第17話「キスだけだから」
詩乃ちゃんが、能動的すぎてつらい。
このままでは純愛とはかけ離れた肉欲に埋もれそうで、できる限りそういう雰囲気のお誘いは避けたいけど――
「夕夏ちゃん……こっち」
「うん…」
避けられるわけが、ないよね。
だって、普通にしたいし。ごめん、詩乃ちゃん。私、まんまと下心に踊らされちゃってる。
あんだけ強がっておいて、泊まる日数が増えれば増えるほど、隣で眠る夜を過ごせば過ごすほど、脳内は詩乃ちゃんへの愛と欲情で溢れていく。
「あのね、熱……下がったよ。完全に」
「か、完全に」
「うん。だから、夕夏ちゃん」
そしてついに、この日が。
「しても、いいよね…?」
待ち望んでいた、この時が。
「っ……ぁ。あー、そ、そうだ!」
なのに、私というやつは。意気地なしの臆病者が故に、土壇場になって話を逸してしまった。
不満を隠さず瞼の形に表した詩乃ちゃんの痛い視線から逃げるよう、顔も逸らす。
「そうだ……なに?」
「え、えっと、明日さ、祭りあるんよ。そんな、大きいやつじゃなくて、地元のちっさいやつなんだけど……風邪、治ったんなら行く?」
「え!行きたい。いく〜」
よかった。
無事に意識が逸れてくれたようで、食いついた反応を見て安堵する。
「それで?キスはいつするの?」
全然、逃げ切れてなかった。
積極的かつ官能的、情緒的で扇情的な彼女は、冗長的で消極的な私を決して逃してはくれない。……まぁ、本気で逃げるつもりもないんだけど。
「そ、その……祭りの、時」
「うん」
「ちっちゃい、花火が上がるんだ」
テレビで見るような華やかさには欠けた、市販の花火が打ち上がる夜。
ちっぽけな自分達にはちょうどいいじゃないかと、舞台を用意したつもりで、触れたら戻れなくなりそうな予感を少しでも遠ざける。
コテンと首を傾けて、流し目で何かを思案した詩乃ちゃんは、
「……素敵だね」
多分、思ってもないことを吐いた。
呆れられた……?
「や、な……なんか、ごめん」
「んーん。ほんと、素敵だと思う」
でもね、と。
淡いピンクの唇が夏の爽やかさに、艶やかさを足す。
「そこまで、待てないよ」
「え……」
“治った”と言うわりに、高熱状態を維持した唇に、触れる。
う……わ。
やわら、か。
隔てるものがない感触は、自分の浅ましさを吹き飛ばすほどの衝撃的な柔らかさで、息が止まった。
押し当てるだけじゃなく、わざわざ挟み込む動きまでして堪能した彼女は、顔を離した後で悪戯っ子にも、大人の余韻にも思える余裕ある笑みを浮かべる。
「花火の時“も”、しようね」
呆気にとられているはずなのに、体は正直で。
「う、うん…」
足を舐めろと言われたら、喜んで飛びつく従順さで頷いた。
「ふふ。お祭りたのしみ」
「あ……い、いうても、そんな。屋台とか、少ないよ」
「夕夏ちゃんと行けるのが、いいの。それだけでうれしい」
さっきまでの妖艶さはどこへ消えたのか。今は純真無垢な謙虚さで、私の手を握った。
手の甲を撫でながら、愛おしく瞼を下ろして微笑んだ詩乃ちゃん相手に、体が勝手に動く。脳内の操縦席から、いつの間にか理性は降りていたらしい。
最初から目的の口元には行けなくて、情けなく額に唇を当てた。
「……ん、もう。間違えてるよ。夕夏ちゃん」
握っていた手を持ち、自分の唇を触らせて、
「こっち、でしょ」
小悪魔な甘さで教えてくれた。
「ぅ、うん……ごめ、ん」
「いっぱいしてくれたら、許す」
許されたい。
全部。
君の全てに触れる権利を。許可を。
許されて、欲の化身に成り果てたい。詩乃ちゃんという神の采配によって、愛の支配下でひれ伏したい。
「キスだけ、だから…」
優しい彼女は、必ず導いてくれる。
そう、キスだけ。
セックスは、してない。最後までは、しないから。
キスだけなら、いいよね?
初めは“唇以外”から始まった言い訳も、いよいよ唇にまで範囲を広げ、それに伴い女神のような存在も腕を広げる。
愚かなこの身を差し出して、細やかに体温を分け合った。
ふたりの吐息が空気中で混ざり、周囲の温度をひとつ上げて溶ける。
「すき…」
「うん…」
重ねては、離れ。押しては、引いて。
求めては、留めて。
徐々に、崩れゆく崖の上。
ふたりで荒波へ飛び込む勇気は、すでに持ってる。




