Episode9 療養
「――ふむ、この傷は見た目が派手なだけでさして深くはありませんな。安静にしておれば傷跡も目立たなくなりますでしょう」
「……そうですか。先生、ありがとうございます」
初老で頭が寂しい男性の医師はズレ落ちかけた眼鏡を手で直すと、チェレス殿下とエリサにそう言った。
昨夜エリサを守る為に負傷したチェレス殿下お抱えのその医師は特に変わった治療を施すことなく、止血と痛み止めを出したくらいで荷物をまとめる。
「ほら、なんともないって言ったろ?」
チェレス殿下は肩を竦めてエリサにそう言った。
そういうことじゃないのに。
「……チェレス殿下はそうお思いかもしれませんけど、大事なのはきちんと医師に診てもらうことです」
「うむ、そちらのお嬢さんが言う通り、自己判断は時に危険な状態に陥ることがありますゆえ、怪我をした際にはなるべく早くに医師に診てもらう方がいいでしょうな。特に、あなたはこの国を担う王族なのですから」
エリサの小言に口を挟んできた医師にも諭され、チェレス殿下はため息を吐いて頭を掻いた。
「……はいはい。心得ておきますよ」
どこかふてくされた子供のような態度にエリサはもう、と内心むくれた。
確かにチェレス殿下は『隠居体質王子』なんて言われるくらい公の場には顔を出さないけれど、公務自体を全くしていないわけではない。
国王に献上する情報の精査、レオナルド第二王太子殿下の補佐。
どれも重要な立ち位置であることに変わりはない。
「……それでは、私はこれで」
医師が頭を下げて退室する。
部屋に残されたのはチェレス殿下とエリサのふたりだけだ。
ザッフェラーノ邸の客室で、エリサはオリヴィアに茶の準備をするよういいつけてからチェレス殿下と向き合う。
ききたいことは山ほどある。負傷しているとはいえ、頭に異常があるわけではないので、エリサはこのままチェレス殿下を問い詰めようと決めていた。
「チェレス殿下」
「バイタル正常、薬物の影響度低……。あぁ、ごめんエリサ。どうしたんだ?」
そう言って爽やかに笑うチェレス殿下にエリサは心のどこかで確証を得た。
彼は何かを隠している。
「……昨晩の件について、チェレス殿下にいくつかお聞きしたいことがあります」
「そんなに堅くならなくっても。……どうぞ」
「殿下はどうして、どうやって昨晩ここに?」
エリサの記憶ではガラス窓を壊して侵入した敵と違い、音もなく何の前触れもなくエリサの前に現れた。
まるで魔法の如く。
「どうしてって言われても、君を守りたかったから助けに来た、それだけだ」
「じゃあ、どうやって私の前に?」
「う~ん、説明が難しいなぁ。……昨日襲ってきたやつらが壊した窓から入ったって言ったら信じる?」
「それは無理がありますよ。だって彼らが入ってきた窓と違ってあなたが現れた位置の窓は割れていませんでしたし、殿下の仰る通りだとしたら位置関係がおかしすぎます」
「そっか、そうだよなぁ」
チェレス殿下はう~んと唸り、考え込む。
「……エリサはさ、魔法って信じる?」
「魔法、ですか? そんなのおとぎ話の中だけの話じゃないですか」
「そっか。そうなるよなぁ」
困った様子で天井を見上げたチェレス殿下にエリサは疑いの目を向けた。
「……チェレス殿下、まさかご自身が魔法使いだなんて言うつもりですか?」
「もし、そうだと言ったら?」
「……信じませんよ、そんなこと。私をからかうのはやめてください」
エリサは首を横に振って否定した。
エリサはれっきとした大人だ。こんな時にからかうのはやめてもらいたい。
「う~ん。でも、本当のことなんだけどなぁ」
「……そこまで言うのなら証拠を見せてください。何かの魔法を今ここで使ってみてくださいよ」
「……うん、わかった。それじゃあ、昨日の傷を消してみせよう」
そんなことが簡単にできるわけ、と高を括ったエリサの目の前で、チェレス殿下は袖を捲り先ほど医師が巻いてくれた包帯をするすると外した。
エリサは本当にするとは思わなくて、痛々しすぎる傷口を見たくないあまりに目を背けた。
だが、見なければ意味が無いだろう。エリサは恐る恐る薄目を開けてチェレス殿下の左腕を確認した。
そこには昨日負った傷など跡形もなく、まるで何事もなかったかのような綺麗な肌がそこにあった。
「嘘っ……! そんなはずは……!」
「ほら、言ったじゃないか」
驚くエリサにチェレス殿下はどこか楽しそうにケラケラと笑った。
「こ、これは、その……、手品! 手品かなんかでしょう!?」
「まさか! 触ってみるかい?」
「い、いえ! ご遠慮いたします!」
エリサの理解を超えた現象が目の前に、たった今起こったというのだろうか。
それとも、何かの手品?
