第36話「ただ一人の女の子」
周囲の人間は、ザワついていた。
ただでさえ狭い神社の空き地、スピーカーからは音が割れるほどの音量で音頭が響き渡っていたとはいえ、近くにいた人間には聞こえてしまうほどの怒声。
痴話喧嘩か?女同士なのに?と訝しげな視線が集まる中、
「友達とだって、喧嘩することあんべ」
後輩が、さり気ない助け舟を出してくれた。
おかげで変な誤解は立ちそうになかったものの、そんなん気にしてる余裕もなく、詩乃ちゃんを追いかけて走った。
体が弱く運動不足がちな上、今日は浴衣姿の彼女に、毎日のように走り回って遊ぶ健康児であり、さらには半袖短パンという動きやすさこの上ない格好をした私が追いつかない方が難しく、案外すぐに背中が見えた。
「詩乃ちゃん!まってよ」
「っはなして!」
「離すかよ!ふざけんな」
振りほどこうとしてきた手首を掴み持って、必死のあまり汚い言葉使いで接してしまった。
詩乃ちゃんに対しては初めてのことで、彼女もまさか暴言を吐かれるとは思っていなかったんだろう。見開いた瞳には涙が溜まっていく。
「ぁ……ご、ごめんっ!今のは…」
「うれしい…」
「えぇ……?」
まさかの嬉し泣きかい、とツッコミそうになった口を噤む。
「な、なんで、嬉しがってんの」
「だって……夕夏ちゃん、いつも優しいから」
「それの、何がだめだった?」
「だめじゃない。だめじゃ、ないけど」
「けど?」
俯いて顔を覆い隠した詩乃ちゃんは、グスグスと鼻をすすり、言葉にできないもどかしさで喉を鳴らしていた。
焦らず、待つ。彼女の本心を、全てを知りたいから。
「優しくされると、つらい……の」
「え。ごめん」
「ううん。ちがくて。それ自体が嫌なんじゃ、なくて」
泣いていても整理して話せるのは、やっぱり頭が良いんだと、呑気に感心する。
思えば、いつも詩乃ちゃんは知的だった。
感情的なように見えて冷静で、勉強も嫌いというわりに得意で、物事をたくさんの視点から捉えているような、頭の良い子で。
だからこそ、考えすぎてしんどくなっちゃったんだ。
「私も、優しくしなきゃ、夕夏ちゃんみたいに、心が広くなきゃ……って」
何も考えてなかった私も、追い詰めちゃってたんだ。
「周りと違って田舎で育ってないから、特別に見えるかもだけど……私は、私だってただの人間なの。綺麗じゃないし、純情でもないの。いっぱい嫉妬もするし、怒っちゃうの」
分かってる。……って、思い込んでた。
何も、分かってなかった。
詩乃ちゃんの、言う通りだ。
今、目の前で泣いているのは、田舎とか都会とか関係ない。ただの、ひとりの女の子だったのに。
「ごめん」
バカで。
「ごめんね」
気付なかった、今の今まで。
君が、ありとあらゆることを気にして生きてきたこと。孤独を生み出す疎外感と戦っていたこと、私の愛や親切心に、精一杯応えようとしてくれてたこと。
「これからは、いっぱい怒って」
「……やだ。私ばっかり」
「私も怒るから」
「じゃあ、今なんか怒ってみてよ」
そう言われると、困る。特に何も浮かんでこないから。
あ。いや、あったな。
「詩乃ちゃんのせいで、ホテル行けなかった」
あそこで気兼ねなく欲を解放できてたら、下心が頭の中心じゃなくて片隅に追いやられ、詩乃ちゃんを見るたびムラムラしなくて済んだのに。
「それは……ごめんなさい」
「ほんとだよ。地味にきついんだかんね、今」
「……する?」
「どこで?」
したくても場所がないじゃんか、と肩を竦めたら、綺麗にケアされた細い指が服を握った。
去年より僅かではあるものの、私より目線が低くなった詩乃ちゃんを見下ろしたら、可愛らしい上目遣いが返ってきた。
頬は熟れ、果汁が滲む。
「あ、あし……た」
どうやら、今日はおあずけらしい、
「私も、夕夏ちゃんも……バイト、お休みだから」
「うん。それで?」
「……もう一回、行こ」
恥ずかしいのか、その先は瞼が下ろされ、潤んだ瞳が隠された。
「次は、私服にする……から」
やらしい改善案に、心音は呼応する。
純愛と呼ぶには、ひどく熱烈すぎるかもしれない激情を抱えて――翌日。
「夕夏ちゃん…」
「ん……?」
「今日は、優しくしないで」
「……うん」
無事に見つけたオアシスで、ふたりきり。
初めて入る室内のレイアウトや機能なんてそっちのけで、心ゆくまで愉しんだ。




