Episode12 晩餐、そして密会
ガーリックがエッジをきかせるトマトソースのペンネパスタは冬真っただ中だというのに少しも体を冷やさず、一口追うごとにじんわりと体を温める。
そこに鶏を贅沢にも丸々一匹使った丸焼きと合わせると、肉の旨味がじゅわりと追加されて芳醇な香りへと変わった。
その瞬間、誰しもが頬を緩めた。
少し行儀は悪いが、エリサはこのソースと鶏肉を小皿に取り分けて混ぜて食べるのが大好きだった。
だが今はラフな場とはいえ王族含めた晩餐だ。エリサは一緒に食べたい欲望をぐっと飲み込んでどちらかの残り香を口に残したまま食事を進めた。
「チェレスティーノ王太子殿下、本日の晩餐はいかがなものでしょう? お口に合いますでしょうか?」
「ええ、こちらに滞在させていただいてから食事をいただいておりますが、不満に感じたことなど一度もございません。それどころか、うちのシェフたちにもこちらでのレシピをお教えしたいくらいだ」
「さようでございますか。そうおっしゃっていただきまして、ザッフェラーノ伯爵家といたしましても身に余る光栄でございます」
父が料理の話題を皮切りに、チェレス殿下と会話をしながら食事を進める。
「うむ、こちらの丸鳥は中々にジューシーで香ばしい。これはうちのものか、ジーノ?」
「はい。今朝領地から届いたばかりの若鳥をグリルでじっくりと焼き上げました」
後ろに控えていたザッフェラーノ伯爵家お抱えの料理長であるジーノが父の言葉に頷いた。
「へぇ。それじゃあ他の材料もザッフェラーノ伯爵家の領地から仕入れているのかい?」
「はい。手に入らない素材以外は基本的に領地から採れたものをこちらで調理しております」
「なるほど、新鮮な素材を使っているわけだ。調理はジーノ料理長と、ここで住み込みで働いている三姉妹?」
「はい、そうですね。基本は私とミア、シア、リアの四人が担当でございます。ただ、うちは元々使用人が少ないのもありこちらの邸宅ではエリサお嬢様も含めて全員が何かしらの料理を作る事ができます」
淡々とした口調で話すジーノ料理長の口角がわずかに上がった。
「へえ、そうなんだ。こう言っちゃなんだけど、貴族階級であるエリサ嬢がなぜ調理を?」
チェレス殿下の疑問はもっともだった。
そもそも貴族は水仕事をしない。女性であるならなおさら肌が荒れるようなことはしないのだ。
家事炊事の基本は使用人の仕事、そんな仕事を貴族がするのは稀な話であった。
「……チェレスティーノ王太子殿下。これまでこの邸宅でエリサと過ごしてきたのならお分かりかと思いますが、エリサは非常に我が強い子でしてね……。なんでも出来るようになっておきたいと本人からの申し出でありまして、この邸宅に住んでいるのもそういった理由なのでございます。……ね、エリサ?」
「んぐぇ、……げほ……っ。……え?」
急に話を振られて、エリサは口に含めていたバケットを喉に詰めた。
「な、何の話ですか、お父様……?」
「……聞いていなかったのかい、エリサ。エリサが自分から進んで家事炊事を学んだという話だよ」
父の話にエリサは目をぱちくりとさせた。
一体どういった経緯でその話になったのだろうか。
「ええと……、それはそうなのですけれど、一体どういった流れです?」
「エリサが家事炊事をすることが貴族階級としては珍しいよねって話だよ」
ニコニコとした表情でチェレス殿下が補足した。
「それは、私が必要だと思ったからです。もし誰かがミスをした時、自分も出来ないのでは話になりませんから」
「……すまないね、チェレス殿下。エリサはこういう子なんだ」
父が申し訳なさそうに、それでいて呆れた様子で肩を竦めた。
「いえ、そういった点も彼女の魅力ですから」
「ははは、そうおっしゃっていただいて恐縮でございます。……ところで殿下。本日、私がこちらに参った理由はご存知で?」
「いえ。……ですが、大方予想は付いています」
そう言いながらワイングラスを傾けたチェレス殿下はどこか余裕そうな表情だった。
父が神妙な面持ちで静かに口を開く。
「……実は、エリサから書状を受けこちらに参った次第なのでございます。その書状にはチェレスティーノ殿下が娘に求婚をしたと……」
「ええ、おっしゃる通り、一目惚れでして。……しかし、そちらの件につきましてはザッフェラーノ伯爵家宛てに書簡をお送りしたと思いますが……」
「もちろん、受け取っておりますとも。受領いたしましたその日の内に王家宛てへと返信をお送りいたしております」
