第19話「夏の香りと愛の香り」
「すき」
挑発的な、詩乃ちゃんのせいだ。
一言で暴発した欲望を引き連れて、生い茂る自然の隙間を縫って、少しでもひと目に触れない場所へ。
心臓にも響かないくらい小規模な火花が弾け飛ぶ中、私達は――
「んっ、ぅ……」
浴衣が乱れるのも構わず、逞しい木の幹に華奢な体を押し付けた。私よりも僅かに身長が高い彼女は、今は腰が砕けて膝を落としているせいで目線が低い。
地面に座り込んでしまわぬよう、太ももを挟み込んで支える。
体重を預けるだけでなく、引いては戻す緩やかな動作で満足感を得ようとする体には、正直ものすごく興奮した。
でも、するのはキスだけ。
「っふ……ぁ、夕夏、ちゃ。すき」
「うん」
これは、愛を確かめているだけ。
「好き」
言うなれば、確認作業だ。
「好きだよ。詩乃ちゃん」
だから、何もやらしいことはしてない。
恋人同士が互いに愛を謳い、本物かどうか探っているだけ。言葉では足りないから、行動でも伝え合っているだけ。
ただの性欲とは違う。
「うれ、しい……夕夏ちゃん」
だから、ほら。
詩乃ちゃんは純粋な思いで喜んで、
「もっと言って。もっと、して」
悦ん、で――
「っ……ぁ、まっ」
「こっちにも、キスして……?」
めくれる。
開け放たれたのは、単なる肌色だけじゃない。
果汁滴る皮の上、鮮やかな布を剥いて魅せられた蠱惑につばを飲み、樹液にたかる虫のように引きつけられた。
「はぅ、は……っ」
首筋に吸いついて、歯を当てる。
傷付けないよう、強くは噛まないで甘噛み程度に留めた。それでも、望んだ刺激に到達するには過不足なかったんだろう。
微細に揺れた体と、荒れた吐息に混ざって鳴る喉の音が旋律となって、森の中で淫靡に反響する。
「他にも、キス…」
「うん」
ただのキスだから。
唇以外にも、してるだけ。最初の頃にも許されてることだから、何も問題ない。むしろ、唇にしないだけ健全である。
と、信じたい。
鎖骨にまで到達した口の中には、とめどなく甘酸っぱい味が流れ込んでくる。
夏の匂いに包まれる。
屋台の煙、花火の火薬、くすんだ食材達の香りに草木の湿った青臭さが混じり、そこへさらに詩乃ちゃんの柔軟剤と、
「っあ、ぁー……くっ、そ。いいにおいする」
肺を満たしてもまだ足りないくらいの、彼女の体から発せられる色香。
「詩乃ちゃん、かわいすぎる」
顔も性格も匂いも、ちょっとえっちなところまで。
好きすぎて、怒ってもないのに頭に血が上った感じする。逆立ちした時と、同じ。頭皮が突っ張り、体が滾る熱さに襲われる。
吸っても吸っても終わらない。吐き出すことを忘れたせいで、酸欠になりそう。
「あ〜、詩乃ちゃん。詩乃ちゃん…」
「ぅん……っ夕夏ちゃん」
もう、なんか。
どうでもよくなってきた。
なんで我慢してんだっけ?
なんのために、ここまで。すぐ目の前にご馳走があって、涎もダラダラで、胃袋に穴が開きそうなほど空腹なのに、何と戦ってるんだろ。
別にいいじゃんか。
好き同士なんだから。欲にまみれたって。
女同士なんだから、妊娠もしないんだし。
何が問題あるの?
いやいや。
私達がしたいのは、清い恋だから。
本物の、愛だから。
「夕夏ちゃん」
過去と、重なる。
『――ゆうかちゃん』
脳の裏、激しい感情の裏側で、無邪気な笑顔が光った。
『あのね、あの。すき』
好意を表すのに説明なんて必要なかったあの時代、詩乃ちゃんとはよく“好き”と伝え合っていた。
幼い故に、キスも……ハグさえもちゃんと分かってなかった無知な私達は、肉体的な触れ合いなんてものが無くても十二分に満たされていたと思う。
その証拠に、毎日野原を駆けるだけでよかった。
素手で虫を掴み取り、季節の花を摘み取り、相手の手を取り、遊ぶ。笑う。話す。
『だいすき!』
『わたしも!』
指輪の代わりに、花冠を交換し合った。
――あぁ、なんだ。
忘れてた、だけじゃんか。
「詩乃ちゃん」
私って、もうとっくに。
「愛してる」
とっくの昔に、手に入れてたんだ。
「ふふ……私も。だいすき」
純愛って、やつを。
君と。
あの夏に。
「……照れる」
「んふ。かわいい」
今だってちょっと大人になって、無駄な知識がついただけで。
彼女への愛の形は、なんにも変わってない。
表現の仕方が、できることの幅が広がって、変わっただけだった。




