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君と熟れた夏  作者: 小坂あと
前編

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8/19

第8話「夢に見るくらい」











 キスされるかと思った。


 夕夏ちゃんの距離感が近いせいで、期待してはドキドキして、何もなくて家に帰ってからモヤモヤする。かれこれ数日、繰り返してる。


 キスとかない恋愛って言った手前、欲望全開で接するわけにもいかなくて――部屋でひとりの時に、コソコソと発散させる。


 ごめんなさい、夕夏ちゃん。


 私、本当は……興味津々で。


 あなたとの情事を夢に見るくらい、してみたくて。


「っ……――」


 毎晩、親に悟られないよう息を殺してまで。


 騙してるみたいで、後ろめたくなる。夕夏ちゃんが望んでるのは綺麗な恋だって、分かってるのに。


 私は、こんなにも醜い。


 汚れた手を見下ろして、重い体を起き上がらせた。心許ない薄い紙を数枚取り、証拠隠滅するみたいに丁寧に拭っていく。


「今日は、川行こ。ゲームばっかも飽きるからさ」

「うん…」


 バイトも何もない日、夕夏ちゃんの家に来たら、外へと連れ出してくれた。


 昨日まであんなに濡れていた、今は乾ききった手を引いて歩く彼女は爽快感を全身で表現していて、夏がよく似合う少女だった。


 変わらない。あの頃から。


「お気に入りの小川があるんだ」

「知ってる」

「え。そんな有名スポットじゃないはずなんだけど」


 彼女は覚えていないかもだけど、私はいつまでも忘れない。


 忘れられない思い出の地を訪れる。田んぼの新緑と山の深緑に囲まれた中にある水路は透き通り、石や草が生えた底が見えた。


「あ。メダカ」

「あれは違うよ。フナの稚魚じゃないかな」

「そうなの?」

「多分ね。詳しいことは分からん」


 言いながら「よっ」と川へ飛び降りた夕夏ちゃんは、濡れるのも構わず合わせた両手のひらで水を掬う。


「ここの水、冷たいんだ!だから気に入ってる」


 夏の暑さを凌ぐには持ってこいの場所なんだろう。こちらを見上げ、笑いかけてくれた彼女は眩い陽射しに照らされているのに涼し気な雰囲気を醸し出していた。


 さすがに服が濡れたら母親に怒られちゃうから、コンクリートで出来た簡易的な橋の上にしゃがんで目を合わせた。


「気持ちよさそうね」

「しのしのもおいでよ!」

「ふふ。遠慮しとく」

「あとパンツ見えてるよ」

「やっ……うそ」

「ほんと」


 慌ててスカートの裾を押さえて隠した私にケラケラと喉を鳴らした夕夏ちゃんは、軽々自分の体を持ち上げて隣に座った。


「下着まで白なんだね」

「や、やだ……忘れて」

「別にいいじゃんか。女同士なんだし。なんも気にしないよ」

「……それはそれで複雑」


 動じちゃうのは私だけで、夕夏ちゃんは平然としている。


 当然と言えば当然なんだけど、乙女心的には何かあってほしかった。邪な期待ばかりが体を熱くして、外の気温なんてもうへっちゃら。私の抱く恋心の熱さには勝てない。


 でも、日光は体に毒だからと、鞄の中から折りたたみの傘を取り出した。


「夕夏ちゃんも、入る?」

「なんで傘?雨なんて降ってないけど」

「日傘だよ。日焼けすると、ヒリヒリして痛くなっちゃうから」

「へぇ。大変だね」

「うん」


 相合傘は、してくれなかった。


 入ってくれない素っ気なさに早くも心は折れかけるけど、会話がなくても、何もなくともこうしてそばにいられる幸せのおかげで立ち直れた。


 片想いとは時に、不幸にも幸福にもさせてくれる。


 日陰にいる私と、日向にいる彼女では、きっと見えている世界が違うんだろう。目を細め、空に手をかざした夕夏ちゃんは楽しそうに口角を伸ばしていた。


「気持ちいいなぁー……風が」

「……うん。そうだね」


 傘の向こうに広がる青を見上げて、同調する。


「でも、あっついわ」


 アイスクリームも瞬く間に溶けちゃいそうな温度の中、耐えきれずまた川へ下った夕夏ちゃんは、「お裾分け」と両手いっぱいの水を私の手にかけてくれた。


「冷たいね…」

「入ったら、もっと冷たくて涼しーよ」

「いいなぁ」

「おいでよ。服は後で洗濯してあげるからさ」

「でも…」

「いいから。一緒に濡れよう、詩乃ちゃん」


 手首を引かれ、傘が舞う。


 地面から浮いてしまった私の体を抱き止めてくれた夕夏ちゃんは華奢なのに勇ましく、不安感を取っ払ってくれる安心感に身も心も包まれた。


 水が跳ねては踊り、真っ白で穢れない服をいとも簡単に汚してくれる。


「っはは!びしょ濡れ」

「ふふ。もう……強引」

「嫌だった?」

「ううん」


 嬉しい。


 年頃の少女らしく、顔が崩れるのも構わず笑える時間の喜びを与えてくれるのは、いつだってあなただ。


 お尻をついた相手の足の間、最初からくっついていたのを良いことに背中へと手を回したら、冷えた手がくしゃくしゃに髪を濡らした。


 愛しさが、溢れ出る。


「すき」


 雑念の混じらない好意を、彼女はどう受け取ったんだろう。


「うん」


 同じ言葉は返ってこなかったけど、優しく細まった瞳の色が、教えてくれているような気もした。


 



 


 



 

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