Episode1 手紙
時は舞踏会より2週間ほど前に遡る。
時期は厳冬の季節を終え、いよいよ春に移行していこうとしているある日のことだった。
スペリメンターレ王国の王都に住むエリサ・ザッフェラーノはいつものように家の書庫から本を持ち出し、自室に篭って本を読みふけようとしていた。
本来なら未婚の令嬢は両親と暮らすべきなのではあるが、エリサは貴族きっての変人――いわゆるおひとり様令嬢なのであった。
自分のことは何でも自分で行いたいし、誰かに口出しされるのが大嫌いだった。
だから2年前、両親と話を付けエリサは王都にある伯爵家の邸宅に住んでいる。
おひとり様とはいえ一応は貴族であるため、数人の侍女らとは一緒だ。ゆえに安全性はある程度保証されている。
そんなおひとり様生活を堪能しているエリサが自室に辿り着き、机に本を置いたところでコンコンコン、と部屋の扉が3回ノックされた。
「はーい」と返事をして部屋の扉を開けると、そこにはいつもエリサを世話してくれている侍女のオリヴィアが立っていた。
オリヴィアは相変わらず長い茶髪を頭の高い位置でおだんごにしており、きっちりと着込んだメイド服はいつ見ても清潔だ。
そんなオリヴィアは胸元にやった手に、ある紙片を持っていた。手紙だ。
「エリサお嬢様。ザッフェラーノ伯爵からのお手紙です」
「ザッフェラーノ伯爵? お父様から?」
ザッフェラーノ伯爵ということはエリサの父からの手紙ということだ。
エリサはオリヴィアからその手紙を受け取ると、訝しげな目でその手紙を眺めた。
表面にはエリサ・ザッフェラーノ様と書かれた宛名があり、裏面を見やると父の名であるフランチェスコ・ザッフェラーノの文字が。
封蝋の紋も間違いなくザッフェラーノ伯爵家のものであり、エリサは一体何事だろうと驚きと焦りを覚えつつ、手紙の封を開けて中身を取り出す。
端正に折り込まれた手紙を開くと、そこにはこれまた几帳面な文字で戸惑うようなことが綴られていた。
内容はこうだ。
『――親愛なるエリサへ。
厳しい寒さの時期も終わりに差し掛かる今日この頃、そちらは無事に冬を乗り越えられただろうか。
領地では例年の如く雪が降り積もり、昔はおおはしゃぎだった息子のルーカスも今やすっかり暖炉の前で身を縮こませておるよ。
さて、長い前置きはこれで終わりにして、本題へと入ろう。
昨年、めでたいことにエリサは20歳の誕生日を迎えたはずだ。このスペリメンターレ王国では成人を20歳としているのは周知の事実だろう。
それに伴って、正式に社交界へのデビューを果たすのもこの年齢であると、知っていると思う。
何が言いたいかというと、成人を祝う催しを兼ねた舞踏会が春に開催される。エリサにはその舞踏会に参加してもらいたい。
というのも、私の妻――エリサの母であるマリアがどうにもエリサのことを気にかけているのだ。
私はエリサの気が向いた時でいいと常々マリアに諭していたのだが、マリアはエリサの婚期やら世間体やらをやたらと気にしていてな。
どうにかして説得を試みたのだが、社交界デビューに値する舞踏会の参加を断るなど言語道断の一点張りで、私にはこの舞踏会に参加すれば、それ以外の社交の場にはエリサ本人の意思で行かせるという条件をマリアに呑ませるだけで精いっぱいだった。
すまないが、今春の成人の祝いを兼ねた舞踏会にだけはぜひともエリサに参加してほしい。
それ以外のエリサの素行に関してはこれまで通り目を瞑ろう。どうか、今春の舞踏会にだけ、参加していただきたい。
追伸 不甲斐ない父で申し訳ない。 父・フランチェスコ・ザッフェラーノより』
「舞踏会? 私が?」
エリサは思わず声が出てしまった。
それくらい今までのエリサの人生に舞踏会、果ては社交界なんて縁遠いものであったからだ。
エリサは頭を抱えた。なにせ、エリサは社交らしいことを今までしてこなかった。
というのも、エリサ自身は人付き合いが大の苦手だ。
初対面の人に何と声を掛けたらいいのか分からないし、世間話といわれる当たり障りのない話もレパートリーが少ない。
更に困ったことに、初対面のみならず二回目以降の人に対してはもっと苦手だ。
口を開けば前回会った時と全く同じ話しか出来ないし、そうでなければかなりプライバシーに踏み込んだ話しかできない。
エリサ自身そこまで踏み込んだ話はしたくないし、知りたいとも思わなかった。
幼少期からそういった態度しか出来なかったエリサは母に連れられて行った茶会やら何やらで出会った同年代の子たちとうまく馴染めず、付いたあだ名は『おひとり様令嬢』であった。
常にひとりで居る方が気楽なのねと、そんなことを言われてきた人間だ。
エリサ自身もまた、誰かとつるむよりひとりで行動した方が気が楽だったし、友達がいないことを寂しいとか不便だとか思ったことはなかったので特段困るようなことはなかった。
そんなエリサが今春の舞踏会にだけは参加しなければならないといった通達が、この手紙だった。
エリサは頭を悩ませた。あんな面倒な場所へ行かなければならないなんて。
一応エリサは貴族として最低限の教育は受けている。社交ダンスもそれとなくできるが、楽しいとは思わなかった。
エリサが舞踏会に行ったところで何ができる。それどころか居るだけで場所を取ってしまい迷惑なのではないだろうか。
エリサは悩みに悩み、考えに考えて、自室をぐるぐると歩き回った。
父は今春の舞踏会にさえ参加すれば後の社交はエリサの好きにしていいと言っている。
一方であんな面倒な場所に一度でも行かなければならないという気負いがエリサの中で渦巻く。
エリサの中で葛藤が渦巻く。けれども答えは存外簡単に出た。
やりたくないことはやりたくない。
例えたった一回、この舞踏会にさえ出れば後は放任だと言われてもエリサ自身の心は嫌だと言っていた。
よし決めた。仮病を使おう。
舞踏会の前日にでも風邪を引いた体で話を進めよう。そうすれば誰も強くは出られないだろう。
エリサは手にした手紙を丁寧に元の通りに折り畳むと、封の中に戻して机の上へと置いた。
これでようやく日課であり日常の読書に勤しむことができる。
安心したエリサは積み上がった本の山から気になっていた一冊を手に取ると、ベッドへと向かう。
この時のエリサはまさか当の舞踏会に強制参加させられることになるとは、まだ知る由もなかった。
誤字脱字報告を受け、修正いたしました。
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