。
ひとつは太陽のような金色、もうひとつは夜の闇のような黒色だ。
「――ええっ、本当じゃない!? どういうこと!?」
「――噂では大病を患ったとかで公務のほとんどをレオナルド殿下に渡していると伺ったのに、思っていたほど病弱そうには見えませんわね」
令嬢たちは口々に王族の登場――とりわけ第一王太子であるチェレスティーノ殿下の話題を持ち上げた。
社交界に疎いエリサでさえその噂は耳に入っていた。
――チェレスティーノ殿下は幼い頃に大病を患い、病気がほとんど治った今でも引きこもり、もとい隠居のような生活をして過ごしている。
公務のほとんどに参加をせず、新年の挨拶にさえ顔を出さない隠居体質の王子だと。
エリサもまた他の令嬢と同じく第一王太子の登場に驚いたものの、すぐに興味は失ってしまう。
先ほど聞こえた病弱そうに見えないという話は気になったが、わざわざあのひとだかりを掻き分けてまで顔を見ようとは思わない。
それに、今日のエリサのテーマは見えない、聞こえない、話さないの三箇条だ。
エリサは再び舞踏会を観察する壁の花になりきろうと決めた。
決めたのだが、心なしか騒がしさが近づいたような気がする。
いや、気のせいだろう。
気にしない気にしない。王族なんて興味ない。
そう思い込んで騒ぎから視線を逸らし続けたエリサの耳に、聞き馴染みのない低く艶のある男性の声が届いた。
「――麗しの姫君よ。どうか私の傍で生涯を共にしないだろうか」
誤字脱字報告を受け、修正いたしました。
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