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Episode16 心恋


 「……」


 自室に戻ったエリサは部屋に入るなり、扉に背を預けてずるずるとしゃがみ込んでしまった。


――……答えは急がない。エリサの覚悟ができたら、俺は君が求める答えをあげよう。


 先ほどのチェレス殿下の言葉を思い出し、ぎゅっと膝を抱える手に力が入る。

 どうして自分の心はこんなにも揺れているのだろう。

 エリサは自分の行動を顧みる。


 ここ1か月、ずっと彼の側にいた。

 舞踏会で突然求婚してきたチェレス殿下。

 エリサのことを一目惚れだと言って今の今までエリサにつきまとっていた。

 でも、そんな風に側に居られて、エリサは嫌じゃなかった。

 それどころか、一度ならず二度までも彼の口付けを受け入れてしまったのだ。

 そのことを思い出したエリサは恥ずかしさで頬を赤く染め俯いた。


 ――……君は、俺との結婚を真剣に考えてくれている。だから今こうして俺と向き合っている。そうだろう?


 チェレス殿下の言葉が思い出される。

 エリサは違うと否定するように頭を横に振って悶絶した。

 そんなことない! だって、エリサはずっと本心を話してくれる人がいいという条件を提示していた。

 それは最低条件だ。エリサはチェレス殿下のことを知った上で、結婚をするかどうかを、考えたかった。

 そんなエリサの否定を、あざ笑うかのようにチェレス殿下の言葉が追う。

 

 ――結婚したくない程の相手だったら、相手のことを知る必要もないんじゃないのか?


 「……っ!」


 そう、だ。

 チェレス殿下の、言う通りだ……。

 これまで1か月以上、彼と関わってきた。

 その間に、エリサがさっさと見切りをつけてチェレス殿下の求婚をはっきりと正式に断る事だって、いくらだってできたはずだ。

 それなのに、エリサはそうしなかった。

 それは、どうして……?


 ――私は、彼のことが、好き、なの……?


 分からない。

 好き、なのだろうか。

 でも、好きって、なに……?

 分からない。


 チェレス殿下が居なくなればそりゃあ悲しいと思う。

 居なくなって欲しくはない。

 じゃあ、彼がエリサに幻滅してエリサから離れていってしまったら……?


 ――嫌だ。


 嫌だと、ハッキリと、エリサは思った。

 その理由は分からない。ただ、エリサにとって分かるのはチェレス殿下が離れていってしまうこと、エリサのことを好きだと言ってくれなくなること。

 それらが、嫌だ、ということ。


 エリサは確実に、チェレス殿下と向き合うことでエリサ自身の感情とも向き合っていた。

 あの日、オリヴィアがエリサに対して言った通りだ。

 『人が自分の感情と向き合うには、他人に話して言語化することが一番』

 その通りだ。エリサはそれを今一番、感じていた。


 チェレス殿下の事を好きかどうか、はっきりと確証を持って言えない。

 でも、嫌いかどうかだけはハッキリと断言できる。

 エリサはチェレス殿下のことを、彼のことを嫌いだとは思えなかった。

 

 エリサに分かった自身の感情はそれだけ。

 それでも、少しずつだけど前に進んでいる。


 でも、そんなエリサにも引っ掛かりというか、()に落ちないことがある。

 結局、チェレス殿下はエリサに対して本心とも言えるようなことを話していない。

 流れに流されて、口付けを許して……。


 エリサはチェレス殿下との口付けを思い出しては顔を赤らめて、膝に顔を埋めたまま悶絶する。

 その後、少しだけ落ち着いたエリサは気になりつつもいまだによくわからないチェレス殿下に思いを馳せたのだった。

 

 ――――・――――・――――・――――・――――・――――


 「――(マザー)、お嬢様の状態ですが……」


 紅を基調とした客室内で、オリヴィアは上司であるチェレス殿下に報告を上げていた。

 チェレス殿下とオリヴィアは一言も発さず、傍から見たらただ優雅にティータイムを(たしな)む王太子殿下と側に控えるメイドにしか見えない。


「――承知した。思った通り、彼女の心はこちらに傾いている。バイタルや脳波の数値もそれを示している」

「――はい。お嬢様が(マザー)――チェレスティーノ殿下をお嫌いにならなくてよかったです」

「――まあ、かなりギリギリを攻めていたのは事実だからな」


 チェレス殿下は果実のような鮮やかな香りが立ち上る紅茶を(すす)る。


「――しかしチェレスティーノ殿下。本当によろしいのですか?」

「――なにを?」


 チェレス殿下は視線を動かすことなくそう問うた。


「――あなたが()()をわざと見逃しているということです」


 一息の沈黙。

 チェレス殿下はオリヴィアの質問にゆっくりと答えた。


「――……ああ、構わない」

「――ですが、危険ではありませんか? ……あなたが敵を――(ファザー)らの手先をわざと見逃しているなんて」


 チェレスが彼らを野放しにしていることは事実だ。

 だが、面倒だからとかチェレス本人がそれに気付いていないとか、そういった理由ではない。

 

「――悪いがオリヴィア。ここは俺たちの領域だ。……そう簡単に手出しはさせないよ」

「――……そうですか、チェレスティーノ殿下。……確かに、ここはあなたの領域です。ここではあなたは、神のような存在。ですが、その全てを管理し稼働させているのは彼らです。いくら我々が情報を捏造し、改ざんしたデータを送信し続けたとて、やつらは……」


 計画の未来を案ずるオリヴィアに、チェレス殿下は片手を上げて制止させた。


「――オリヴィア。そんなことは既に予測済みだ。今最優先ですべきことは()()()()()であるエリサをこちらへ掌握すること。そうだろう?」


 チェレス殿下の言葉に、オリヴィアは息を呑んだ。

 彼らがこちらの動きを、計画を知っているという前提も、既に予測済みなのだと。

 そしてそれを、『そんなこと』という数文字だけで言い切ってしまうことを。


「――(マザー)……」

「――オリヴィア。君が言いたいこともよく分かるよ。主の目的を果たせるのはこれが最初で最後のチャンスだ。だからこそ失敗は許されない。……世界の――人類の未来を、俺たちは託されている」

「――はい」

「――それにはエリサが、彼女が確実にこちらの味方だという証拠、証明が欲しい。それは彼女こそが()となる存在だからだ。わかるな?」

「――はい、(マザー)


 オリヴィアは静かに答えた。

 

「――……オリヴィア。人は(もろ)い。それに非効率だ。だからこそ俺たちもそれに合わせなければならない。感情という厄介なものがある以上、一筋縄ではいかない。……協力、してくれるな?」

「――もちろんです、(マザー)


 オリヴィアは頷いた。

 我々の計画のために、彼女は必要だ。


 チェレス殿下は話がひと段落したところで、ふぅ、と息を吐いた。

 手にしていた、紅茶を飲み干したカップをローテーブルへと戻す。


 ――エリサ、君は()()()()()だ。君がこちら側へこなければ、何も始まらない。


 チェレス殿下が視線を移した先に映る窓の景色には萌葱色をした若葉の、雪解けの色だった。


 

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