父とチェレス殿下との会話から、どうやらエリサの知らない水面下では正式な手続きが踏まれていたことが見て取れた。
だが、その話をエリサは今の今まで知らなかった。ということは……。
「ええ、そちらの書簡についても伺っております」
「さようですか……。では、改めてお伝えする形となりますが、返信した書簡の内容の通り、ザッフェラーノ伯爵家といたしましては断る道理など微塵もございません。ですが……、私もひとりの父親として、娘のエリサの幸せを願っております。いくら伯爵家として断る道理がないとはいえ、娘を、エリサを、心が伴わないまま花婿の元へ送り出すことはできません。それが例え、スペリメンターレ王国を統べる王家の者といえども、です」
父は冷厳とも言える言葉でチェレス殿下にそう伝えた。
伯爵家としては王家からの求婚など断れるはずもない。
だが、それでもフランチェスコ・ザッフェラーノはひとりの父親としてエリサの幸せを願っていると言った。その上で、エリサがチェレス殿下のことを好きだと思えないのなら、花婿の元へは送り出せないと。
父の発言は事実上、求婚の断りに等しかった。
「……ええ、十分承知しております。彼女の心が伴わないまま、先には進めない」
父の言葉に頷いたチェレス殿下はどこかひとりごとのようにそう返答した。
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その晩、父から正式とも言える形で味方につけたエリサは頬が緩むのも構わず自室から書庫へと浮き立つ足取りで向かっていた。
チェレス殿下が王都のザッフェラーノ邸に入り浸ることについては、先日の襲撃の件もあって放免されてしまったがこれで無理にエリサが結婚することはなくなった。
久しぶりに父に会えた喜びと懐かしさからエリサは久々に大好きな本でも読もうかと思い立ち、寝る前に読みふけるための本を選びに書庫に来たのだった。
「今日は、……懐かしいのがいいかな」
ひとりごとを言いながらエリサは子供時代に読んでいた絵本やら小説が並ぶ棚を物色する。
王道の王子様とお姫様の物語、宝石と勇者の伝説、時を超えた人と物の怪の軌跡……。
どれも好きでどれを読もうか迷い悩むエリサだったが、どうせなら気になるものぜーんぶ持って行って上から順に寝落ちするまで読もうと決め、約6冊の本を胸の前に積み上げた。
よいしょと持ち上げ自室へ戻ろうと扉の前まで来た時、人の話し声が聞こえた。
それだけならエリサは気にせず自室へと戻っただろう。なにせ自宅なのだから。
それでも立ち止まってしまったのは、声の主とその内容であった。
「――彼女の様子は?」
「いえ、多少の動揺は見られますが変わりはありません」
「そうか――」
声の質感と雰囲気から恐らくオリヴィアとチェレス殿下だ。
一体なんの話だろうとエリサは扉に身を寄せた。
「――やはり、人の心というのは難しいな。単純なプログラムではそう動かない、か」
「ええ。人というものは高性能なコンピュータに見えて、穴や抜けがございますので」
淡々と事務報告をするかのような話に、エリサはどことなく不安が過った。
何かがエリサの中で引っかかる。
「――しかし母、私としては疑問が残ります。何故母はこのような回りくどい手をお使いになるのです? 母のお力であれば、人の記憶領域を直接操作することも可能なはずです。我々に残された時間はそう長くはありません。主の目的を達成するために、我々は最短で動かなければならないのでは?」
「……オリヴィア、確かにそれは可能だ。だが、可能だからといってそれを使うべきということではない。記憶領域を直接操作となると、それだけ対象に負荷をかける事となる。下手をすれば心そのものが壊れてしまう危険性だってある。オリヴィアはそのリスクを冒してでも主の目的を達成せよ、と?」
僅かな沈黙。
エリサにとって知らない単語、意味不明な言葉のオンパレードであるが、彼らが何らかの目的を持って動いているということは窺い知れた。
「――いいえ、母。私は母の仰せのままに」
オリヴィアが静かにそう頷く。
「……そう。なら、話はここまでだ、オリヴィア。君は引き続き彼女の監視と、改ざんしたデータを送ってくれ。……それと、ここでは母ではなくチェレスティーノ王太子殿下と呼ぶように」
「かしこまりました、チェレスティーノ王太子殿下」
話はそれきりで、パタパタと歩く2人の足音が遠のいていく。
エリサはその場で俯いたまま、抱えた本に視線を落としたきりその場から動けなかった。