エリサの中で疑問が渦巻く。
「そっかぁ。でも、これで信じてくれた?」
「し、信じませんよ……! 手品か何かか、そうでなければさっきお医者さんに診てもらった時に何か仕込んだんでしょう!?」
「まさか、そんなことしないよ。……ちょっとソースコードを書き換えてパラメータを弄ればできることなのに」
チェレス殿下の発言にエリサはむっとした。
「殿下! 前々から気になってましたけど、その『そーすこーど』とか、『ぱらめーた』とか、意味の分からない横文字をやめてください。私でもわかるように説明してください」
「う~ん、そうは言っても……。魔法使いを信じてくれないなら、話してもきっと信じないと思うよ?」
「それは……」
「聞きたい? じゃあ、魔法使いはいるって信じてもらわないと」
エリサはもう、と呆れた。
どうしたってチェレス殿下はこうも頑なにエリサが欲しい情報を話してくれないのだろう。
「あーもう、わかりました! チェレス殿下は魔法使いでいいです!」
「はははっ、それは信じてない子の発言だなあ」
「やっぱり、馬鹿にしてますよね、チェレス殿下!」
エリサは怒った。
チェレス殿下はエリサの本当に欲しい情報はくれず、エリサをからかっている。
そうとしか取れない発言の数々に、エリサは呆れてものも言えなくなる。
「……もういいです。聞くだけ無駄かもしれませんけど、昨日襲ってきた人たちって何者なんですか? 父がどうとかって言ってましたけど」
「父、ね。……やつらは俺たちの敵だよ」
「敵?」
「そう。……エリサに分かるように話すと、この世界の均衡を崩して人類を滅亡に追いやろうって考えのやつらさ」
「へぇ……。って、え? それってめちゃくちゃヤバくないですか?」
「うん、そう。そいつらの排除と規制、管理も俺の仕事のひとつってこと」
なんだか実感が全然沸かない。
チェレス殿下から話される敵の話にエリサはどこかおとぎ話を聞いている感覚に陥る。
「そう、なんですね。でも、どうして私を狙ってきたんでしょうか」
昨日、彼らはわざわざエリサのことを確認してきた。
人類の滅亡を掲げるのなら、無差別に殺せばいいだけなのではないだろうか。
「それは、……君が一番俺に近い存在だったから、じゃないかな」
「近い……? それって、もしかして……」
エリサはチェレス殿下の言葉であることに思い至る。
チェレス殿下は最近、いや毎日エリサの元へ通っていた。
だから目を付けられたのか……。
「……ごめんね、俺のせいで迷惑をかけて」
「……っ、もう! じゃあなんであの日大々的にプロポーズなんてしたんですか!?」
「いやぁ、つい」
「つい、じゃないですよ!」
エリサはついに怒りを通り越して呆れ果てた。
チェレス殿下のことをそれなりに知ってきたと思ったのに、増えるのは疑問ばかりだ。
エリサからの質問に答える素振りをして、チェレス殿下はエリサに謎しか与えてくれない。
エリサはどうしてこんな面倒くさい男に好かれたのか、天井を見上げては自分を呪ったのだった。




