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君と熟れた夏  作者: 小坂あと
前編

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第9話「キスは、ダメ」









 清楚な唇から発せられる想いは、きっと清純なものなんだろう。


 一方で、自分が抱いているのはまるで正反対な、誠実とは程遠い薄汚れた感情だから、同じ温度を返せなかった。


 真っ白なワンピースに、真っ白な下着。預かったそれらを洗濯ネットに入れて、洗濯機の中へ放り込んだ。柔軟剤は、お小遣いで買ったアレを使った。


「乾くまで、けっこうかかるかも。帰り、時間とか大丈夫?」

「うん。…平気だよ」

「そっか」


 部屋に戻り、人の布団の上にちょこんと座って待っていた、意外と遠慮がない相手に声を掛ける。


 服は私の物を貸したけど……失敗だったな。


「サイズ、きつくない?」

「う、うーん……ちょっと。胸の、とこが」


 小柄な自分の服じゃ、彼女には小さすぎたみたいだ。


 困った顔で胸元に手を置いた篠原さんの、ピンと張った布部分に自然と目が行って、勘付かれないよう静かに逸らす。


 なんか今日、だめだ。


 変なこと、考えちゃうな。


「しのしの……意外と身長高いよね」

「そ、そう?」

「うん。胸もデカいし」


 話を変えようとしたのに、結局はそこに辿り着いてしまった。


 自分から話題に出しといて、後悔して吐息する。立てた膝に両腕を乗せ、項垂れた私に篠原さんは困惑しているみたいだった。


「た、確かに……大きい方、かも」

「だよね」

「小学校から、けっこう。周りより大きくて、よくからかわれてたな…」

「そうなんだ」


 今も、同年代の子に比べたらかなり差がある方だと思う。


 物静かな性格に似合わず、爆弾を抱えている篠原さんはチグハグなようで、整っている。清廉な大人の女、って感じ。


 少なくとも、体つきは大人顔負け。だからこそ、クラスの男子は寄ってたかって甘い蜜を吸おうと必死だったんだろうな。


 嫌だな。


 他のやつに、汚されんの。


「……恋愛の、話さ」


 唐突に切り出したからか、緊張と警戒で僅かに表情を引きつらせた篠原さんを見ていられなくて、俯く。


 嫉妬心が背中を押すきっかけになった状態で伝えるのは、なんとなく気が引けるけど。


 心残りを、作りたくはなくて。


 それに、中心に宿っているのは、


「私で、よければ……」


 君と、純愛してみたい。


 ただ、純粋に、純情に。


 篠原さんとなら、できると確信を持ってたんだ。根拠もなく。


「付き合って、くれない?」


 拙い、照れたお願いに、彼女は涙で潤んだ笑顔を見せた。


「うん。……うれしい」


 私の手を握り、微笑む。それだけなのに、心臓が痛いくらい締め付けられた。


 どうしてか、懐かしい感じがするんだ。


 君を見てると。


 過去にも、私は同じ想いを抱えていた錯覚に陥る。


『……ちゃん!』


 誰、だっけ。


「夕夏ちゃん…」


 揃えた指先が膝に添えられ、甘えた声が私の名前を呼ぶ。


 無意識の欲望が首を伸ばして顔を近付け、触れる前になんとか意識的な理性が動きを止めた。


 そうだ。キスは、しちゃいけないんだった。


「だめだよ」


 相手も期待しているかは分からない。無自覚かもしれない。でも、誘惑に抗えるほどの強さを持ち合わせてないから、先に釘を打っておいた。


 頬を触り、親指の腹で唇の窪みをなぞる。


「キスも、セックスも無しだよ」

「……うん」


 きゅ、と力がこもった柔さに、心拍は脈打ち高まった。


 純潔を守りたい庇護と、他の奴らとは違うなんて浅ましい意地のみで、耐える。


「くっつくのは……いい?」


 おそるおそる確認してきた相手に「うん」と短く答えると、脇の下に腕が通って、服を引っ張られる感覚がした。


 “いいにおい”以外に表現する言葉が見つからないくらい心地のいい香りが鼻孔いっぱいに広がり、黒い髪に口元をうずめると汗のせいか少し湿っていた。


 布をまとう体温が、夏の気温と混ざる。


 外気の方が涼しいくらいで、クーラーはもはや意味を成してなかった。


「すき。夕夏ちゃん」

「……うん」


 澄んだ声で、幼い口調で、言わないで。


 心の汚濁が、みすぼらしく浮き彫りになるから。


 清らかなその唇を、艶かしく奪いたくなる。


「篠原さん…」


 ごめんね、と。


 脳内には謝罪が反響し、渇望の欠片が耳の端を挟む行為として表へ顔を出す。


 触れた途端、ピクンと反応した篠原さんが、私の体へさらに深く沈み、服を握る手の力も強まっていた。


「っ、くす……ぐったい、よ」

「ん……?なに、が」

「……ん、んーん。なんでも、ない」


 知らないフリ、何もないフリをしてくれた彼女は、試しに舌先を這わせてみても、ふるふると体を震わせるだけに留めた。


 呼吸が荒れる。相手も、自分も。


 鼻の奥で息を止めた篠原さんの喉から、「ぅ……んっ」と艶のある音が漏れた。


 明らかに“くすぐったい”だけじゃない音の響きに、バクバクとうるさい心音が内側から鼓膜を叩く。窓の外から入り込む蝉時雨なんて、とうに聞こえなくなっていた。


「篠原さん…」


 呼びかけに応じて上がった顔は赤く、汗も滴っていた。


「夕夏、ちゃ…ん」


 期待に揺れる。


 キスは、だめ。キスはだめ、と。


 何度も言い聞かせる。


「く、ち…」

「ん……?」

「口以外も、だめ……?」


 多分、良くない。


 だけど、抜け道を望んでいた私達にとって、篠原さんの提案は砂漠に現れたオアシスのような救いの手で。


 汗ばんだ額に唇を押し当てたら、相手も私の顎や頬を包み持って、控えめなリップ音を奏でてお返ししてきた。


 口は、だめ。口はだめ。


 暗示の内容は変わっても、次々と湧いて出てくる衝動の濃さは変えられない。


「詩乃ちゃ…」


 あと一歩で、間違いを犯しそうになった時、


「夕夏〜!あんた、洗濯回した?もう終わって…」


 邪魔者でもあり、救世主の登場によってふたりの距離は大幅に離れた。


「い、今行く!行くから入ってくんな」


 扉が開く前に立ち上がって、部屋を飛び出す。


 危なかった。


 と、本気で安堵したのは内緒だ。


 

 


 

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