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君と熟れた夏  作者: 小坂あと
前編

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第7話「彼女だけは、だめ」









 正味、性別とかどうだっていい。


 理想的な“恋”というものを体験できるのなら、相手は誰だってよかった。


 ただ……篠原さん。


 彼女だけは、だめだ。


「よろしくお願いします……っ!」

「助かるよ。ありがとね」

「はい!」


 あれから数日、うちの八百屋で働くことになった篠原さんの初出勤日。


 ハキハキと挨拶をした彼女は、普段下ろしている黒髪をひとつにまとめていて、清楚の中に爽やかさを足した見事なまでの美少女に変身した。


 緑色した色気のないエプロンさえ、彼女が着れば素敵なドレスに早変わりだ。


「基本的には、品出しやってもらいたいかな。分かんないことは夕夏に聞けば、代わりにやってくれるから」

「おいババア。私の仕事を増やすな」

「仲良い子の方が聞きやすいでしょ」

「そうだけど…」


 体良く、押し付けられた気がする。


 しぶしぶ篠原さんを連れて裏へ回り、在庫確認という名の盗み食い作業を教えた。形が著しく悪かったり、古くなっていたりして売り場に出せないものは廃棄か、大抵は家族で食べて処理する。


 この時期はスイカが豊富で、毎日のように食卓に出る。飽きつつある私と違って、篠原さんは大好きみたいだから。


 皮の表面に大きな傷が入った、とはいえ中身は無事だから“売れないけど食べられる代物”を見つけて、適当な棒で叩き割る。赤い果汁が飛び散るものの、どうせ後で掃除するからと放置した。


 服に付いたのは……うん。黙って洗濯機に入れとこう。


「はい、これ。食べていーよ」

「い、いいの……?」

「うん。どうせ売れん」


 母親も父親も、同じことをする。田舎特有の緩さを持つ親の背中を見て育ったもんだから、私も相当なんだろう。


 あまりの豪快さに、篠原さんはちょっと引いていた。


「殺菌とか、しないんだね」

「え?」

「うちは……ご飯、全部に消毒するの」

「は?食べ物にアルコールかけるってこと?」

「うん…」


 半ば冗談半分で笑ったのに、どうやら当たってしまったらしい。


 食べ物用の消毒液があることを知り、驚きと共に出てきた感想は「まずそう」だった。篠原さん曰く、味に違いはないそう。……たぶん。


 だから包丁も使わず用意されたスイカを食べることに抵抗があると思いきや、


「ふふ。いつもよりおいしい」


 わくわくしていた。


 ……かわいい。


 上品に大人びているようで、けっこう悪ガキみたいなお茶目さも持ち合わせているから、ギャップで心臓を掴まれる。


 こんなにも可愛い子に『恋愛してみない?』と誘われたことが未だ信じられないくらい光栄だが、こんなにも可愛い子だからこそ怖気づく。


 綺麗なものは、綺麗なままいてほしい。


 お気に入りの小川が台風の後、泥水みたいな色に染まって濁流が起きていたのを見た時、悲しんだ気持ちと同じで。


 一度穢されたら、二度と戻らないかもしれない。小川は数日経ったらまた濁りなく流れていたけど。


 泳いでいたメダカ達は、もう――


「篠原さ」

「ちょっと!」


 怒声に近い声色に、ビクリと篠原さんの肩が跳ねた。


「食べるのはいいけど、ちゃんと仕事しなさい!」

「は……っはい。ごめんなさい」

「まったく。夕夏はおサボり魔だから。……詩乃ちゃん、真似しちゃだめだかんね」


 必死に首を縦に振る彼女が可哀想で、通り雨より鬱陶しい母が立ち去った後、そばにしゃがみこんで頭を撫でた。


 触れても嫌がらないどころか、照れくさそうに頬を緩ませる彼女は、いったい何を考えてあの告白をしてきたんだろう。


 キスも、セックスもない恋愛。


 ――むりだよ。


 だって、すでに私は、篠原さんとキスしてみたい。


 その唇に触れたらどうなるのかと、好奇心で胸が疼く。


 この腐った田舎で、だるい人間関係に囲まれ生まれ育った私に、“綺麗な恋愛”なんてそもそも出来ない。だって、肉欲の愛しか知らないから。


 私は、汚いから。


「……戻ろ」


 店に出ようと篠原さんの手を引いて、


「新しくバイト雇ったんだって?」


 近所のおばちゃんの声が聞こえて、足を止める。


 長いのれん越しに覗けば、噂好きのババア共が今日も今日とて他人の噂話に花を咲かせる。


「あそこの子だっぺ?……ほら。あの」

「あぁ……娘さん、病弱なんだべ?大丈夫なんか?」

「そりゃ、あんな育て方してたら病弱にもなんべ」

「だーかーら。昔からおかしいんだっぺよ。お母さんが几帳面っていうかさ。ねぇ?」

「そんだらこんな田舎来なきゃいいのに」

「ほんとよぉ。怪我だってさせて…」

「しっ!その話は。しないで、本人に聞かれたら困るから」


 途中から、聞かせないようそっと耳を塞いだ。


 小首を傾げた篠原さんは何も知らない無垢な顔をしていて、さらに良心は痛む。


 母親も話に加担していたのが、どうにも憎くて。


 だけど、これが当たり前の日常で。


「……ごめん」


 ちっぽけな私は、ただただ抱き寄せて、謝ることしかできなかった。





 

 

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