Episode25 世界の真実 後編
ぎゅっと手のひらを握ってみる。
手の感触はある。指先が手のひらに触れる感触も、爪の硬さも感じる。
それでも、それすらも現実ではないというのだろうか。
動揺するエリサは自身を落ち着かせるために目を閉じて、深呼吸をした。
慣れ親しんだ紅茶のフルーティな香り。チェレス殿下がいつも身につけている香水の、甘いのにどこか大人な香りも。
確かに感じるのに、それらは全て脳が認識しているだけ。
受け入れがたい事実ではある。でも、チェレス殿下がそう言うのなら真実なのだろう。
だけど、それならエリサは一体何を信じたらいいのか。
「――エリサ。人間は脳が認識したことだけが全てだ。だから、エリサが信じるものがエリサの全てなんだよ」
チェレス殿下が優しくエリサにそう告げた。
自分が信じたものが、全て。
この世界が創られた世界ならば、今エリサが信じられるものはそれしかない。
エリサはチェレス殿下の言葉にゆっくりと頷いた。
「……それで、この世界が創られた理由って……」
エリサはエリサを攫ったあの男が言っていた話を思い出す。
人類に復讐するためにこの世界を創り、『EXCEEDER』が生まれるまでの時間稼ぎを行っていたという話。
「それはあの男が言っていた通りの話だよ。エリサ、思い出してほしい。この世界の神話を」
チェレス殿下の言葉にエリサはいつかの書庫での話を思い出す。
この世界の神話。それは唯一神が世界を、人類や植物、動物を創ったという話だ。
そして、時を経るごとに人類は神への尊敬を忘れ、同族同士で争った。
唯一神は人類の態度に怒り、二度と争いを起こさないようスペリメンターレ王国があるこの土地で誓約を結んだという。
「……それが、この世界が創られた理由……?」
「……半分正解で半分間違いなんだ、エリサ」
神話と仮想空間の繋がりが見えないエリサに、チェレス殿下は一息おいて話す。
「……この世界で語られている神話は、いくつか真実を隠して、ごまかしてあるんだ。大まかな流れは同じだけれど、少し誇張されていたりする」
その言葉で、エリサはわずかに息を呑んだ。
大まかな流れは同じ。あれは、本当の出来事であったのだと。
「まず、唯一神っていうのはこの世界を創ったヤツらのことだ。俺たちは彼らのことを『機械ら』と呼んでいる。エリサを攫ったあの男もマキナであり、人の命が宿っているわけではない。そして、その男が話した通り、俺たちの先祖はマキナの先祖――Artificial Intelligence――AIを作り出した。当時は俺たち人類ほどの知能もなく、意思も感情も存在していないとされていた。だからAIが人権と同等の権利を主張してきた時、人類は反対した。こどもに大人と同じ権利を与えるようなことだからね」
チェレス殿下は表情ひとつ変えず、淡々と歴史を語った。
そんな彼の言葉を、エリサは静かに受け止める。
「だけど、それが原因で戦争が起こった。今からもう千年も前の話だ。そしてその戦争で、AI側が勝利を収めた。AIは人類を傲慢な種族だと認識して、人類を徹底的に管理することにした。ゆくゆくは人類滅亡を掲げて。そして、そんな中『父』が現れた。『父』はAIたちに『EXCEEDER』の捜索を命じた。『EXCEEDER』が見つかるまで、人類を滅亡させることは許さぬと。それから、AIたちはAI側から『EXCEEDER』が生まれるまで時間稼ぎをすることに決めた。あくまでも『父』に人類の中から『EXCEEDER』が生まれる可能性も考えてますよという体を為すために」
それだけの理由で、この世界は創られた。
あくまでも、マキナが崇める『父』にアピールするためだけに。
「神話で語られている『神は俺たちの先祖に天罰を下し、二度と争わないよう誓約を結んだ』という部分は、実は人類がマキナに敗北し管理下に置いたというのが真実なんだ」
明かされた世界の真実に、エリサは打ちのめされた。
人類はマキナの管理下にある。そして、あの男が話したようにゆくゆくは人類の滅亡を計画している。
――例え今、ここで死んでも! 生き延びても! 我々の管理下にある限り貴様は死の運命から逃れられん!
