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君と熟れた夏  作者: 小坂あと
前編

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第13話「大嫌い、大好き」









 夕夏ちゃんが家にまで来てくれて、嬉しかった。


 でも、一度患ったら治りが遅い私の風邪は今回も長引き、翌日になって熱がぶり返してしまったせいでこっちから会いに行けないことを悔やんだ。


 また来てほしいけど、連日は……迷惑になるかな?って遠慮してメッセージも何も送らなかったのに。


『今日も行く』


 夜になると、夕夏ちゃんはさも当然みたいな感じで来てくれた。


 だから昨日と同じ方法で自室に招いて、今日は桃とナイフを持ってきてくれたと言うから、


「んっ……ぅ、ん」

「……おいしい?」

「ん、おいし…」


 慣れない方法で、食べさせてもらった。


 拙い動きが伝えてくれるのは緊張だけじゃなくて誠実な愛情で、桃に負けないピンク色な妄想をしちゃう私の心根になんか決して辿り着いてくれない。


 手繰り寄せてねだってみても、三口分の特別はあっという間に終わってしまった。


「これ以上は……」

「どうして?」

「や。その。分かる、でしょ」

「わかんない」


 好きだから合わせてたけど、正直なんでだめなの?


 晴れて恋人同士になった若いふたりが肉欲に溺れて、何が悪いの?愛があればいいじゃないって開き直ることは、良くないことなの?


 夕夏ちゃんは、したくないの?


 それなら、我慢する。ちゃんと我慢できるよ。でも、本当はしたいよ。


「ね……あの、私」


 したいから、言い訳をこじつけてまで、抉じ開ける。


「風邪引いてて……マスク、しないとだから」


 口実を探して、誘惑する。


 全部、あなたに愛されたいから。全部を、愛してほしいから。愛したいから。


 こんなの、不純かな?


「直接、当たらなければ……キスじゃない、でしょ?」


 疑問を投げかける。


 すると、強情なようで強欲な彼女は、あっさり揺らぐ。


 葛藤に眉をひそめるのは数秒だけで、同じく欲深な私の作り出した適当な理屈に乗っかって、体の上にまで乗ってくれる。


 覆い被さってきた体温を離さぬよう、腕の中へ最大の慈しみを持って閉じ込めた。


「っ詩乃、ちゃん」

「ん……平気だよ。何も、おかしなことしてないよ」


 本当に大丈夫かと、土壇場で怖気づいた相手の後頭部へと手を回し、宥め撫でる。


 体の力を抜き、紙に近い薄い質感を隔てて温度を重ねてくれた夕夏ちゃんの優しさを一身に受け、乾いたままの心を扇情と満足感で震わせた。


「すき…」

「ぅ、うん。私、も」


 照れくさいからか、なかなか言ってくれない“好き”も、私は勝手に溢れてしまう。体内に留めておけない。


 すぐそこにあるのに、直に触れられないもどかしさが飢餓となって、収まる気配のない愛しさが胸の内で花火となり散っていくたび、望んだ熱さが欲しくなる。


 食べるみたいに動かしてみても、食べれない。


「もう、や……っ夕夏、ちゃ」


 そうして我慢の限界を迎え、煩わしい布を剥がしてまで求めた矢先。


「……どういうことなの」


 芯が、冷えた。


「っ、あ…」


 夕夏ちゃんも、私も。


 慌てるというよりも本能的な危険を感じ取って、跳ね起きた。


 足音もなく現れた母は怒りを通り越して「何が起きているか理解できない」以外に説明がつかない顔で、扉の前で立ち尽くしていた。


「詩乃ちゃん……これは、どういうことなの?」


 私から夕夏ちゃんへ視線を移し、また戻した母にどう対応したらいいのか、頭が真っ白で何も浮かばない。


 嫌っていた、なんて生易しいものじゃない。排除しようとしていた相手と関わってるだけでなく、よりにもよって“そういう関係”になっているところを目撃されてしまうなんて。


 あれはキスじゃない――そんな言い訳は通じない。私達だけの暗黙の了解にげみちは、母には適用されない。


「ちゃんと、説明して。お母さん、怒らないから」


 うそだ。


「あなたは悪くないのよね?無理やり、されただけよね?」


 ちがう。


「答えなさい!」

「っ……詩乃ちゃん!」


 初めて聞く、発狂したような怒鳴り声の後で、夕夏ちゃんの手が目の前に差し伸べられた。


「に、逃げよ…!」


 混乱が導き出しただけか、それとも私を狭い鳥籠から救うための英断か。どちらにせよ、勇敢な行動により親元を離れ、攫われた。


 母の隣を掻い潜り、滑るより早く階段を下りた夕夏ちゃんは靴を履くのも忘れ、夜空の下へその身を晒した。


「乗って!」


 法律さえ無視する勢いで、促されるがまま自転車の後ろへ腰を乗せた。


「しっかり掴まって」

「う、うん!」


 お腹に回した手を確認する仕草で一瞬触り、ハンドルを握った彼女は思いきりがいい動作でペダルを踏んだ。


 背後からは「待ちなさい!」と叫ぶ母の必死さが届いていた。


 けどそれも、流れゆく景色が織りなす風の音によってかき消され、どんどん遠ざかり、小さくなっていった。数秒経つ頃には、蝉時雨と木々のさざなみしか聞こえないほど早く。


 長い坂道を下っている間、白い家の電気が次々明るくなっていく様が視界に映った。


 追跡の灯りさえ次第に、彼女との思い出が詰まった村の景色へと変わっていく。


「っふ……はは!」


 開放感が、笑いを誘う。


「なに笑ってんの!笑えないんだけど!詩乃ちゃんのおかあ怖すぎ」

「ふふっ、こわいよ」


 怖かった、ずっと。


 手厚い束縛から、一生抜け出せないんじゃないかって。


 自分の人生なのに好き勝手できないのも、不満だった。ずっとずっと、嫌だったの。清廉潔白なんて、大嫌い。


 本当は白色よりも、カラフルなものが好きで。


 黒も赤も青も緑も黄色も水色も。色があるものならなんだっていい。


 幼い君の、褐色も。


「大好き」


 






 




 

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