第2話「都会からの侵略者」
私の住む村は山と海に囲まれた自然豊かな地域で、第一次産業が盛んだ。……というより、それしか栄えてない。
近所の人はだいたい農家。あるいは漁業をしている。うちは、しがない八百屋だ。父と母の共同経営で、私と弟ふたりのため日々働いて家計を支えている。
「夕夏〜、ダラダラしてるなら手伝いな」
「ごめん!この後、約束あるから」
「そんなこと言って……ザリガニ釣りに行くだけでしょうが」
「泥抜きすれば晩御飯になるからいいじゃん」
「食べません。……食べちゃだめだかんね。てか、天気悪くなる日は川行くなよ!絶対に!」
「はーい」
高校生にもなって、小学生みたいな遊びばかりしている私を、母は心配と安心の狭間で見守る。
放任主義な親のありがたみにも気付かず、昼過ぎにサンダルのかかとを整えて外へ出た。今日も今日とて、服装は半袖に短パン。
鎖骨辺りまで伸びた髪は、暑いから後ろでひとつ結びにした。
向かう先は、あのバス停。
そういえば待ち合わせの時間、決めてなかったけど……篠原さん、大丈夫かな。何時くらいに来るんだろ。
「あ……」
待ちながら、スマホゲーでもやろうと思っていた私の考えは、目的の場所に着いて変わる。
夏の青さの中。
黒く艷やかな髪がそよぎ、美白を覆う繊維質な白がなびく。
影が生み出すコントラストが、一際彼女の儚さを際立たせ、読書する姿ひとつ取っても絵画に宿っているような美しさだった。
現実味がない。
この世に、存在しているかも危うい。
「……もう来てたんだ」
「あ。空木さん…」
浮ついた心臓は、声を掛けて反応してくれた相手によって地に足がつくようで、さらに浮かび上がる。
「何時に待ち合わせか分からなかったので……朝から、ここで」
「朝から?暑かったでしょ」
「風が気持ちよかったです。……良い天気ですね」
本を閉じ、私に笑いかけた後で天を仰いだ横顔の眩しさに、自然と瞼が下がる。
ほんのり伝う汗が唯一、彼女が人間であることを教えてくれていた。
「……これ。使って」
昨日、貸してもらったハンカチを我が物顔で差し出したら、意図を理解してくれた篠原さんは口元を押さえ、可憐に微笑む。
「ふふ。私のです」
「はは。そうだった」
「ありがとうございます」
受け取る時、一瞬だけ触れた指先の冷たさと柔らかさに、たったそれだけなのに心臓が普段しない動きをした。
純白のシルクに、透明で甘美な水が染みていく。
自分の頬を綺麗に汚す汗を拭った篠原さんが、何かに気が付いてハンカチを鼻元まで持っていった。
吸い込む呼吸音が、夏風に溶ける。
「はぁー……うちのにおいと、全然ちがう」
「え。ごめん。変なにおいした?」
「ううん。……いいにおい」
すき。
と、唇が奏でる。
他意はない。ただの感想にしか過ぎない二文字に、瞬きが止まないほど動揺してしまうのは、なぜなんだろう。
「あー……そう、だ。使ってる柔軟剤、分かった?」
「あ。そうそう。母に聞いたら、商品名を教えてくれて……えっと。なんだったかな」
ごまかすための話題に乗ってくれた篠原さんは鞄からスマホを取り出し、慣れた手つきでスワイプしていく。さすがは都会っ子、機械には強いらしい。
爪が当たらないようにか、指の腹を器用に使う所作がいちいち女の子みに溢れていて、本当に自分と同じ性別なのか疑ってしまうほど可愛らしい。
「あった。これです、これ」
「ん…?」
見せてきた画面を覗き込んで、映っていた見たこともないような種類の柔軟剤に小首を傾げる。
どうやらスーパーとかでは買わずに通販で定期購入しているらしく、値段はお高め。庶民的な我が家では、到底買うことがないような代物だった。
住む世界が離れていることを知り、心の距離は遠く、物理的な距離は吐息がかかるほど近い。
「空木さんの家は、何を使ってますか?」
「わかんない。……けど、多分そこら辺のスーパーで買えるやつだよ」
「好きな香りなので、帰って母に相談してみます」
「何を?」
「柔軟剤、買ってもらえるか」
「はは。そこまでしなくても…」
生真面目な回答に、まさか本気じゃあるまいと苦笑する。
「本当に、好きだから」
対して、彼女はひどく真剣な面持ちで口にした。
「空木さんのにおいになりたい」
勘違い、しかけた。
きっと全然、そんな意味合いはないのに、“私に染まりたい”と告白紛いなことをされた気分で、途端に全身が刺さる熱さに襲われる。
心臓は血液を沸騰させるため、激しく稼働を始めた。
――変な子だ。
高校2年の夏。
青天の霹靂として私の元へ訪れた篠原さんは、変わった女の子だった。
例えるなら、神々しい宇宙人。
私の世界を侵略しに来た、悪戯な神の遣いだ。