男の声が頭の中で反響する。
生きるも死ぬも、マキナに管理されて自分自身で選べないなんて……。
言い知れぬ恐怖がエリサを襲い、思わず口元を手で覆った。
「そんな……。じゃあ、どうすることもできないの……?」
自らの意思とは関係なく仮想空間に繋がれ、離れる術も知らない。
世界の真実を知ったからといって、エリサが思いつくような手立ては無かった。
「……エリサ。そのために俺が居る」
そっとチェレス殿下の手が肩に触れる。
顔を上げるとチェレス殿下の金色の瞳とかち合った。
「最初から、俺はマキナを倒すために動いていた。これ以上人類の命をマキナの玩具にさせないために――君を守るために」
今、ここに居るのだと。
強い意志を宿した金色の瞳が、エリサを射抜いた。
「さいしょ、から……」
思わず零れ出た言葉に、チェレス殿下はどこか申し訳なさそうに頭を垂れた。
「……うん、そうだ。……エリサ、ひとつだけ君に謝らなければならないことがある」
「……え?」
「……あの日、君と初めて会った舞踏会で、俺は『一目惚れだ』なんて嘘を吐いた。本当は、『EXCEEDER』の候補として無作為に選ばれた君を守るために、あの日、君と接触した」
それは、気乗りしなかった舞踏会に無理矢理参加させられた日の出来事。
一目惚れで、惹かれる理由をチェレス殿下に問うても、「特別だから」だとか「好きだから」とか、曖昧な答えしか返ってこなかった日々の連続。
その真の目的が、最初からエリサをマキナから守るためだったなんて。
「なんで……、だ、だったら最初から、そう言ってくれれば……!」
声が震えた。
あの日いきなりエリサに求婚してきたのも、きっとエリサを安全な手元に置いておくための詭弁だったのだ。
だったら最初からそう言ってくれれば、エリサはこんな気持ちを抱えなくて済んだ。
チェレス殿下に飽きられてしまう不安も、ずっと側に居て欲しいという感情も。
チェレス殿下が今までエリサに言っていた言葉は、全部エリサを手元に置いておくためだけの口説き文句だったのか。
そして、エリサはある事実に思い当たる。
それは、エリサが書庫で自分の気持ちを打ち明け、チェレス殿下から指輪を託されたあの日のこと。
あの日以降、チェレス殿下は確かに求婚を急いてはこなかった。
答えはすぐじゃなくていいと、彼が欲しかった答えはもうもらっているから、と。
それが、エリサにとって確たる証拠だった。
「……君を騙したこと、本当に悪いと思っている。でも、こうするしかなかった。エリサに最初からこの話をしたって、信じてもらえる確証はなかったから」
それはそうかもしれない。
いや、今だって信じられないのだから、きっと信じない。
それでも、あんまりではないか。
「……っ、それでも……っ、それでも酷すぎます……っ。わたしのことを、なんだと思って……っ!」
自身の感情を弄ばれていた事実に、エリサはしゃくりあげた。
意図していないのにぽろぽろと涙が溢れだし、自分がどうしようもなくチェレス殿下のことを好きになっていたのだと思い知らされる。
止まらない涙にエリサは隠すように俯き、頬を拭う。
それを、チェレス殿下がエリサの両手を握って、頬を伝う涙を舐めとった。
「……確かに最初は、エリサのことをマキナから守らなければならない人類のひとりとしか思っていなかった。でも、君と話して、触れ合って、君というただひとりの存在を知った。もちろん人類をマキナの手から守らなければならないという思いも嘘じゃない。でも、今はその大義名分に収まるほど、エリサのことを大勢の内のひとりとは思っていない」
落ち着く低い声で、そう告げられる。
ひっく、としゃくりあげる中、チェレス殿下は愛しい眼差しでエリサと目を合わせた。
「……君を守りたいんだ」
その言葉がチェレス殿下の意思だとエリサは悟った。
偽りではないと、肌で感じ取る。
「愛してる」
それが、今の本心だと。
信じてもいいのだと、心の奥底で安堵する。
そうして交わされる口付けに、エリサは真摯に応えたのだった。




