第25話「君と熟れた、夏」
「もう、諦めな」
母親に、説得された。
「話が通じないんだよ、あの人」
だから村の人達からも厄介者扱いされていると、ため息まじりに説明された。
そんなの、知らない。私達には関係ない。
けど、どうすることもできない。
「……ブロックされたかな」
いくつか電波に乗せた想いも、相手には届かなかった。物理的にも、心理的にも、距離を置かれたみたいだ。
詩乃ちゃんが望んだことじゃない、あの母親がそうさせたことだと頭で理解しているのに、捨てられた気分で不貞腐れた。
人生の全てが、どうでもよくなってしまった。
『ゆうかちゃん……またね』
畳の上に投げ出された体の中には、彼女とのたくさんの思い出が刻まれていた。
『また、絶対に戻ってくるから』
手を取り合い笑った、過去があった。
離れても、再び会えると信じていた未来があった。
手を繋ぎ合い、照れ笑った今はもう無い。
遠く、遠くでカラスの鳴き声が反響する。清々しいほどの青は、気が付けばオレンジ色に染まり、薄紫がかり、暗闇に沈んでいく。
そしてまた朝日は登り、日光の眩しさが部屋を照らす。
丸一日。
起き上がらなかったのは、初めてだ。
「夕夏ー、友達きたよ」
「……詩乃ちゃん?」
「違う」
「じゃあ、いい。断っといて」
「わかったけど……あんた、明日には学校始まるよ?いつまで拗ねてんの」
「すねてない」
絶望してる。
大人からすれば、この絶望さえ子供じみた“拗ね”なのかもしれないけど、私にとっては地獄に堕ちたも同然だ。
可愛い天使が堕天して、迎えに来てくれないかな。
「学校どーすんの。行くの」
「……言われなくてもちゃんと行くべな。ほっとけ、ババア」
「心配してんでしょうが」
「いらん。どうせなんもしてくんないじゃんか」
「してるよ〜。あんたの知らんとこで」
じゃあ、連れ戻してよ。詩乃ちゃんを、この村に。
悪態をつくのも面倒で、舌打ちをして寝返りを打った。母親の深い吐息が聞こえた後で、扉が閉まる音がする。
そういえば、課題やってない。
でも、いいや。どうせ毎年、終わらなくて怒られる。
『ゆうかちゃん、一緒に宿題やろ?』
詩乃ちゃんは真面目だから、よくプリントを持ってきて誘ってくれてた。
頭も良くて、特に数学と英語が得意で、都会では低学年でもう英語を学ぶんだって、自慢げで。誇らしげに張った胸元は、今とは違って真っ平らで。
すっかり膨らんだ豊満な感触を思い出して、自分の手のひらを見つめた。
いつから、あんな大人の女になっちゃったんだべ。
自分と同じ、いたいけな少女だったのに。
『夕夏ちゃ、ん……っすき』
艶っぽい声で泣くようになったのは、いつからなんだろう。
思春期の今でさえ魅惑の果実は甘くとろけそうなのに、本当の意味での大人になった時、彼女はどうなってしまうんだろう。
きっと私のことなんか忘れて、都会の男と付き合ったり、結婚したりするんかも。
子供が生まれたら、可愛いんだろうなぁ。
「あー……」
クソッタレ。
養豚場もびっくりな悪臭を撒き散らして喚いてやりたい。どうせ私は薄汚れたションベン臭い田舎者だよ、クソ野郎。
喉から勝手に悲鳴が漏れる。
腐り落ちて消えたかった。
『知ってる?梅って、この時期になると桃の匂いがすんの』
『へぇー…!そうなんだ』
『めっちゃうまそうだっけ、食べてみたことがあるんだ』
青梅から完熟梅へ色を変えた果実は、強烈な甘い香りで虫達をおびき寄せる。当時まだ小学生の私も、例に漏れず引き寄せられたうちのひとりだ。
『おいしかった?』
『いや〜。あんなん、食えたもんじゃねかったよ。だから誰も食わんで捨てんだべ』
ひとかじりして、後悔したことがある。渋くて、すっぱくて、とてもじゃないけど果物とは呼べなかった。
大きくなってから、梅の実には毒が含まれていることを知った。
詩乃ちゃんも、似ている。
熟れて、いいにおいがするからと近付いて食べたら、痛い目に遭う。毒は体を蝕み、気力を奪う。
だけど、どうしようもなく甘そうで、心惹かれるんだ。
『ふふ。夕夏ちゃんは、すごいね』
『すごい?』
『うん。なんでも口に入れちゃうの、赤ちゃんみたい』
『……褒めてる?』
『かわいくて、すき』
いつまでも、私ばっかりクソガキみたいで、嫌になっちゃうな。
詩乃ちゃんと、成長したかったな。
彼女と、歩んでいきたかった。
「あの転校生、なんだったん?」
「来ないけど、なんかあったん?」
「また転校したらしいよ」
「え〜!なんでなん?」
「あれだべ?妊娠したとか」
「まじで!?まぁでも、男好きそうな見た目だったもんな」
「男も好きだべな、あれは。えろかったもん」
「そんで都内戻ったんだ……都会の女はやべえな」
学校では好き勝手、胸糞悪い噂が広まっていた。
「夕夏、お前なんか知らねえの。仲良かっただろ」
「知らんよ」
「祭り、一緒に来てたべ」
「たまたま。親同士が仲良かっただけだよ」
私は、知らんフリをする。相手にしてたら、キリがないから。
村の奴ら全員、殺しちゃうから。
どうせ、風の噂は何ヶ月も持たない。残暑も無くなる頃には、みんな忘れてる。
私だけが、いつまでも覚えている。
君と過ごした夏を。
君と熟れた、夏を。




